若さと老い、美と醜を残酷にも暴きだす物語
円周率に取り憑かれた男の精神崩壊を描いた『π』(1998年)で、颯爽と映画界に殴り込みをかけたダーレン・アロノフスキー。
やがて彼は、麻薬に溺れて自滅していく一般市民を描いた生き地獄ムービー『レクイエム・フォー・ア・ドリーム』(2000年)、ステロイドの過剰摂取でズタボロになった中年レスラーの悲哀ムービー『レスラー』(2008年)と、精神のみならず肉体の崩壊をもフィルムに映し出すようになる。
『白鳥の湖』の主演に抜擢された若きバレリーナが、清廉な白鳥と官能的な黒鳥を演じ分けなければならない重圧から、徐々に精神と肉体に変調をきたしていくサイコ・サスペンス『ブラック・スワン』(2010年)は、まさにアロノフスキー好みのモチーフ。
彼はこの映画の製作にあたって、ロマン・ポランスキーの『反撥』(1965年)の影響を公言しているが、主人公が強度の「性の抑圧」にさらされている設定あたり、その残響がみてとれる。
だが、女優の扱い方は全くもって異なる。『反撥』のカトリーヌ・ドヌーヴは、その肢体から病的なアブノーマリティーをぷんぷんと放っていた。
純白で怜悧な表情の奥底に、精神疾患的狂気が見え隠れ。ルイス・ブニュエルの『昼顔』で隠蔽されたエロスを開花させたドヌーヴには、ポランスキーの要求する異常心理とセクシャリティーを標準装備していたんである。
しかしながら、『ブラック・スワン』のナタリー・ポートマンに、濃厚エロスなど望むべくもなし。「ボーイフレンドは何人かいたけど…」と映画内でナタリーははにかみながら語っているが、娘の私生活に干渉しまくる母親のせいで、彼女は未だに処女のまま。その肉体は少女のように汚れないのである。
汚れなき肉体には、傷痕がつけられなければならない。だからこそ、アロノフスキーは背中の傷や爪への執着といった「自傷行為」で、彼女の異常性を際立たせようとする。
スーパー16mmのザラついた映像に浮かび上がる、血で滲んだ傷だらけの皮膚。『レスラー』と同じく、我々はまたしてもフィジカルな苦痛を味わう羽目に陥ったのだ。
アロノフスキーはしかも、かつて僕のミューズだったウィノナ・ライダーに「お払い箱になる年増のプリマ」という悲惨極まりない役をあてがって、小生の軟弱なハートをさらに突き破らんとするのである。
「あたしなんて空っぽな存在なのよ!」と刃物で自分をメッタ刺しにするシーンなんぞ、あまりにも現実とリンクしすぎていて正視できず。
ブティック窃盗事件以降の、彼女の凋落ぶりについては、特に多くを語る必要もないだろう。僕の現在進行形のミューズであるナタリー・ポートマンが、ウィノナからその座を奪うという設定自体がシニカルすぎ。
『ブラック・スワン』は、若さと老い、美と醜を残酷にも暴きだす物語である。ナタリーの内面で蠢く純白の野心と漆黒の狂気は、それを補完するサブテキストでしかない。
ダーレン・アロノフスキーの容赦のない映画的冒険は、まだ始まったばかりだ。
- 原題/Black Swan
- 製作年/2010年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/108分
- 監督/ダーレン・アロノフスキー
- 製作総指揮/ジョン・アヴネット、ブラッド・フィッシャー、ピーター・フラックマン、アリ・ハンデル、ジェニファー・ロス、リック・シュウォーツ、タイラー・トンプソン、デヴィッド・スウェイツ
- 製作/スコット・フランクリン、マイク・メダヴォイ、アーノルド・メッサー、ブライアン・オリヴァー
- 原案/アンドレス・ハインツ
- 脚本/マーク・ヘイマン、アンドレス・ハインツ、ジョン・J・マクローリン
- 音楽/クリント・マンセル
- 撮影/マシュー・リバティーク
- 編集/アンドリュー・ワイスブラム
- ナタリー・ポートマン
- ヴァンサン・カッセル
- ミラ・キュニス
- バーバラ・ハーシー
- ウィノナ・ライダー
- ベンジャミン・ミルピエ
- セニア・ソロ
- クリスティーナ・アナパウ
- セバスチャン・スタン
- トビー・ヘミングウェイ
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