マイケル・マンが観察者としての自分を見出した、男と女のバトル・ムービー
僕は『フェラーリ』(2023年)を、てっきりジェームズ・マンゴールド監督の『フォードvsフェラーリ』(2019年)のような、痛快レース映画になるものだと思い込んでいた。
だが、その目測は完全に誤り。フェラーリの創業者エンツォ・フェラーリ(アダム・ドライバー)が、妻ラウラ(ペネロペ・クルス)とヒリヒリするような攻防戦を繰り広げる、ハードな『マリッジ・ストーリー』だった。
企画は20年以上前から始動していた。2000年頃にマイケル・マンは、シドニー・ポラックと企画について話し合っていたという。2015年あたりから制作に向けて本格的に動き始め、当初はクリスチャン・ベール、ヒュー・ジャックマンといった名前が挙がっていたエンツォ役は、いま最も巨匠から愛されている俳優アダム・ドライバーが射止めることになる。
これまでマイケル・マンは、『ヒート』(1995年)にせよ、『コラテラル』(2004年)にせよ、『マイアミ・バイス』(2006年)にせよ、はたまた『パブリック・エネミーズ』(2009年)にせよ、スタイリッシュな語りで“男の戦い”を描き続けてきた。彼はジョン・フォードやハワード・ホークスの正統後継者なのだ。
だが本作は、息子ディーノを難病で失ったフェラーリ夫婦による、“男と女の戦い”。なぜマイケル・マンは、これまでのフィルモグラフィーを刷新するような作品を作ったのか。筆者は、その理由をこのように考察する。
- マイケル・マンはスターを撮る監督であり、それ以外はモブキャラとして後景化する。
- フェラーリ役のアダム・ドライバーは、自動車レースを見守る観察者という立ち位置である。
- 若手レーサーが「戦い」を体現するが、モブキャラゆえにレースそのものは物語の中心から外れる。
- 真の「戦い」は、アダム・ドライバーとペネロペ・クルス夫婦の攻防。
- レースではなく夫婦のやりとりを「戦い」の場に設定したのは、マイケル・マン自身が高齢となり、観察者としての自覚を持ったから。
この変化自体が、加齢による衰えだとは決して思わない。むしろ必然的な変遷として受け止めるべきとさえ思う。筆者がこの映画に不満なのは、彼の代名詞たる“夜の都市の官能性”があまりにも薄味だから。
愛聴しているポッドキャスト番組「the sign podcast」で、ライターの木津毅さんが「夜の街のしっとりした感じに象徴されるマイケル・マン的記号を意図的に外したのでは」という発言していて、まさしくそれ!と膝を打った。マイケル・マンは、映像的シグネチャーを自ら放棄してしまっている。
少なくとも僕は、そんな映画をマイケル・マン映画として愛することができない。
- 原題/Ferrari
- 製作年/2023年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/132分
- 監督/マイケル・マン
- 脚本 /マイケル・マン、トロイ・ケネディ・マーティン
- 原作/ブロック・イエーツ
- 製作/マイケル・マン、ジョン・レッシャー、ガレス・ウェスト、アンドレア・イェルヴォリーノ、トーマス・ヘイスリップ、トルステン・シューマッハー、ローラ・リスター、ラース・シルヴェスト、モニカ・バカルディ、P・J・ファン・サンドヴァイク
- 音楽/ダニエル・ペンバートン
- 撮影/エリック・メッサーシュミット
- 編集/ピエトロ・スカリア
- アダム・ドライバー
- ペネロペ・クルス
- シェイリーン・ウッドリー
- ジョゼッペ・フェスティネーゼ
- ダニエラ・ピッペルノ
- ジャック・オコンネル
- パトリック・デンプシー
- ガブリエル・レオーネ
- マリーノ・フランキッティ
- ベン・コリンズ
- サラ・ガドン
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