目を閉じて抱いて

目を閉じて抱いて 1 (角川文庫)

平凡なサラリーマンである周は、ニューハーフの店で出逢ったダンサー、花房に激しく心を奪われる。

彼には結婚を前提にして付き合っていた樹里という女性がいたが、花房は周も樹里もみ~んな巻き込んで、倒錯した性のタペストリーを紡いでいく…。

『目を閉じて抱いて』を読み終わった第一印象は、「こりゃ勝てないな」ということだった。桜木花道がダンクシュートを決めようが、岩鬼が悪球を打って特大ホームランを打とうが、悟空がサイヤ人に変身しようが、花房なる両性具有をめぐる物語に勝てないんである。

勘違いして欲しくないんだが、いい、悪いという次元の話ではない。「いい、悪い」を通り越して掴まれてしまうんである。

なぜなら内田春菊という作家は、女の生理でストーリーが書けてしまう作家だからだ。誤解を恐れずに言うならば、子宮でモノを考えて子宮でモノを語れちゃう作家なのだ。

だから彼女のマンガを作品論で読み進めていくと破綻をきたす。作家論から入るべきである。そしていく先には常にジェンダーの問題がつきまとう。

『EV CAFE』という対談集で村上龍が言っていたが、結局男はどんなに努力しても「女が子供を産む」という行為に勝てない。

EV.Caf´e―超進化論

内田春菊は女であることを最大限利用した、したたかな作家なのである。読者によって、不快に思ったり共感を覚えたりリアクションは様々だろうが、男性諸君は圧倒的な“女の生理”にひれ伏するしかない。

個人的にはこの作品は好きではない。このマンガは女として自由な生き方を標榜する「内田春菊」という人間を許容させる装置でしかないし、「普通の結婚」に憧れる樹里というキャラクターに悪意むきだしで描いているのも受け付けられない。何より、作品として実に中途半端だ。

特に高柳が七臣を殺してしまうあたりから物語は迷走を始め、混乱のままエンディングを迎えてしまう。

この作品のファンは即ち花房ファンということになるのだろうが、それは「結婚イコール幸せ」という価値観が崩壊した時代に現れた、実に現代的なヒロイン(ヒーロー?)への盲目的な信仰でしかない。

不満はある。不満はおおいにあるんだが、結局こういう作品は逆立ちしたって男には描けない。

丹下段平が「たてー!たつんだジョー!」と叫ぼうが、悟空が「オラ、こんな強いヤツと戦えてワクワクするぞ!」と言おうが、花房が「あたしにはたいした望みはないのよ。好きな人が元気でいれば、それでいい…」な~んてのたまってしまえば、KO負けなのだ。

だからこそ、率直な感想は「こりゃ勝てないな」という言葉に尽きるんである。

DATA
  • 著者/内田春菊
  • 発売年/1995年
  • 出版社/祥伝社

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