ベンジャミン・バトン 数奇な人生/デヴィッド・フィンチャー

ベンジャミン・バトン 数奇な人生 [Blu-ray]

ハリウッドきっての反逆児デヴィッド・フィンチャーが忍ばせた、フィジカルな肌触り

『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008年)の原作は、F・スコット・フィッツジェラルドの短編集『ジャズ・エイジの物語』に集録されている同名小説だが、実はスティーヴン・スピルバーグの監督デビュー作として企画されていたこともあった。

ジャズ・エイジの物語―フィッツジェラルド作品集1 (1981年)
『ジャズ・エイジの物語』(F・スコット・フィッツジェラルド)

90年代にもトム・クルーズ主演で映画化が企画されていたというから、スピルバーグのこの作品に対する思い入れは並々ならぬものがあったんだろう。

しかし結局この作品は、スピルバーグの片腕ともいうべき存在のキャスリーン・ケネディ、フランク・マーシャルのプロデュースのもと、デヴィッド・フィンチャーの手によって映画化されることになる。

「人が80歳で生を受け、ゆるやかに18歳に近づいていけたなら、人生は限りなく幸福なものになるだろう」というマーク・トウェインの言葉にインスピレーションを受けたというこの物語は、徐々に若返っていく男の奇妙奇天烈ドラマ。

「数奇な人生を運命づけられた人間の視点から描くアメリカ史」という構造からして、トム・ハンクス主演の映画『フォレスト・ガンプ』との類似を指摘することができるだろう。

事実、『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』の脚本を担当したエリック・ロスは、『フォレスト・ガンプ/一期一会』(1995年)を手がけた人物であり、その『フォレスト・ガンプ』を監督したのは、スピルバーグの一番弟子ともいうべきロバート・ゼメキス。

ハリウッドきっての反逆児デヴィッド・フィンチャーは、スピルバーグ一家という巨大なハリウッド包囲網のなかで、映画を演出する事態に陥ったのだ。

果たして我々観客は、この作品から“フィンチャー的なもの”を発見することができるだろうか。例えば、二人の人間を一人の人間として合成する特撮技術「コンツアーシステム」に代表されるようなVFXの充実や、銅板画のように深みのある映像美は、彼のビジュアル・アーティストとしての面目躍如。

若返って行く男と年老いて行く女の、悲恋に向かわざるを得ない大河的なストーリーテリングも、フィンチャーの語り手としての余裕と自信が感じられる。しかしそのいずれも、ハリウッド・システムに回収されない“フィンチャー的なもの”ではない。

フィンチャーが職業作家としての洗練ではなく、その作家的資質として発露されてしまう“フィンチャー的なもの”とは何ぞや。それはズバリ肉体性である。

「肉体が若返る」という本作のプロットを、物語を転がすフックとして作動させるのではなく、有機的な、フィジカルな実体としてスクリーンに描き出す感性こそが、極めてフィンチャー的なのだ。

かつて『ファイト・クラブ』(1999年)で、ヘラクレスのような鋼鉄の肉体を誇示してみせたブラッド・ピット。この映画は、デジタル処理された彼の老体が、次第に生身の肉体を取り戻していくプロセスを描いた作品とも言える。

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『ファイト・クラブ』(デヴィッド・フィンチャー)

VFX全盛の時代にあって、この逆行とも思えるデジタル→アナログへの手続きは、非ハリウッド的構造をまとっている。肌理細かくしなやかなケイト・ブランシェットの肉体もまた同じ。記号的ではなく、そこにはヴィヴィッドな、生命の脈動が息づいている。

「バレエで重要なのは身体のラインなのよ」と語るときのブランシェットの柔らかな身のこなしに、僕は心底ゾクゾクしてしまった。

『ベンジャミン・バトン数奇な人生』が単なるお伽噺にならなかったのは、生々しいほどの肉体性がフィルムに焼き付いているからだ。もしこの作品がスピルバーグの手によって映画化されていたとしたら、『世にも不思議なアメージング・ストーリー』(1985〜1987年)のように、単なるファンタジー映画としてリリースされたことだろう。

ハリウッド・システムに回収されないフィジカルな肌触りこそ、デヴィッド・フィンチャーが本作にそっと忍ばせた隠し味なんである。

《補足》
個人的に最も印象に残ったシーンは、20代前半に若返ったブラピが、50歳を過ぎたケイト・ブランシェットをセックスしたあと、彼女がドアから出て行くのを一瞥もくれずに(テレビを観ながら)さよならを告げる、その表情である。『ジョー・ブラックによろしく』(1998年)を例に挙げるまでもなく、ブラピはこういうフラットな表情が抜群に巧い。

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『ジョー・ブラックによろしく』(マーティン・ブレスト)

内面が滲み出ない表情とでも言うべきか。天衣無縫で無垢なキャラクターを彼が易々と演じられる秘密は、この表情にある気がしてならない。

DATA
  • 原題/The Curious Case of Benjamin Button
  • 製作年/2008年
  • 製作国/アメリカ
  • 上映時間/167分
STAFF
  • 監督/デヴィッド・フィンチャー
  • 製作/キャスリーン・ケネディ、フランク・マーシャル、セアン・チャフィン
  • 脚本/エリック・ロス
  • 撮影/クラウディオ・ミランダ
  • プロダクションデザイン/ドナルド・グレアム・バート
  • 編集/カーク・バクスター、アンガス・ウォール
  • 音楽/アレクサンドル・デプラ
  • 衣裳デザイン/ジャクリーン・ウェスト
CAST
  • ブラッド・ピット
  • ケイト・ブランシェット
  • ティルダ・スウィントン
  • ジェイソン・フレミング
  • イライアス・コティーズ
  • ジュリア・オーモンド
  • エル・ファニング
  • タラジ・P・ヘンソン
  • フォーン・A・チェンバーズ
  • ジョーアンナ・セイラー
  • マハーシャラルハズバズ・アリ
  • ジャレッド・ハリス
  • デヴィッド・ジェンセン
  • テッド・マンソン
  • トム・エヴェレット

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