宮崎駿のイデオロギーが充満した一級のエンターテイメント
NHKの某番組で、作家の吉本ばななと宮崎駿の対談という企画があった。そこで吉本女史が「宮崎さんの作品ってけっこう嫌な女が出てくるんですよねー」という発言をブチかまし、宮崎駿が明らかにキレそうになっていたのが笑えた。そしてその「嫌な女」の代表格とは、ナウシカに他ならない。
ナウシカは不思議な女性である。彼女は虫と人間を区別しない。そして、ナウシカはエコロジーすらも否定する。エコロジーという発想自体が、人間本位の考え方だからだ。
「地球を大切に」といった陳腐な標語すら、この作品の前ではあまりにも無力。人間社会をおびやかす腐海こそが、地球を浄化する役目を担っているという、皮肉な結論。人間こそが、地球を侵食する存在であることに気付きつつも、ナウシカは人間と腐海が共生できる道を模索する。
「あまりにも宗教がかったラストになってしまった」と宮崎駿本人は満足していないらしいが、“人間は生まれながらに罪深き生き物である”という発想がなければ、このラストシーンは描けなかっただろう。
「風の谷のナウシカ」は、人間が目指すべき方向性を明快に提示しないまま、終幕を迎える。人間という存在そのものが限界に達しているのに、なおかつ明日なき戦いを続けるナウシカの姿に、歪んだ形での社会主義が見え隠れ。
風の谷の王女として、労働者主体コミニュティーを形成する彼女は、かつて中国革命を宣言した毛沢東に酷似している。
中国は、結局ソビエトからの干渉で近代化への道を歩む訳だが、心理的左翼の宮崎駿がナウシカに託した思いは切実だ。だとすれば、武力を背景にした軍事国家・トルメキアを何になぞらえているかは明白だろう。
イデオロギーが充満した作品にもかかわらず、この映画が一級のエンターテイメントとして成功しているのは、職人・宮崎駿のアクション作家としての語り口の巧みさだ。メーヴェに乗るナウシカの飛翔感、オームの大群が押し寄せる圧倒的な迫力。
娯楽映画としての骨格を失わずに、哲学的なテーマを内包した作品を創りあげてしまった宮崎駿は、真性のストーリーテーラーだ。言うべきことは言っちゃったんだろうな、この映画で。それって映画作家としてものすごく幸せなことだ。
ナウシカは飛ぶ。 民族も国家も乗り越えた彼方へ。そして、我々観客も思考のジャンプを余儀なくされる。『もののけ姫』では、より渾沌とした結末にせざるを得なかった「共生」という主題は、不思議な少女ナウシカによって実にアッケラカンと語られてしまった。
やっぱりこの少女は不思議である。吉本ばななのように「嫌な女」とは思わないけど。
- 製作年/1984年
- 製作国/日本
- 上映時間/116分
- 監督/宮崎駿
- 脚本/宮崎駿
- 原作/宮崎駿
- 製作/徳間康快、近藤道生
- プロデューサー/高畑勲
- 企画/山下辰巳、尾形英夫、奥本篤志、森江宏
- 作画監督/小松原一男
- 撮影/白神孝始、首藤行朝、清水泰宏、杉浦守
- 美術/中村光毅
- 音楽/久石譲
- 島本須美
- 松田洋司
- 辻村真人
- 京田尚子
- 納谷悟朗
- 永井一郎
- 宮内幸平
- 八奈見乗児
- 矢田稔
- 吉田理保子
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