ドッグヴィル/ラース・フォン・トリアー

観客に対して直接“倫理観”を叩きつけてくる、ラース・フォン・トリアーによる臨床実験

人を不快にさせることでは人後に落ちない力量を発揮する、“映画界最恐のフィルム・メーカー”ラース・フォン・トリアー。

彼が監督した『奇跡の海』(1996年)にせよ、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000年)にせよ、観客は主人公に感情移入するやいなや甚大な精神的ダメージを喰らってしまう。しかし、『ドッグヴィル』(2003)は似て非なる映画だ。

これは、我々観客に対して直接“倫理観”を叩きつけてくる臨床実験なのである。例えば、この映画を観たという僕の知人のS嬢は、アッケラカンとした口調でこんな感想を述べた。

「最後はスカッとしたね!」

…このセリフは多くの示唆に満ちている。この言葉を聞いた瞬間、僕はこう言いかけた。

「キミ、何を言っているんですか!!これはサム・ペキンパーの『わらの犬』のように、絶対悪に対し復讐を遂げることによってカタルシスを得る映画じゃないんですよ!

いいですか、ギャングのボスを演じているジェームズ・カーンは権力の象徴です。超大国アメリカの比喩な訳ですよ。ニコール・キッドマンは最後まで、自分を欲望のはけ口にした村人たちを救おうとし、赦そうとする。でも親父はそれは傲慢だと言い放ちますね。お前は慈悲深いと思い上がっている、そっちのほうがよっぽどコーマンチキなんだと。

ドッグヴィルはお前に対して良いことをしたのか?自分が村民の立場だったら、自分自身を正当化できるのか?権力があるならば、そういうものに対して行使されるべきものではないのか、と。これは、アメリカの論理そのものなんだよ!だから、ラストで胸がすくなんてゆーのは、キミ!とってもよろしくないことなんですよ!」

しかし、僕はこの言葉を躊躇した。なぜなら、僕もラストはスカッとしてしまったからである。ドッグヴィルの人々は地球上から消滅すべき存在であり、正義を行うには多少の犠牲は必要であるというロジックに、僕も陥りそうになってしまった。あな恐ろしや。

「我々観客に対して、直接“倫理観”を叩きつけてくる臨床実験」とは、つまりそーゆーことだ(映画で常にナレーションがかぶさるのは、観客に映画に対して一定の距離をとらせるためである)。ラース・フォン・トリアーは主演女優をいたぶるだけでは飽き足らず、我々観客すら揺さぶり始めたのだ!!

もちろん、不満もある。たとえば、生まれた赤ん坊も容赦しないラストの大虐殺シーンは、明らかに薄味。直接脳みそをかき回されるような「揺さぶり度」が中途半端だ。

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』で、ビョークが死刑台に登るまでをこれでもかというくらいヴィヴィッドに描いた彼は、どこに行ってしまったのだ?暴力趣味で言うのではなく、テーマを浮き彫りにするためにもあのシーンはもっと執拗に描くべきだった。

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(ラース・フォン・トリアー)

黒い床に白線が引かれているだけの、やや前衛気取りなセットもいただけない。ラース・フォン・トリアーは飛行機嫌いで知られているが、ロケに行くことすら拒否したのか?

あれほど抽象性を帯びた舞台にしてしまえば、寓話性が際立つのは分かりきっているくせに、カメラは手持ちで生々しいほどリアルなものだから、虚構と現実の境界線が混濁しすぎていて訳が分からない。

おそらくその原因は、自らが戒めたドグマ95にあるんではないか。ドグマ95とは、ラース・フォン・トリアーが’95年に提唱した映画製作にまつわる十戒である。

  1. 撮影はロケのみとし、小道具やセットは持ち込んではならない。
  2. 映像とは別のところで音を作り出してはならない。
  3. カメラは手持ちでなければならない。
  4. フィルムはカラーで、人為的な照明は認めない。
  5. オプティカル処理やフィルター使用は認めない。
  6. 表面的なアクションを取り入れてはならない。
  7. 時間的、地理的な乖離を認めない。
  8. ジャンル映画(アクション、SFなど)を認めない。
  9. フィルムのフォーマットはアカデミー35mm(スタンダード・サイズ)にすること。
  10. 監督の名前をクレジットにのせてはならない。

ラース・フォン・トリアーは、現実主義への回帰を目指してドグマ95を標榜した。寓話性の強いセット撮影はその対極にあるはずなのに、上記の《1》以外はすべて遵守しようとして、映画が破綻してしまったんである。彼の果敢な実験精神はやや空回りに終わった気がしてならない。

アメリカに行ったことがない人間によるアメリカ3部作の第1弾、『ドッグヴィル』。2作目以降、そのサディスティックな眼差しはどこへ行こうとするのか。たぶん僕は次回作も映画館へ足を向けてしまうだろう。そして、己の倫理観に向き合い、自身と格闘することになるだろう。

それはまるで、精神的修養のごとし。

DATA
  • 原題/2003年
  • 製作年/1979年
  • 製作国/デンマーク
  • 上映時間/177分
STAFF
  • 監督/ラース・フォン・トリアー
  • 脚本/ラース・フォン・トリアー
  • 製作/ヴィベク・ウィンドレフ
  • 撮影/アントニー・ドッド・マントル
  • 音楽/ペール・ストライト
  • プロダクション・デザイン/ピーター・グラント
  • 美術/カール・ユリウスン
  • 衣装/マノン・ラスムッセン
CAST
  • ニコール・キッドマン
  • ポール・ベタニー
  • クロエ・セヴィニー
  • ローレン・バコール
  • ジェームズ・カーン
  • パトリシア・クラークソン
  • ジャン・マルク・バール
  • ステラン・スカルスゲールド
  • ジェレミー・デイヴィス

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