『黒猫・白猫』(1998)
映画考察・解説・レビュー
『黒猫・白猫』(原題:Crna mačka, beli mačor/1998年)は、旧ユーゴスラヴィア出身の映画監督エミール・クストリッツァが手がけた、バルカン半島を舞台にした破天荒なコメディ。マフィアの息子ザーレ(フロリアン・アイディーニ)が、借金に追われる父マトゥコとともに、結婚詐欺や密輸取引に巻き込まれていくさまを、民族音楽とともに奔放なユーモアで描く。やがて恋人アフロディタ(ブランカ・カティッチ)との逃避行が始まり、騒々しい結婚式、動物たちの乱入、銃撃戦など、混沌と祝祭が交錯するカオスの世界が炸裂する。第55回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)を受賞し、社会の崩壊と生命の祝福を同時に描いたバルカン映画の金字塔として高く評価された。
ドナウ川の泥と黄金とテクノ・ジプシー
バルカン半島の巨魁、エミール・クストリッツァ。彼が1998年に放った『黒猫・白猫』は、映画史における「最も騒々しく、最も愛らしい」事故のような傑作だ。
前作『アンダーグラウンド』(1995年)でパルム・ドールを制しながらも、その政治的解釈を巡って激しいバッシングに晒され、一時は引退宣言までしたクストリッツァ。そんな彼がカメラを担ぎ直し、ドナウ川の畔でブチ上げたのがこの祝祭劇である。
ここには高尚な社会批判などない。あるのは、詐欺、マフィア、強制結婚、そして底なしのエネルギーだけだ。社会の秩序が崩壊し、国家の理念が瓦解したあとにも、なお人々は踊り、歌い、恋をする。その生のエネルギーを、クストリッツァは“お祭り騒ぎ”として映像化したのだ。
これは単なるドタバタではない。クストリッツァの“無秩序の哲学”そのものである。
驚くべきことに、本作は当初、ジプシー(ロマ)音楽についてのドキュメンタリー『Musika Akrobatika』として企画されていた。だが、撮影現場で遭遇したロマたちのあまりに強烈なキャラクターと逸話に触発され、クストリッツァはフィクションへと舵を切る。
結果、プロの俳優と現地の素人が混在するカオスなキャスティングが実現した。マフィアのボスでありながらディスコ狂いのダダン(名優スルジャン・トドロヴィッチ)の横で、本物のロマであるおじいさんたちが、演技とも地ともつかない「存在」を見せつける。
『黒猫・白猫』では、主人公ザーレがマフィアの叔父グリガと金と恋愛と詐欺の渦に巻き込まれていく。その奔流の中で重要なのはプロットの整合性ではなく、“生命のリズム”である。観客は物語を理解するのではなく、音と動きと喧噪によって体感する。
クストリッツァにとって、秩序ある脚本など不要。現場の熱狂と即興こそがリアリズムであり、民族の歴史を反映した“生の形”なのだから。
「ウンザ・ウンザ」の鼓動
音楽はクストリッツァ映画の心臓だ。しかし本作の音楽は、長年の盟友ゴラン・ブレゴヴィッチではない。彼と決別したクストリッツァが、自身のバンド「ノー・スモーキング・オーケストラ」(ドクター・ネレ・カライリチら)と共に作り上げた、よりパンクで、より土着的なサウンドだ。
トランペット、チューバ、アコーディオンが鳴り響き、リズムは常に地面の振動と結びつく。彼らが刻む「ウンザ・ウンザ」という独特の2拍子は、洗練とは無縁の、粗野で、土臭く、時に耳障りな音楽だ。だがこの“うるささ”こそが、バルカンの現実を体現している。
ハリウッド映画がサウンドトラックを“感情の補助線”として使うのに対し、クストリッツァは音楽を“現実の一部”として置く。つまり、音が物語を導くのではなく、音そのものが出来事を生成するのだ。
リズムが登場人物の行動を支配し、音が風景を決定づける。ここでは、映画が一種の“生理的運動”として成立している。カメラが楽器の拍子に合わせて揺れ、編集がリズムを刻み、映像そのものが音楽化していく。これぞ、バルカンの心臓音だ。
死神さえも逃げ出す「祝祭の論理」
映画のタイトルが示すように、「黒」と「白」という対立構造は、本作ではまったく意味をなさない。善と悪、貧と富、愛と憎しみ――それらの境界はすべて曖昧に混ざり合う。
車を食べる豚、お尻で釘を抜く歌手、氷漬けにされても蘇る老人。ここでは「死」さえも絶対的な終わりではない。実際に劇中、二人の老人が「死んだふり」から蘇生する。
西洋的な合理主義では「ご都合主義」と批判されるだろうが、クストリッツァの世界では「楽しすぎて死んでる場合じゃない」という論理がまかり通るのだ。
クストリッツァは国家の崩壊を“悲劇”ではなく、“人間の回帰”として描く。人は制度を失っても、音楽と笑いと欲望によって生き延びることができる――それが本作の思想的中核である。
踊る老人、口論する家族、爆発する車、喋る動物。これらの“無意味な出来事”が積み重なることで、観客は一つの確信に至る――「混沌の中にも秩序がある」。その秩序とは、文化でも国家でもなく、生命そのもののリズムである。
『黒猫・白猫』の結末に、静寂は訪れない。登場人物たちは騒音の中で笑い、走り、叫び、音楽が鳴り続ける。それは終わりなき“生の運動”の表現であり、我々に対する力強い肯定なのだ。「生きろ、踊れ、そして笑え!」と。
- 原題/Black Cat、 White Cat
- 製作年/1998年
- 製作国/フランス、ドイツ、ユーゴスラビア
- 上映時間/130分
- ジャンル/ドラマ
- 監督/エミール・クストリッツァ
- 脚本/ゴルタン・ミヒッチ
- 製作/カール・バウムガルトナー
- 製作総指揮/マクサ・チャトヴィッチ
- 撮影/ティエリー・アルボガスト
- 音楽/ネレ・カライリチ、ヴォイスラフ・アラリカ、デーシャン・スパラヴァロ
- 編集/スヴェトリク・ミカザイッチ
- 美術/ミレンコ・イェレミッチ
- 衣装/ネボイシャ・リパノヴィッチ
- 録音/ネナド・ヴカディノヴィッチ
- ブランカ・カティク
- フロリアン・アジニ
- リュビシャ・アジョヴィッチ
- サブリ・スレジマニ
- ジャセール・デスタニ
- アドナン・ベキール
- ザビト・メメドッフスキ
- サリア・イブライモヴァ
- サリア・イブライモヴァ
![黒猫・白猫/エミール・クストリッツァ[DVD]](https://popmaster.jp/wp-content/uploads/91xKEPgdsJS._AC_SL1500_-e1760001402561.jpg)