『マエストロ その音楽と愛と』(2023年/ブラッドリー・クーパー)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『マエストロ その音楽と愛と』(原題:Maestro/2023年)は、俳優ブラッドリー・クーパーが『アリー/スター誕生』(2018年)に続いて監督・共同脚本・主演を務め、アメリカを代表する世界的指揮者にして作曲家のレナード・バーンスタインと、妻である女優フェリシア・モンテアレグレの愛の軌跡を描いた伝記ドラマ。25歳でのカーネギー・ホールでの劇的なデビューから、『ウエスト・サイド物語』(1957年)の成功へと至る華々しい表舞台の光。その背後で、天賦の才と奔放なセクシュアリティを持て余すレナードと、彼の全てを理解し、愛しながらも、次第に自己のアイデンティティを見失っていくフェリシアの、歓喜と苦悩に満ちた結婚生活が、数十年にわたる時の流れとともに綴られていく。
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伝記映画クリシェを破壊するミニマル会話劇
映画『マエストロ:その音楽と愛と』(2023年)を観て、僕は彼の底知れぬ才能に、完全に打ちのめされてしまった。
彼がここまで緻密で計算し尽くされた技巧的映画作家だったとは、正直想像もしていなかった。世紀の天才指揮者にして作曲家であるレナード・バーンスタインの生涯を描く伝記映画でありながら、本作はこれまでのハリウッドが量産してきた偉人伝のテンプレートを見事なまでに粉砕している。
通常この手の音楽家伝記映画といえば、不遇の時代から始まり、歴史的名曲が誕生する瞬間のカタルシスを描き、そして名声の裏でのドラッグやスキャンダルによる転落、最後は劇的な復活劇で幕を閉じるという、わかりやすいサクセスストーリーが用意されるものだ。
ところが本作は、彼が手がけた『ウエスト・サイド・ストーリー』(1957年)の大成功といった映画的見せ場となり得る決定的な出来事を意図的にすっ飛ばしている。
天才の輝かしいキャリアを物語の推進力にするのではなく、彼と妻フェリシア・モンテアレグレ(キャリー・マリガン)との間に横たわる複雑で親密な関係性、つまり徹底した会話劇へとフォーカスを極限まで絞り込んでいるのだ。
重大な事件や歴史の転換点は画面の外に追いやられ、僕たち観客はふたりの何気ない日常のやり取りや、タバコの煙がくすぶる寝室での口論をただ静かに見つめることになる。
言葉の端々に滲む苛立ちや、視線のわずかなズレから、彼らの間に生じた決定的な亀裂や時間の経過を類推させる。この極めて理知的で引き算を極めたストーリーテリングは、観客の想像力と読解力を信じ切っていなければ絶対に成立しない。
説明ゼリフを徹底的に排除し、二人の関係性の微細な揺らぎだけで129分を牽引し切るクーパーの剛腕ぶりには、ただただ平伏するしかない。
クローズアップと望遠固定カメラがもたらす映像空間統制
そして何より僕を唸らせたのが、本作の異常なまでの視覚的統制だ。僕自身、映画を観るときは物語の内容よりも画面の構図や編集リズムといった視覚的インパクトを絶対的に重視する傾向があるのだけれど、本作のカメラワークはその点において完璧な快楽を提供してくれる。
前半のモノクローム画面でのスタンダードサイズから、後半のカラー映像へと移行するアスペクト比の操作もさることながら、画面内の空間設計がとにかく異常なのだ。
クローズアップを用いた切り返しショットという極めてスタンダードな会話劇の文法を踏襲したかと思えば、突然遠くにいる被写体を望遠レンズの固定カメラで長回しで捉えたりする。
たとえば二人がセントラルパークを背にして口論するシーン。カメラは彼らの顔に寄ることはせず、窓枠越しに遠く離れた場所からふたりの姿を冷徹に観察し続ける。この極端な視点の切り替えが、二人の間に生じた埋めようのない距離感や孤独を視覚的に直接突きつけてくる。
さらに驚くべきは、この映画が徹頭徹尾バーンスタインとフェリシアだけの世界として構築されていることだ。彼らは常に多くの友人や仕事仲間に囲まれた華やかな世界で生きているはずなのに、クーパー監督は意図的にモブキャラたちをフレームの端に追いやり、あるいはピントをぼかして存在を消し去っている。
まるでこの広大な世界に彼ら二人しか存在していないかのような、息の詰まるような強烈な閉鎖空間。デヴィッド・フィンチャーやスタンリー・キューブリックといった冷徹な映像作家たちが画面の隅々までコントロールする強迫観念的美学に極めて近いものを、この映画からビシビシと感じるのだ。
イーリー大聖堂の奇跡と愛の暴力性
会話劇をベースにした静謐な展開のなかで、突如として画面に爆発的なエネルギーが放出されるのが、終盤に用意されたイギリスのイーリー大聖堂でのコンサートシーンだ。
バーンスタインがマーラーの交響曲第2番をロンドン交響楽団とともに指揮するこの歴史的パフォーマンスは、映画史に残る圧倒的音楽体験としてスクリーンに刻み付けられている。
ブラッドリー・クーパーは数ヶ月にわたって指揮の特訓を受け、この6分間にも及ぶ長回しシーンを代役なしで指揮し切ったという。全身から汗を吹き出し、音楽の巨大な波に完全に呑み込まれ、もはやトランス状態に陥っているかのようなバーンスタインの姿。そこには知性や理屈を超越した、音楽という魔物が持つある種の暴力性すら垣間見える。
そして、その圧倒的な天才のエネルギーを客席の特等席で見つめるフェリシアの表情。彼女は夫の抗いがたい才能に再び平伏し、彼を愛さずにはいられない自分自身の残酷な運命を受け入れるのだ。
バーンスタインは男性とも関係を持つバイセクシュアルであり、フェリシアはその事実を結婚前から知りながら彼を受け入れた。しかし彼の底なしの欲望と巨大すぎる才能の前に、彼女の自我は少しずつすり減り、やがて病魔に侵されていく。
天才の光を浴び続けることで影となっていく妻の孤独。絶対的権力者に支配される構図は過去の伝記映画でも幾度となく反復されてきたが、フェリシアの場合は自らの意志でその残酷な愛のゲームに参加し、最後まで闘い抜いたという点でより深く重厚な悲劇性を帯びている。
演出家ブラッドリー・クーパーの誕生
監督デビュー作『アリー/ スター誕生』(2018年)の成功を目にしても、多くの人は彼を演技派俳優が片手間にメガホンを取ったよくあるパターンだと高を括っていたかもしれない。
しかし本作『マエストロ』は、そんな色眼鏡を木端微塵に粉砕し、彼が現代アメリカ映画界における本物の映像幻視者であることを完全に証明してみせた。
本作のプロデューサーにはマーティン・スコセッシとスティーヴン・スピルバーグというハリウッド二大巨頭が名を連ねている。もともとはスピルバーグ自身が監督する予定だったプロジェクトを、クーパーが熱烈に直訴してメガホンを奪い取ったという経緯がある。
巨匠たちの威光を借りるどころか、彼らの古典的な演出文法すら軽々と凌駕し、自分自身の極めてパーソナルで前衛的な映像言語で129分を構築し切った剛腕。
役者の細やかな表情の揺らぎを捉える確かな演技指導と、画面全体の構図を冷酷なまでにコントロールする映像作家としての客観性。このふたつの相反する能力を極めて高いレベルで統合しているクーパーの演出力には、もはや畏怖の念すら抱いてしまう。
ジャズやクラシックといったジャンルを超えて音楽を愛したバーンスタインの生涯を、説明的なナラティブではなく純粋な映像構図と会話のグルーヴだけで表現し切った。
これほどまでに理知的で残酷な映画空間を作り上げる演出家ブラッドリー・クーパーが、これから先どんな未知の領域へと足を踏み入れていくのか。僕たちは固唾を呑んで見守るしかない。
- 監督/ブラッドリー・クーパー
- 脚本/ブラッドリー・クーパー、ジョシュ・シンガー
- 製作/マーティン・スコセッシ、ブラッドリー・クーパー、スティーヴン・スピルバーグ、フレッド・バーナー、エイミー・ダーニング、クリスティ・マコスコ・クリーガー
- 製作総指揮/カーラ・ライジ、ジョシュ・シンガー、ボビー・ウィルヘルム、ウェストン・ミドルトン、トレイシー・ランドン
- 制作会社/シクリア・プロダクションズ、アンブリン・エンターテインメント
- 撮影/マシュー・リバティーク
- 音楽/レナード・バーンスタイン
- 編集/ミシェル・テゾーロ
- 美術/ケヴィン・トンプソン
- 衣装/マーク・ブリッジス
- マエストロ その音楽と愛と(2023年/アメリカ)
