『スカーフェイス』の企画は、プロデューサーのマーティン・ブレグマンが、テレビの深夜放送で『暗黒街の顔役』(1932年/ハワード・ホークス監督)をたまたま観て、「これをアル・パチーノ主演でリメイクするぜ!」と思い立ったことに始まる。
ブレグマンは監督にブライアン・デ・パルマを指名したものの、彼がデヴィッド・デイブと共同で仕上げたシナリオが気に入らず、結局監督の座はベテランのシドニー・ルメットに移ることになる。
ルメットは、アル・カポネをモチーフにした古典的ギャング映画を、コカインに蝕まれる現代の物語として再構築することを提案(『スカーフェイス』というタイトルは、アル・カポネの頬の傷から由来している)。
自身コカイン中毒者だったオリバー・ストーンがシナリオに参画し、デ・パルマ体制は完全に崩壊した…と思われた。
オリバー・ストーンがあまりにも血と暴力に彩られた物語に仕立て上げたために、結局ルメットは監督を辞退。めぐりめぐって、再びデ・パルマが演出をすることに落ち着いたんである。
しかし、公開当時の評価は最悪。ギネス級に「FUCK」ワードがセリフを覆い尽くし、電動ノコギリによる拷問シーンは悪趣味極まりなく、オリジナルの『暗黒街の顔役』のノワール風味は跡形もなく消え失せていた。
そう、『スカーフェイス』は品性のカケラもない悪逆無道ムービーだったんである。批評家はこぞって映画をコキおろし、ラジー賞のワースト監督賞まで受賞してしまう始末。意気軒昂でメジャー・ハリウッドに挑戦したデ・パルマの落胆は、想像に難くない。
だが今や『スカーフェイス』は、ギャング映画のスタンダードとして、マイノリティ層から圧倒的な支持をゲット!マイアミに行けば、あらゆるお土産屋に『スカーフェイス』グッズが踊り、マシンガンを抱えたアル・パチーノのフィギュアやTシャツが売り出されている。
アル・パチーノ演じるトニーはアンチ・ヒーローのニュー・アイコンとして、ヒップホップ・カルチャー&ブラック・カルチャーの参照項となったのだ。
事実、この映画のアル・パチーノは神懸かり的存在感。マニー(スティーヴン・バウアー)が自分の妹のジーナ(メアリー・エリザベス・マストラントニオ)に手を出したと知った時のパチーノの血走った眼差しを見よ!
血管は浮き上がり、口元はワナワナと震えている。伝説の刑事ドラマ『噂の刑事トミーとマツ』で、松崎しげるに「トミコ、トミコ」と馬鹿にされると、国広富之の鼻がピクピク動いて突然強くなるバカ演出と同様のパワーに満ちあふれているのだ(誉めてます)!
自宅の庭で飼われているタイガーが暗喩しているように、この映画のアル・パチーノは、マフィアというよりもほとんど野獣。
ヤクで完全にラリまくったパチーノが、銃弾を雨あられと浴びながらも「貴様らのクソ弾なんか屁でもねえ!」と絶叫するシーンは、彼の半世紀以上に渡る俳優人生のなかでも、ハイライトのひとつに挙げられるだろう。
「ヤクをやりすぎて子宮が腐っている」と罵られるブロンド美女エルヴィラをミシェル・ファイファーが演じているが、そのアバズレ&ノータリン加減が絶妙だし、トニーの舎弟を演じるスティーヴン・バウアーの「IQ低いけど忠実」感もサイコー。
ジョルジオ・モロダーによる安っぽい電子音楽も、『スカーフェイス』のB級テイストと妙にマッチしていて、映画が内包している空虚さに拍車をかけている。
とまあ、要は何を言いたいかというと、「『スカーフェイス』、サイコー!!!」ってことであります。血と暴力に彩られたこの悪逆無道ムービーこそ、ブライアン・デ・パルマの十八番。
パフ・ダディは「俺はこの映画を63回は観た!」と豪語したらしいが、僕もこれから何度も『スカーフェイス』を鑑賞するに違いなし。
- 原題/Scarface
- 製作年/1983年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/170分
- 監督/ブライアン・デ・パルマ
- 製作/マーティン・ブレグマン
- 製作総指揮/ルイス・A・ストローラー
- 脚本/オリヴァー・ストーン
- 撮影/ジョン・A・アロンゾ
- 編集/ジェラルド・B・グリーンバーグ
- 音楽/ジョルジオ・モロダー
- アル・パチーノ
- スティーヴン・バウアー
- ミシェル・ファイファー
- ポール・シェナー
- ロバート・ロジア
- メアリー・エリザベス・マストラントニ
- オジーナ・モンタナ
- F・マーレイ・エイブラハム
- ミリアム・コロン
- ラナ・クラークソン
- ハリス・ユーリン
- リチャード・ベルザー
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