『風の谷のナウシカ』──腐海に生まれた少女が問いかける、人類の倫理と生存
『風の谷のナウシカ/宮崎駿』
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『風の谷のナウシカ』(1984年)は、宮崎駿監督が構想15年を費やして完成させた壮大な黙示録的ファンタジー。腐海と呼ばれる毒の森が地上を覆い、人類が滅びゆく世界で、風の谷の王女ナウシカは、人間と自然が共に生きる道を探す。トルメキアとの戦争や巨神兵の復活を経て、少女が選ぶのは“破壊ではなく共生”。科学文明の傲慢と環境破壊を背景に、人間の原罪と希望を描く。
1980年代的エコロジーの完全否定
かつてNHKの対談番組で、作家の吉本ばななが宮崎駿に対し「宮崎さんの作品には、けっこう嫌な女が出てくるんですよね」と率直に指摘したことがあった。
これを受けて宮崎が明らかにムッとしていたのが面白かったが、おそらくその代表格は、『風の谷のナウシカ』(1984年)の主人公ナウシカだろう。
本作が公開された1980年代前半は、高度経済成長の反動として「自然を守ろう」「緑を大切に」といった環境保護運動が一般化し始めた時代。しかしナウシカの思想は、そうした現代人が好むような人間本位で薄っぺらいエコロジーを真っ向から否定している。
劇中で描かれる猛毒の森・腐海は、実は人間が汚し尽くした地球の土壌を、数千年の途方もない時間をかけて浄化するための自浄システムであった。
人間こそが地球を侵食する最大の病原菌であり、自然界からすれば「駆除されるべき対象」に過ぎないという絶望的な事実。それに気づきながらも、ナウシカは狂気的なほどの博愛精神で、恐ろしい王蟲(オーム)をはじめとする異形の蟲たちと人間を全く区別せず、血を流さずに共生できる道を模索し続ける。
吉本ばななが看破した「嫌な女」の正体は、ここにある。迷いも個人的な欲望も捨て去り、全生命への無償の愛と自己犠牲を一切厭わない彼女の完璧すぎる聖女としての振る舞いは、一般的な人間の感情のスケールを大きく逸脱しており、ある種の人間味を欠いたエイリアンのようにすら映るからだ。
宗教的メシア降臨の裏事情と、色濃く影を落とす歪んだ社会主義
物語の終盤、暴走する王蟲の大群の前に命を投げ出して彼らを鎮めたナウシカは、金色の触手によって奇跡の復活を遂げ、「その者青き衣をまといて金色の野に降りたつべし」という言い伝え通りの救世主(メシア)となる。
驚くべきことに、宮崎駿本人はこの大団円を「あまりにも宗教がかってしまった」と激しく後悔している。実は絵コンテの段階では、ナウシカは王蟲の前に降り立つものの、奇跡の復活劇までは明言されていなかった。
それを「映画的なカタルシスが必要だ」として、宗教的な奇跡の演出へと強引に舵を切らせたのは、プロデューサーの高畑勲や鈴木敏夫らであったという制作背景がある。
しかし結果として、「人間は生まれながらにして地球を汚す罪深き生き物である」という強烈な原罪の意識がスクリーンに刻まれたからこそ、この圧倒的なカタルシスは生まれた。
また、『風の谷のナウシカ』は、冷戦下の核の脅威がリアルだった時代背景を反映しており、絶望的な状況下で明日なき戦いを続ける世界観には、ある種の「歪んだ社会主義」の影が見え隠れする。
風の谷という小規模な農業・労働者主体のコミュニティを導く族長としての彼女のカリスマ性は、かつて農民を主体に革命を牽引した若き日の毛沢東を彷彿とさせる。
東映動画時代にゴリゴリの労働組合活動家だった心理的左翼の宮崎が、一人の少女に託したユートピアへの思いはあまりにも切実だ。圧倒的な武力と近代兵器で自然を焼き払おうとする軍事国家・トルメキア帝国が、西側諸国の資本主義・帝国主義のメタファーであることは明白であり、本作はファンタジーの皮を被った極めて高度なイデオロギー闘争の映画でもあるのだ。
重厚なイデオロギーをねじ伏せる「飛翔」のアクション
これほど濃厚な左翼的イデオロギーや宗教的メタファーが充満しているにもかかわらず、本作が歴史に残る一級のエンターテインメントとして完璧に成立している理由は、アニメーション職人・宮崎駿が持つ「アクション作家としての圧倒的な巧みさ」に尽きる。
白い翼「メーヴェ」で大空を滑空し、重力を感じさせないダイナミックな飛翔感。当時若手だった庵野秀明が原画を担当した、巨神兵の肉体がドロドロに溶け崩れながら放つプロトンビームの悍ましさ。
そして、大地を埋め尽くす王蟲の大群が怒りの赤い目を光らせて押し寄せる絶望的な迫力。宮崎は、小難しい思想や絶望的なテーマを、アニメーションの根源的な「動くことの快楽」で完全にねじ伏せてしまう。
知的な理屈を通り越し、視覚的な快感とアクションで観客の脳を麻痺させるこの腕力こそが、宮崎を世界最強のストーリーテラーたらしめている所以である。映画としての強靭な骨格を保ちながら、これほど重厚な哲学的テーマを内包させたことで、彼はおそらく当時の自分が映画で語るべきことを、この一本で「すべて言い切ってしまった」のだろう。
のちの大作『もののけ姫』(1997年)において、血みどろで結論の出ない泥沼の結末にせざるを得なかった「自然と人間の共生」という呪われた主題は、この不思議な少女の圧倒的な飛翔によって、すでにアッケラカンと、そして美しく語り尽くされていたと言える。
やはりこの少女は、途方もなく不思議で、底知れぬ恐ろしさを秘めている。彼女の無垢なる狂気と、それを支える圧倒的なアニメーションの快楽の前に、世界が平伏してしまう理由は、今なら痛いほどよく分かる。
- 製作年/1984年
- 製作国/日本
- 上映時間/116分
- 監督/宮崎駿
- 脚本/宮崎駿
- 原作/宮崎駿
- 製作/徳間康快、近藤道生
- プロデューサー/高畑勲
- 企画/山下辰巳、尾形英夫、奥本篤志、森江宏
- 作画監督/小松原一男
- 撮影/白神孝始、首藤行朝、清水泰宏、杉浦守
- 美術/中村光毅
- 音楽/久石譲
- 島本須美
- 松田洋司
- 辻村真人
- 京田尚子
- 納谷悟朗
- 永井一郎
- 宮内幸平
- 八奈見乗児
- 矢田稔
- 吉田理保子
