東京ガールズブラボー/岡崎京子

東京ガールズブラボー (上)

金田サカエは両親の離婚がキッカケで、サッポロから夢のテクノポリス・トーキョーにやってくる。坂本キョージュや立花ハジメを崇拝し、アングラ・ポップな戸川純をカッコいいと思い、クラフトワークやアート・オブ・ノイズを聴きまくる。

「ナウ」なものを探し求めるニューウェーヴ少女サカエは、しかし自分が夢想していた「ナウい」トーキョーと現実とのギャップにショックを受けてしまう(何てったって住む所がジジババの巣窟である巣鴨だもんなあ)。

頭を金髪に染め、ガッコからいきなり停学を喰らってしまうサカエのグルービーな生き方。それと相容れない保守的な一般中流家庭である家族、「たのきんトリオの中で誰が一番好き?」なんて下らない話をするクラスメート。

アタシはそんなコトより、「YMOの中で誰が一番好き?」っつーアカデミックな話がしたいのよ!そんな自分ってイケテると思う、根拠レスな自信と共に青春は加速する。…う~ん、16歳っていいなあ。

彼女の行動は「ニューウェーヴ教」ともいうべき信条によって規定される。チェルノブイリ原発事故やベルリンの壁崩壊より、YMO散解やオリーブ休刊の方が一大事。ポスト・モダンやニュー・アカデミズムといった思想は、知的ファッションの一部と化す。

プロとアマ、ギョーカイジンとトーシロの棲み分けがボーダーレスであったこの時代、誰もが本気でニューウェーヴな自分を実感できた(その幻想を産み出した一因はホイチョイ・プロにあるのではないかと僕は思っているんだが)。

サカエがトーキョーにやってきて、やがてサッポロに帰るまでのグラフティは、狂乱の’80年代という世界を心ゆくまで夢想し、やがてリアルな現実の待ち受ける’90年代へ帰っていく道程でもある。

『東京ガールズブラボー』(1990年〜1992年)はストーリー云々よりも、典型的な’80年代的ポップカルチャーのテキストとして読んでいくと面白い。あとがきで、いきなり浅田彰が出てきたのにはビビったが、彼曰く’80年代とは

常に押し寄せてくる興奮や高揚感、いつもある使い捨てられることの寂しさ

に満ちた時代であったのだ。バブリーで華やかではあったけど、考えてみると結局何もなかったこの時代。しかしその時代をまさにリアルタイムに感じてきた岡崎京子の、彼女なりの’80年代総括が『東京ガールズ・ブラボー』である。

DATA
  • 著者/岡崎京子
  • 発表年/1990年〜1992年
  • 掲載誌/CUTiE
  • 出版社/宝島社
  • 巻数/全2巻

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