ひとひねり、ふたひねりほどツイストが足りない航空機パニック・ムービー
デヴィッド・フィンチャーが、そのフィルモグラフィーにミソをつけてしまった失敗作『パニック・ルーム』(2002年)以来、約3年ぶりとなるジョディ・フォスターの主演映画なのだが、いやー怖かった。お話じゃなくてジョディの顔が。
旅客機内で行方不明になった一人娘ジュリアを見つけ出すべく、「娘はどーこーよー!?」と絶叫しながら機内をかけずり回る彼女の姿は、さながら梅図かずおのマンガみたいな形相でありまして、それだけで十分ホラー映画として通用すると思う。
とりあえず映画の主人公が、凛として逞しい「強い母親」というよりも、ヒステリックなオバサンにしか見えないってのは、いかがなものかと。
ジョディ・フォスターが名優であることには疑いはないのだけれど、今回ばかりは内部から放射されるべき「母親としての母性」が、間違った方向にオーバードライブしてしまって、演技が上滑りしているような印象を受けてしまう。
娘の安否を気遣うあまり情緒不安定になっているとはいえ、あまりにも思い込みの激しいキャラとして描かれ過ぎていて、感情移入できないこと甚だしい。
「アンタ、昨晩向かいの家から私たちを覗いていたでショ!」とアラブ人を犯人と決めつけるシーンなんかはその典型で、妄想癖の一歩手前、っていうかもはや人種差別主義者の域。主人公のパニック心理を描くんだったら、もう少し彼女に同調できる設定をカマすべきだったんではないか。
ストーリーにおいても、ひとひねり、いやふたひねりほど足りない印象。「母親が単身で一人娘を守る」だの「密室空間で繰り広げられるサスペンス・スリラー」だの、アウトラインは『パニック・ルーム』と激似ではあるが、誰一人娘の存在を知らないという設定からして、ヒッチコックの『バルカン超特急』(1938年)を換骨奪胎した作品と思ってよろしかろう。
じゃあ大掛かりな政治的陰謀が渦巻いているかというと、そんなものは皆無。大風呂敷を広げた割には「単なる身代金目当てのハイジャック」という肩すかしな真相で、意外にスケールが小さいことにびっくりしてしまう。まさに、大山鳴動して鼠一匹。
監督のロベルト・シュヴェンケは脆弱な脚本をカバーすべく、現実感と非現実感が混じり合う映像設計を施し、「そもそも一人娘のジュリアっつーのは、ジョディ・フォスターが脳内で勝手につくりだした幻じゃないの!?」と観客をミスリードすべく苦心惨憺。
しかしそれが巧妙であれば巧妙であるだけ、真相が明かされた際に「肩すかし」感が強まるという致命的な内部欠陥を露呈してしまう訳で、これはやっぱりアウトラインを再考したほうがいい映画だと思います。
- 原題/Flight Plan
- 製作年/2006年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/98分
- 監督/ロベルト・シュヴェンケ
- 製作/ブライアン・グレイザー
- 脚本/ピーター・A・ダウリング、ビリー・レイ
- 撮影/フロリアン・バルハウス
- 美術/アレクサンダー・ハモンド
- 音楽/ジェームズ・ホーナー
- 衣装/スーザン・ライアル
- ジョディ・フォスター
- ショーン・ビーン
- ピーター・サースガード
- エリカ・クリステンセン
- ケイト・ビーハン
- マイケル・アービー
- アサフ・コーエン
- マーリーン・ローストン
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