2026/7/20

『BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』(2016)徹底解説|音と映像の錬金術師が夢見る、現実への帰還

『BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』(2016年/スティーヴン・スピルバーグ)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー

10段階評価
5
OKAY

概要

『BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』(原題:The BFG/2016年)は、スティーヴン・スピルバーグ監督が、メリッサ・マシスンのシナリオに、映像と音響の魔法を極限まで研ぎ澄ませた、至高のファンタジーアドベンチャー。孤独な少女ソフィーと、心優しき巨人BFGとの種族を超えた交流という物語の背後には、自身の少年時代の記憶や、失読症というハンディキャップを創作の原動力へと昇華させてきた巨匠の赤裸々な自己投影が宿る。夢を調合し吹き込む巨人の姿に、映画作家としての業と美学を重ね合わせた本作は、単なるファンタジーの枠を超え、観客を現実へと優しく突き放す、スピルバーグによる極めて誠実な人生讃歌である。

目次

映像マジックが炸裂する空間設計

スティーヴン・スピルバーグ監督の作品のなかでも、やたら馬鹿にされがちな『BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』(2016年)。

しかし僕は、子供向けの心温まるファンタジー映画の皮を被りながら、実は異常なまでの映像的快感が全編にわたって炸裂している映画なんではないか?と思っている。

序盤、ロンドンの孤児院から巨大な老巨人BFG(マーク・ライアンス)が少女ソフィーをさらっていく一連のシークエンスからして、すでに映画的な興奮の頂点に達している。暗闇に紛れ、街の輪郭と同化するように移動する巨人の姿は、完璧なライティングと構図によって観る者を圧倒する。

さらに凄いのは、巨人の国への道中、BFGがソフィーの乗った車をまるでローラースケート代わりにして崖を滑り降りていく場面だ。凄まじいスピード感と、巨人の重さが車に伝わる物理的な描写。

車のルーフがメリメリと音を立てて潰れかける様子には、かつて彼が『ジュラシック・パーク』(1993年)でT-レックスがツアーカーを押し潰した際の、あの恐怖と興奮の記憶がダイレクトにフラッシュバックする。

また、凶悪な人食い巨人たちがソフィーを探し出そうとする場面における、流麗なカメラワークも見逃せない。右へ左へと巨人の死角を縫うように逃げ惑い、最終的に水道路へと滑り込んでいくソフィーを捉えたワンカット風の長回しには、空間の高低差と奥行きを完全に支配したアクション演出の神髄が焼き付けられている。

巨大な耳は何を聞く?

視覚的な素晴らしさに加えて、本作は聴覚への偏執狂的とも言えるアプローチが際立っている。BFGの最大の特徴である巨大な耳は、蟻の歩く足音や、蜘蛛の糸が風に揺れる微細な音まで拾い上げる。

この設定は、映画のリアリティを根底で支える音響技師や、足音や衣擦れなどの効果音を生み出すフォーリーアーティストの姿にそっくり重なる。BFGが夢を捕まえる網はまさにマイクの集音機であり、捕まえた夢を小瓶に分けて調合する作業は、ミキシングルームでの音響編集そのものだ。

スピルバーグは映像の魔法使いとして語られがちだが、ここでは映画における音の重要性を巨人のキャラクターに託している。視覚の巨匠が、実は極限の微細なノイズを観客に聞かせようとしている。本作は極めて繊細な音響派映画としても評価できるのだ。

言葉へのコンプレックス

物語を読み解く最大の鍵は、夢を捕まえて調合するBFGというキャラクターが、スティーヴン・スピルバーグ自身の完璧な自己投影(アバター)として機能しているという事実だ。

BFGは巨人の国ではチビと呼ばれいじめられているが、これはスピルバーグ自身がユダヤ系で小柄だった少年時代の被差別体験と重なり合う。そして何より決定的なのは、BFGが言葉をうまく話せないという設定だ。

「言葉か。わしにとって一生悩みのタネだ。言いたいことがあっても言葉がうまく飛び出してこない」。

このBFGのセリフは、自身が失読症(ディスレクシア)であることを公表しているスピルバーグの、生々しい告白だろう。文章によるコミュニケーションに困難を抱えていたからこそ、彼は映像と音という直感的な言語を極限まで研ぎ澄まし、世界中の人々に夢(映画)を届ける巨人となった。

モーションキャプチャー越しにこの不器用で優しき巨人を演じたマーク・ライアンスの演技は、監督の個人的な内面をスクリーンに定着させるための完璧な器として機能している。

巨匠が放つ最後通牒

映画の中盤、ソフィーは一度人間の世界へと帰還し、BFGとの切ない別れを迎える。

もしこれがかつての『E.T.』(1982年)であれば、この異種間コミュニケーションの別れを物語のラストに置き、美しい涙とともに幕を閉じていただろう。しかし、70歳を目前にしたスピルバーグは、そのような安易な自己模倣を断固として拒絶する。

物語はそこからさらに加速し、なんと英国女王を巻き込んだ巨大な奇策へと突入していく。夢(映画)の世界に逃げ込んで終わりにするのではなく、現実社会の権力や軍隊を利用して悪しき巨人たちを打倒するという、極めて現実的で政治的なアプローチへと舵を切るのだ。

そして映画のラスト、BFGがソフィーに向けて放つ「もっと夢をつかまえるんだお嬢さん、巨人ではない国で」というメッセージ。これは、暗闇の映画館でスクリーンを見上げる僕たち観客に対する、映画監督からの最後通牒だ。

のちに彼が『レディ・プレイヤー1』(2018年)において、仮想空間もいいが現実世界でこそ真の幸せを掴めという痛烈なメッセージを叩きつけたのと全く同じ構図。

自らが作り出した夢の世界の住人であることを辞め、現実という名の物理空間で生きることを肯定する。映像の魔法を誰よりも知り尽くした巨匠が辿り着いた、温かなッセージ。

『BFG: ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』は、視覚と聴覚の快楽で脳髄を麻痺させながら、最終的に僕たちを映画館の外の現実へと優しく突き放してくれる、極めて誠実な人生讃歌なのである。

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