『赤ひげ』(1965年/黒澤明)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『赤ひげ』(1965年)は、山本周五郎の『赤ひげ診療譚』を原作に、黒澤明が足掛け2年に及ぶ製作期間を投じて完成させた人間叙事詩。長崎帰りの野心溢れるエリート医師・保本登(加山雄三)は、幕府の貧民救済施設である小石川養生所の所長、通称「赤ひげ」こと新出去定(三船敏郎)のもとで働くことに。当初は養生所の劣悪な環境と赤ひげの独裁的な振る舞いに反発する保本だったが、悲惨な境遇に置かれた患者たちの人生や、権力に屈せず医術と信念を貫く赤ひげの背中を見つめる中で、真の医道とは何かを自問していく。16年に及ぶ黒澤・三船の黄金コンビは、本作を最後に決別を迎えた。
- 第26回ヴェネツィア国際映画祭:男優賞、サン・ジョルジョ賞
- 第20回毎日映画コンクール:日本映画大賞、男優主演賞
- 第16回ブルーリボン賞:作品賞、主演男優賞、助演女優賞
- 第39回キネマ旬報(日本映画):第1位、監督賞、脚本賞
告白、あるいは黄金時代の墓標として
僕は、黒澤明の『赤ひげ』(1965年)という映画が苦手だ。
もちろん、これが日本映画史に燦然と輝く金字塔であり、黒澤明の映像技術が頂点に達した傑作であることは百も承知。ヴェネツィア国際映画祭での男優賞受賞をはじめ、国内外で絶賛される本作を否定することは、映画ファンとしての良識を疑われる行為かもしれない。
だが、だからこそ苦しいのだ。画面の隅々まで行き届いた完璧な構図、贅沢なセット、そして三船敏郎の重厚な演技。それらすべてが圧倒的な圧力を伴って迫ってくる。娯楽というよりも、逃げ場のない道徳の授業を最前列で受けさせられているような、緊張と徒労を強いてくる(少なくとも僕には)。
本作は、黒澤明と三船敏郎という世界映画史に輝く黄金コンビの、事実上の決裂作にして、墓標としても知られている。黒澤はこの一作のためだけに、当時のトップスターだった三船を2年間も拘束し、そのトレードマークである髭を剃ることを禁じた。
三船はその間、自身のプロダクションの経営危機に直面し、テレビ出演などのオファーを断り続けながら、ひたすら赤ひげとしてセットの中に立ち続けなければならなかった。スクリーンに映る赤ひげの、あの岩のように動じない威厳は、三船敏郎という俳優の野生と時間を犠牲にして作り上げられたものだ。
かつて『七人の侍』(1954年)の菊千代や『用心棒』(1961年)の桑畑三十郎で見せたような、予測不可能でギラギラとした躍動感は、ここにはない。あるのは、あまりにも完成されすぎた、聖人の姿だけだ。
黒澤明はこの映画で、三船敏郎という猛獣を完全に飼いならし、道徳の象徴としての銅像に変えてしまう。その完璧な造形の裏側に張り付いた、黄金時代の終焉と俳優の疲弊を感じ取るたび、僕は一抹の寂しさと息苦しさを禁じ得ない。
冗長さに潜む不信、終わらない看病の果てに
物語は、長崎帰りのエリート医師・保本登(加山雄三)が、貧民のための小石川養生所に左遷され、そこで赤ひげへの反発を経て、真の医師として目覚めていくプロセスを描く、典型的なビルドゥングスロマン。
前半、香川京子演じる狂女(通称カマキリ)が保本を誘惑し、殺そうとするシーンのサスペンスは素晴らしい。ゾッとするような美しさと殺意、そして人間の業とエロスが渦巻くその瞬間、ヒューマニズムの枠からはみ出した映画的なスリルがある。
しかし、僕がどうしても飲み込みづらい、いや、はっきりと言えば胃もたれを感じるのは、映画の後半、特に善意が暴走し始める展開だ。赤ひげが用心棒の腕をへし折ってまで救い出した少女・おとよ(二木てるみ)を、保本が献身的に看病する。
疑心暗鬼の塊だった少女が、保本の献身によって氷解し、人間性を取り戻していく過程。これだけでも一本の映画として成立するほど濃密で、十分に感動的だ。ここでおとよが回復し、保本が医師としての自覚を持てば、映画は美しく終われたはずだった。
ところが、黒澤明はそこで終わらせてくれない。あろうことか、そこへさらに長次(頭師佳孝)という少年の悲劇を追加投入してくるのだ。貧しさゆえに、鼠取りを食べて一家心中を図る物語を。
おとよの話でお腹いっぱいになっている観客に対し、ダメ押しのように可哀想な子供の死のエピソードを重ねてくる。特に、おとよが井戸に向かって「長っちゃん、帰ってきてー!」と叫ぶシーン。多くの批評家が涙した名場面かもしれないが、僕にはあまりにも過剰で冗長だった。
このクドさは、黒澤明が観客の感受性を信じていないことの裏返しにも思える。「これでもか」と悲劇を見せつけ、畳み掛けるように善意を注ぎ込み、涙を搾り取らなければ気が済まない。その執拗な念押しが、物語のテンポを停滞させ、観客の感情を飽和させてしまう。
感動とは、余白の中に自然と生まれるもののはず。ここまでお膳立てされ、強制された感動は、時に暴力的にすら感じられる。終わらない看病を見せられながら、「もう分かった」と心の中で白旗を上げそうになった。
門をくぐる二人の背中に見る、高潔な檻
赤ひげこと新出去定は、完璧な医師だ。診断に狂いはなく、武術の達人であり、貧しき者に無限の慈愛を注ぐ。しかし、その完璧さは同時に、反論を許さない独裁者の側面も持つ。
保本登は当初、養生所のシステムに激しく反発していた。出世コースを外された怒り、汚い環境への嫌悪、不条理な人事への不満。それはある意味で、非常に人間的で健全な若者の反応だったはずだ。
しかし、赤ひげという圧倒的な父性の前で、彼の個としての叫びは未熟さとして処理され、次第に矯正されていく。ラストシーン、保本は許嫁の妹との結婚を決め、エリートとしての道を捨てて養生所に留まることを自ら選ぶ。赤ひげが「お前は必ず後悔する」と忠告しても、「試してみましょう」と答える。
たぶん僕が悪いのだけど、若者が巨大なシステム(赤ひげという道徳的権威)に完全に取り込まれ、個を滅却してしまったようにも見えてしまう。「試してみましょう」という言葉は、自律的な決意というよりは、長い時間をかけた洗脳の完了宣言のようにも響くのだ。
二人がくぐっていく、養生所の立派な門。あれは未来への入り口であると同時に、一度入ったら二度と出られない“高潔な檻”の入り口のようだ。
『赤ひげ』は、間違いなく良い映画だ。美術監督・村木与四郎が古い寺を解体して作ったというセットの質感、望遠レンズを多用したパンフォーカスの美しさ、照明、演技、すべてが水準を遥かに超えている。
だがその良さは、あまりにも説教臭く、父権的で、逃げ場がない。僕はこの映画を否定はしないが、愛することもできない。完璧な善意ほど、人を疲れさせるものはないということを、この185分の大作は皮肉にも証明してしまっている。
参考文献・出典
- 監督/黒澤明
- 脚本/井手雅人、小国英雄、菊島隆三、黒澤明
- 製作/田中友幸、菊島隆三
- 制作会社/東宝、黒澤プロダクション
- 原作/山本周五郎
- 撮影/中井朝一、斎藤孝雄
- 音楽/佐藤勝
- 編集/黒澤明
- 美術/村木与四郎
- 録音/渡会伸
- 照明/森弘充
![赤ひげ/黒澤明[DVD]](https://popmaster.jp/wp-content/uploads/81-PCALZnkL._AC_SL1500_-e1759631380453.jpg)
![七人の侍/黒澤明[DVD]](https://popmaster.jp/wp-content/uploads/713vIsGMrgL._AC_SL1500_-e1758351972362.jpg)