空前の物量作戦が投入されたSFアクション
すべては、原題の『ALIENS』というタイトルに集約されている。『エイリアン2』(1986年)とは文字通り、雨後のタケノコのごとくエイリアンがやたら出てきて、やたらマシンガンが乱射され、やたらモノが爆発するという、空前の物量作戦が投入されたアクション映画なのだ。
ホラー調の前作から大胆なシフトチェンジを計った、「パート2をつくらせたら世界一」のジェームズ・キャメロンのしたたかな計算が伺える。
2時間20分という長尺を全く飽きさせない、スピーディーな展開が気持ちいい。開巻20分程度で再びエイリアンの生息する惑星へ向かうまでをテンポよく描き、なかなかエイリアンをみせないジラシ作戦で序盤はすすむ。
中盤以降は数え切れない程の弾丸が飛び交う銃撃戦が間断なくインサートされ、終盤は無敵のシガニー・ウィーバーが単身戦いまくる女ランボーと化す。8ビートどころか16ビートのハイテンションで突き進む、超絶アクションなのだ。
『エイリアン』(1979年)のレビューで述べたように、前作は男根主義に相対する女性を描いた、ある意味でウーマンリブ的な作品と解釈することができた。その意味で、今回の『エイリアン2』は、母性の物語と読み解くことができる。ジェームズ・キャメロンは、女性対男性(ヴァギナ対ペニス)という構造から、母対母という構造へ組み換えたのである。
57年間の漂流生活によって、シガニー・ウィーバーの娘はすでに死んでしまっていた。母性は新たな対象を探す。それがニュートなる少女である。彼女を救うためなら、シガニー・ウィーバーはどんな努力をもいとわない。
ラストでニュートに「お母さん!」と呼ばれる瞬間は、彼女にとって至福MAX状態。クライマックス、シガニー・ウィーバーと女王エイリアンとの対決は、互いの子を守るための母性と母性との対決だ。「子孫を残す」というメカニズムを神から与えられた女たちの、マザー・ウォーズなんである。
それにしても、男顔負けの活躍を見せるリプリーやバスクエス兵卒に比べて、出てくる男たちの情けないこと!エイリアンの襲撃に悲鳴をあげて逃げまどうのは、常にひ弱な男性陣である。
その意味でジェンダーを語るのに格好のテキストだと僕は思っているのだが。
- 原題/Aliens
- 製作年/1986年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/134分
- 監督/ジェームズ・キャメロン
- 脚本/ジェームズ・キャメロン
- 製作/ゲイル・アン・ハード
- 製作総指揮/ゴードン・キャロル、デヴィッド・ガイラー、ウォルター・ヒル
- 撮影/エイドリアン・ビドル
- 音楽/ジェームズ・ホーナー
- 美術/ピーター・ラモント
- SFX/L・A・イフェクトグループ、ジョン・リチャードソン、ライアン・ジョンソン
- 編集/レイ・ラヴジョイ
- シガニー・ウィーヴァー
- マイケル・ビーン
- ポール・ライザー
- ランス・ヘンリクセン
- シンシア・スコット
- ウィリアム・パクストン
- ウィリアム・ホープ
- アル・マシューズ
- リッコ・ロス
- キャリー・ヘン
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