まんが道/藤子不二雄

クリエイティヴを目指す全ての若者へ。藤子不二雄Aの青春が凝固された自伝的作品

僕が小学生だった頃、中央公論社から『藤子不二雄ランド』なる全集が発売されていた。『海の王子』(1959年〜1961年)やら『ドラえもん』(1969年〜1996年)やら『エスパー魔美』(1977年〜1983年)やら、「藤子・F・不二雄&藤子不二雄Aの新旧作品が、毎週金曜日に続々と発売される」というもので、僕はなけなしのお小遣いをはたいて買い集めていたのである。

その中でも特に夢中になったのが、藤子不二雄Aの『まんが道』(1970年〜1972年、1977年〜1982年)。満賀道雄と才野茂の二人がプロの漫画家を目指して上京し、寺田ヒロオ、石森章太郎、赤塚不二夫といったトキワ荘の仲間たちと切磋琢磨しながら、夢に向かって邁進していく自伝的作品だ。

1986年には、NHK『銀河テレビ小説』の枠でテレビドラマも放送されていて、僕は毎日欠かさずこれもチェックしていた(健気だ)。満賀道雄を演じるのは竹本孝之。『てれてZin Zin』(1981年)を照れもなく熱唱していた彼である。才野茂を演じるのは長江健次。イモ欽トリオのフツオで同じみの彼である。

何かに熱中すること。限りない情熱をもって、何かに打ち込むこと。「感動」の飢餓状態にある現代において、『まんが道』の真直ぐなまでのパッションは眩しいばかりだ。「俺も将来、手塚治虫のような漫画家になってやる!」と、エアーズ・ロックの如く固い決心をしたのは、僕一人ではあるまい(あっという間に挫折してしまったが)。

オンボロアパートに相棒と住み、余りある情熱をマンガにぶつける日々。栄光、挫折、友情、勇気、ここにはユースフル・デイズの全てが詰まっている。『まんが道』には、僕が理想とする青春があった。そして僕はちょっと尋常ではないくらいに、この物語にハマってしまったのである。

読んでみると、この漫画はとってもヘンである。何がヘンかというと、最初の「あすなろ編」の画風がとてつもなくヘンなのである。明らかに劇画を意識したタッチで、枠線を何重にも塗りつぶしたかのような絵はひたすら重くて暗い。

もともとこの作品は、『週刊少年チャンピオン』に連載された『マンガ入門講座』のオマケとして始まった(しかも2ページのみ)。少年誌を主戦場に活躍してきた藤子不二雄Aが、青年誌を舞台にして自伝的作品を描くという、不思議な構造なのである。

満賀道雄はコンプレックスの塊だし、鬱屈しているし、女の子にフラれてばかり。その暗さが、「あすなろ編」の劇画風描写にマッチしている。満賀道雄の心のさざめきが、絵を通して読者に強く訴えかけてくるのだ。

ところが中断期間を経て、媒体が週刊少年キングに移行される。「立志編」以降は週刊少年キング連載バージョンなのだ。そして画風は少年漫画に大きくシフトチェンジする。

原稿を落として編集者にしこたま怒られるとか、才野茂と精神的な距離が開いてしまうとか、あいも変わらず心がギスギスしてしまうエピソードは満載なのだが、黒いタッチ(劇画風)から白いタッチ(少年漫画風)に移り変わることで、鬱屈感はだいぶ中和されている。

言い方を替えれば、「立志編」以降は「漫画家になる」という夢に一直線に向かっていくため、多少の挫折や失敗はあっても、ストーリーは多幸感で満たされている、とも言える。この多幸感に多くの読者が惹きつけられたのだ。

さらには、『ビッグコミックオリジナル増刊』で『まんが道』改め『愛…しりそめし頃に…』というタイトルで(なんちゅうタイトルだ)、青春時代の満賀の恋愛模様に焦点が置かれた番外編も書かれている。この大河感、マジでハンパないっす。

この作品は漫画家のみならず、あらゆるメディアでクリエイティヴなものを目指す若者の、格好のテキストになるだろう。ビバ、まんが道。個人的には、この漫画を国語の教科書に取りあげて欲しいくらいだ。長過ぎるけど。

DATA
  • 著者/藤子不二雄
  • 発表年/1970年〜1972年(「あすなろ編」)1977年〜1982年(「立志編」、「青雲編」、「春雷編」)
  • 掲載誌/週刊少年チャンピオン(「あすなろ編」)、週刊少年キング(「立志編」、「青雲編」、「春雷編」)
  • 出版社/中公文庫
  • 巻数/全14巻

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