『ザ・スイッチ』(2020年/クリストファー・ランドン)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『ザ・スイッチ』(原題:Freaky/2020年)は、クリストファー・ランドンが監督と共同脚本を務めたホラーコメディ映画。家や学校で我慢を強いられ、冴えない日々を送る女子高生ミリーは、ある夜、無人のグラウンドで指名手配中の連続殺人鬼「ブッチャー」に背後から襲われる。彼が手にした呪われた短剣で刺された瞬間、雷鳴と共に2人の身体が入れ替わってしまう。屈強な中年男の姿になったミリーは、警察から追われながらも親友のナイラとジョシュに事情を説明し、協力を得ることに成功する。一方、若く美しい身体を手に入れたブッチャーは、メイクやファッションを変えて周囲を欺きながら、学校で手当たり次第に凄惨な殺戮を繰り広げていく。
マチズモの権化とのボディスワップ
タイムループとスラッシャーホラーを見事に融合させた『ハッピー・デス・デイ』(2017年)で、世界中のホラーファンを熱狂させたクリストファー・ランドン監督。
彼が次なる題材に選んだのは、映画界の手垢にまみれた古典的ボディスワップ、すなわち入れ替わりだ。『転校生』(1982年)とか、『フェイス/オフ』(1997年)とか、『君の名は。』(2016年)とか。
『ザ・スイッチ』(2020年)は、冴えない女子高生と冷酷非情な連続殺人鬼の身体が入れ替わってしまうという、アイデア一発勝負のB級ホラーコメディに見えるかもしれない。
しかしその本質は、驚くほど現代的で鋭いジェンダー批評と、有害な男性性(トキシックマスカリニティ)への痛快極まりないカウンターパンチである。
物語の主人公ミリー(キャスリン・ニュートン)は、アメリカの田舎町に住む地味で気弱な女子高生。スクールカーストの底辺で息を潜めるように生きている彼女は、ある夜、町を震撼させている指名手配中の巨大な連続殺人鬼ブッチャー(ヴィンス・ヴォーン)に襲われる。ブッチャーが盗み出した古代アステカの短剣ラ・ドーラで刺された瞬間、謎の呪いによって二人の魂が入れ替わってしまうのだ。
屈強な大男の肉体に閉じ込められたミリーと、美しく若い少女の肉体を手に入れた殺人鬼。24時間以内に再び短剣で刺し返さなければ、彼女は一生お尋ね者のオッサンの姿で生きていかなければならない。
この設定がもたらす最大の笑いどころは、身長196センチの巨漢ヴィンス・ヴォーンが、中身は完全にティーンエイジャーの女の子として振る舞うという、極上のコメディ演技。
走り方、指先の動き、パニックになったときの甲高い悲鳴、そしてイケメンの同級生に見つめられて思わず頬を赤らめる乙女な表情。キャリアの長いコメディ俳優である彼が全力で演じる内気な女子高生像は、それだけでお釣りがくるほどチャーミングで爆笑を誘う。
一方のキャスリン・ニュートンも素晴らしい。中身が殺人鬼になった瞬間の、底冷えするような冷酷な眼差しと、自分の美貌という武器を完全に理解し、男たちを誘惑しながら残虐な手口で解体していく姿は圧巻だ。
スラッシャー映画のお約束を律儀に踏襲しながらも、ランドン監督はこのボディスワップという古典的手法を使って、アメリカンハイスクールを支配するホモソーシャルな権力構造を内側から食い破っていく。
単なるスプラッターコメディの枠を軽々と飛び越え、観る者の抑圧を解き放つ極上のエンパワーメントムービーとして、本作は立ち上がってくる。
パンセクシュアルのアイコンとスポーツ嫌い
この映画が単なるコメディではなく、徹底して男性性と戦う映画であることは、映画冒頭のミリーの部屋の描写や彼女のキャラクター設定からすでにハッキリと提示されている。
朝目覚めたミリーが真っ先にするのは、壁に貼られたパニック!アット・ザ・ディスコのフロントマン、ブレンドン・ユーリーのポスターにキスをすることだ。
ブレンドン・ユーリーといえば、自身がパンセクシュアル(全性愛者)であることを公言しているポップカルチャー界の重要なアイコンである。
そして彼女の親友ジョシュ(ミーシャ・オシェロヴィッチ)も、オープンなゲイの男の子だ。ミリーを取り巻くプライベートな環境は、いわゆる伝統的なマッチョイズムや異性愛規範から明確に距離を置いた、極めてクィアでセーフティな空間として意図的に設定されている。
しかし一歩外に出れば、そこはスクールカーストとマチズモが絶対的な権力を持つ地獄ハイスクール。ミリー自身はスポーツが嫌いだと公言しているにもかかわらず、学校の伝統というだけでアメフトチームのマスコットであるビーバーの着ぐるみを無理やり着せられ、汗だくになりながらチアリーダーたちと一緒にジョックの応援を強要される。
そして、そんな彼女を同級生のアメフト部員たちは容赦なくからかい、木工の授業では性差別的なクソ教師が彼女をネチネチと精神的にいじめる。
アメリカの高校を支配するアメフト至上主義やチアリーディング文化は、まさにホモソーシャルで有害な男性性が再生産される巨大なシステムそのもの。
ミリーはそこで常に弱い者として扱われ、女性性を消費され、あるいは無力な存在として透明化されている。そして彼女を付け狙う殺人鬼ブッチャーは、圧倒的な物理的暴力で他者をねじ伏せるマチズモの権化のような存在だ。
つまり、ミリーが立ち向かうべき本当の敵は、オカルト的な呪いでも単なる殺人鬼でもなく、彼女の日常を息苦しく覆い尽くしている有害な男性性そのものなのである。
巨大な肉体を奪い返す少女の逆襲
魂が入れ替わったことで、ミリーとブッチャーはそれぞれの肉体が社会の中でどのように扱われるかを強制的に体験することになる。このジェンダーの転覆こそが本作の最大の面白さだ。
少女の身体を手に入れた殺人鬼ブッチャーは、自分がどれほど美しく無害に見えるかを利用して、スクールカースト上位の傲慢なジョックたちを誘い出し、彼らの自尊心を逆手に取って次々と血祭りにあげていく。
かつてミリーを抑圧していたクソ野郎たちが、無防備な少女だと思い込んで近づいた瞬間に極端な暴力で解体されていく様は、倫理的には完全にアウトでありながら、ホラー映画的なカタルシスとしては100点満点だ。
一方、指名手配中の巨大なオッサンの身体に閉じ込められたミリーは、最初は周囲から怪物のように恐れられパニックに陥る。しかし彼女は次第に、この屈強な肉体が持つ絶対的なパワーを自らの意志でコントロールし始めるのだ。
親友のジョシュやナイラ(セレスト・オコナー)を説得し、三人でチームを組んで殺人鬼の身体(中身はミリー)を隠しながら奔走するくだりは、青春バディムービーとしての熱量に溢れている。
とくに胸を打つのは、ミリー(外見はヴィンス・ヴォーン)が片思いの相手であるブッカー(ウリア・シェルトン)と車の後部座席で心を通わせるシーンだ。
外見はどう見ても屈強な中年男性と高校生男子のロマンチックな空気感なのだが、ブッカーは目の前にいるオッサンの内面がミリーであることを完全に信じ、性別や肉体の枠を超えて彼女の魂そのものに触れようとする。ここで提示されるのは、肉体というジェンダーの檻から解放された純粋な愛情の形だ。
最終的にミリーは、自らの身体を取り戻すためにブッチャーとの直接対決に挑む。彼女はもはや、冒頭でビーバーの着ぐるみを着て震えていた無力な少女ではない。
巨大な肉体で男社会の圧力を物理的にはね除けた経験と、親友たちとの強固な連帯を手に入れた彼女は、ホラー映画のステレオタイプな被害者(=ファイナルガール)という役割を拒絶し、自らの足で立ち上がり戦う。
クリストファー・ランドン監督自身がゲイであることを公言しており、彼がホラー映画の文法を借りて描きたかったのは、クィアな存在や社会の周縁に押しやられた弱者たちが、マチズモの暴力に対してどうやって反撃し、連帯して勝利するかという極めてポジティブな祈りだ。
『ザ・スイッチ』は、血みどろのスプラッター描写で観客をゲラゲラ笑わせながら、その実、現代社会にはびこる有害な男性性を徹底的に切り刻み、弱き者たちをエンパワーメントする革命的なスラッシャー映画なのである。
- 監督/クリストファー・ランドン
- 脚本/カロリーナ・カヴァリ、ババク・ジャラリ
- 製作/ジェイソン・ブラム
- 製作総指揮/クーパー・サミュエルソン、ジャネット・ボルトゥルノ
- 制作会社/ブラムハウス・プロダクションズ
- 撮影/ローリー・ローズ
- 音楽/ベアー・マクレアリー
- 編集/ベン・ボードゥイン
- 衣装/ホイットニー・アン・アダムス
- ザ・スイッチ(2020年/アメリカ)
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