『近畿地方のある場所について』──非モテ男性の暴走を描くフェイク・ドキュメンタリー・ホラー
『近畿地方のある場所について』(2023年)は、雑誌記事や掲示板の投稿、インタビュー記録など、断片的な資料から構成される、背筋のホラー小説。近畿地方の山間で起きた奇妙な出来事を追ううちに、“おしらさま”と呼ばれる存在が浮かび上がる。
白石晃士監督作品『ノロイ』へのラブレター
映画公開のタイミングで『近畿地方のある場所について』を読んでみた。確かに怖い。めっちゃ怖い。『このホラーがすごい! 2024年版』の堂々1位はダテじゃない。(参考までにベスト10を列挙しておきます)
1位『禍」小田 雅久仁
1位『近畿地方のある場所について」背筋
3位『をんごく」北沢陶
4位『本の背骨が最後に残る」斜線堂有紀
5位『でぃすぺる」今村昌弘
6位『最恐の幽霊屋敷」大島清昭
7位『梅雨物語」貴志祐介
8位『わたしたちの怪獣」久永実木彦
9位『きみはサイコロを振らない」新名智
9位『食べると死ぬ花」芦花公園
雑誌記事、読者投稿、掲示板のスレッド、インタビューのテープ起こしなど、バラバラに散らばった情報の断片を読み進めるうちに、少しずつ点と点がつながって、現実と虚構が溶解していくような感覚。恐怖がアクチュアルなものとして忍び寄ってくる。
作者の背筋は、この作品を「白石監督の『ノロイ』へのラブレターとして書いた」と語っている。白石晃士監督により傑作ホラー『ノロイ』(2005年)もまた、テレビ番組、VTR、インタビューなどの複数のメディアを通じて語られる怪異の物語。
メディアの断片を組み合わせることで、現実と虚構の境界を曖昧にし、読者にリアルな恐怖を与える。白石晃士によるこの手法を背筋が踏襲し、その小説を白石晃士が監督するという循環は、非常に興味深い。
巧妙に仕掛けられた叙述トリック
語り手である“私”が作者・背筋であることも、このフェイク・ドキュメンタリー的手法に拍車をかけている。実在の人物が虚構の世界に侵食していく感覚こそ、その醍醐味。しかも、この作品には、ひとつ大きな叙述トリックがしかけられている。
我々は実在の背筋さんが男性であることを知っているが(注:これは僕がこの小説を読んだ直近の話であり、カクヨムに掲載されていた時点では性別不詳だったかもしれない)、書きぶりも含めて“私”が男性であるとミスリードされてしまう。実際にはこの語り手は女性であり、彼女がこの事件に加担していた人物だった。
だがこの小説の本当の怖さは、フェイク・ドキュメンタリー的手法という構造にあるのではない(と僕は勝手に思っている)。非モテ男性=インセルの暴走という設定が恐ろしいのだ。
非モテ男性=インセルの暴走という恐怖
全ての怪異の原因である“おしらさま“の正体は、神様でもなんでもなく、明治時代にいた“まさる”という人物だった。変わり者だと村八分にされ、女性からも相手にされない、悲しき青年。
それは、社会から見放され、やがて狂気に蝕まれていく『ジョーカー』(2019年)のアーサー・フレックや、『タクシードライバー』(1976年)のトラヴィスとよく似ている。
だが彼らが自分なりの正義をふりかざして“カリスマ”に覚醒するのに対して、“まさる”は女性たちを手にかけた罪に問われて袋叩きにあい(実際にどうだったかは曖昧に書かれている)、童貞のまま自死してしまう。
“おしらさま“となった彼の目的は、若い女性を山へ誘い込んで、「嫁」にすること。チャプター1の「某月刊誌別冊 2017年7月発行掲載 短編 おかしな書き込み」にある、
『かわいい。うちへきませんか。』
『うちへきませんか。かきもありますよ。』
という掲示板の書き込みが恐ろしいのは、この文章自体に悪意がないことだ。
純粋に彼は、美しい女性と性的関係を結びたいと考えている。ぬめぬめとした陰湿な欲望というよりも、あまりにも無邪気でチャイルディッシュな欲望。「誰かに愛されたい」「認められたい」というごくごく当たり前の願いが、純粋な悪意となって、人を破滅へと導く。この点は、澤村伊智の『ぼぎわんが、来る』(2015年)のように、人間の心理や社会的背景が怪異や恐怖と結びつく手法と共通している。
非モテ男性の暴走を描く、フェイク・ドキュメンタリー・ホラー。いや、それってめちゃめちゃ怖すぎるだろ。現代社会の闇を映し出すその恐怖は、もはやフィクションの域を超えている。/了
- 著者/背筋
- 発売年/2023年
- 出版社/KADOKAWA


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