『オルエットの方へ』(1970年/ジャック・ロジエ)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『オルエットの方へ』(原題:Du cote d’Orouet/1970年)は、ジャック・ロジエが監督・脚本を務めた映画。オルエットの海辺の別荘を舞台に、バカンスにやってきたキャロリーヌ、ジョエル、カリーンの3人の少女たちが過ごす、あてどなくも眩い夏の日常が描かれる。女たちだけで気ままに泳ぎ、料理をし、悪ふざけに興じる生活の中に、ジョエルの上司であるジルベールが遅れて合流する。密かにジョエルに恋心を抱くジルベールだったが、少女たちの冷ややかな態度や無邪気な悪意に翻弄され、庭に張ったテントで寂しく夜を明かすなど、不条理で滑稽な扱いを受け続ける。さらに、3人は海からの帰り道に地元の魅力的な青年パトリックと出会い、彼を巻き込んで乗馬やヨットを楽しむようになり、ジルベールへの扱いはさらにエスカレートしていく。
終わらない夏を夢見るパリジェンヌたち
フランスの巨匠ジャック・ロジエが遺したヴァカンス映画の金字塔、『オルエットの方へ』(1971年)を、ユーロスペースで観た。正直に言って、2025年に観た映画のなかで間違いなくトップクラスに大好きな一本だ。
1970年代初頭に製作された作品でありながら、画面から絶え間なく立ち上ってくる瑞々しさと自由な空気は、半世紀以上の時間をまったく感じさせない。ジャック・ロジエ恐るべし!この監督が持つ映画的センスと生々しい人間観察力は、ちょっと常軌を逸しているレベルにある。
物語の始まりは極めてシンプル。9月の初め、パリのオフィスで働くジョエルは、友人のカリーン、そして別荘の持ち主である親戚のキャロリーヌとともに、大西洋に面した海辺の田舎町オルエットへ遅めのヴァカンスに出かける。
そこからスクリーン上で展開するのは、最高にお洒落でキュートなパリジェンヌ素敵ガールズたちによる、ひたすらワチャワチャした海辺の共同生活だ。
ワッフルを頬張り、海辺で無邪気にはしゃぎ、ベッドの上で他愛のないガールズトークに興じる。彼女たちのその無軌道で無防備な姿は、まるで台本のないプライベートなドキュメンタリーを見ているかのような生々しい手触りを持っている。
ロジエのカメラは、彼女たちを無理に劇的なドラマへと押し込めようとはしない。ただひたすらに、過ぎ去っていく夏の終わりの輝きをフィルムに定着させることだけに注力している。
予定調和のストーリーテリングをあっさりと放棄し、その場その場の思いつきや役者たちの即興演技を最優先するスタイル。それはまさに、フランス・ヌーヴェルヴァーグの反骨精神と自由な映画作りの正統な延長線上にある。
彼女たちのキャッキャとした笑い声を聞いているだけで、僕たち観客まで一緒にオルエットの別荘に滞在しているような、幸福な錯覚に陥ってしまうのだ。
横移動ドリーショットが生み出す圧倒的運動快楽
特筆すべきは、ヤバいくらいの映画的運動感。僕は映画を観るとき、どうしてもストーリーの整合性より視覚的なインパクトや画面の構図、そしてカメラの動線に目が行ってしまうのだけど、『オルエットの方へ』の撮影はまさに眼福だった。
とくに中盤以降、海辺を舞台にしたアクションめいたシークエンスの数々には完全に度肝を抜かれた。波打ち際で重たいボートをみんなで必死に押し出しながら全力でダッシュするシーン。
あるいは、広大な砂浜を馬に乗って猛スピードで駆け抜けていくシーン。そこでロジエが執拗に多用するのは、被写体と完全に並走しながら捉え続ける、息を呑むような横移動ドリーショットだ。
手持ちカメラ特有の揺れを伴いながら、風を切り裂いて進む被写体をどこまでも追いかける長回しのトラックアップ。そこには、映画というメディアが本質的に持っている、動くものを撮るという純粋な物理的快楽が100パーセントの純度で詰まっている。
打ち寄せる波の音、吹きすさぶ冷たい海風、そして登場人物たちの荒い息遣い。視覚と聴覚のすべてが、スクリーンを横へ横へと流れていく圧倒的運動快楽に奉仕しているのだ。
複雑なCGも派手な爆発も一切ない。ただ人間が海辺を全力で走っているだけなのに、どうしてこれほどまでに胸がすくような感動を覚えるのか。それはロジエが、頭で考えた理屈や説明台詞ではなく、肉体の躍動そのものを完璧な映像言語としてフィルムに焼き付けているからだろう。
このカメラワークの凄まじさを前にすると、現代の多くの映画がいかにナラティブに依存しすぎて説明過多であり、視覚的な快楽において停滞してしまっているかを痛感させられてしまうのだ。
ジルベールのクッキングと忍び寄る倦怠ムード
そんな躍動感あふれるヴァカンスの空気に、絶妙なノイズと最高のユーモアをもたらすのが、ジョエルの職場のイヤミな上司ジルベール(ベルナール・メネズ)の登場だ。
彼は部下であるジョエルに密かな恋心を抱いており、あろうことか偶然を装って女三人だけの聖域に乗り込んでくる。そして別荘の庭に勝手にテントを張り、図々しく合流しようとするのだが、当然のごとく女子たちからは猛烈な塩対応を受け続けることになる。
ジルベールが女子たちの気を引こうと、ひとりキッチンでパスタや謎の料理作りに孤軍奮闘するクッキングシーンは、本作屈指のハイライトだ。絶妙に間の抜けた手つきと、誰にも褒められない報われない空回りっぷり。
ベルナール・メネズのそのあまりにもチャーミングで哀愁漂う佇まいは、チャップリンやバスター・キートンといったサイレント時代の喜劇俳優すら彷彿とさせる天才的なコメディセンスを放っている。
しかし、映画はただ楽しい喜劇のままでは終わらない。天候が崩れ始め、太陽が厚い雲に隠れるのと呼応するように、彼女たちの関係性に少しずつギクシャクとした不協和音が混じり始める。
ヨット乗りの地元の青年パトリックが現れたことで、女子たちの間の力学が微妙に変化し、どうしようもない退屈と倦怠ムードが別荘を支配し始めるのだ。
永遠に続くと思われた楽しいヴァカンスも、時間が経てば確実に飽きがくる。昨日まであんなに笑い合っていたのに、今日はなんだか顔を合わせるのも億劫になる。
この楽しい時間の賞味期限切れを、ロジエは一切の誇張なしに、残酷なまでの解像度で描き出していく。祭りの最中の熱狂だけでなく、徐々に冷めていく空気のグラデーションまでを完璧にコントロールする演出力には、ただただ舌を巻くしかない。
祭りのあとのアフターパーティ感
そして映画の終盤、ついにヴァカンスの日々は完全に終わりを告げ、彼女たちは灰色の現実が待つパリの街へと帰還していく。このパリに戻ってからの、まるで熱気から冷めたようなアフターパーティ感が、たまらなく切なく、そして最高に素晴らしい。
海辺の太陽の下ではあんなにキラキラと輝き、特別な絆で結ばれていたはずのパリジェンヌたち。しかし、パリの無機質なオフィスや薄暗いアパートメントのなかに配置された途端、あれほど強烈だった魔法は完全に解けてしまう。
あの日焼けした肌も、海辺で拾った美しい貝殻も、都会の日常の中ではただの場違いな異物でしかない。あの終わらないワチャワチャした夏は、もう二度と戻ってこない幻だったのだと、観客も登場人物たちも同時に悟ることになる。
ジャック・ロジエがこの映画で描きたかったのは、単なる美しい夏の思い出ではない。ひとつの季節が始まり、若さの特権で燃え上がり、やがて気まずい倦怠を迎え、最後には跡形もなく消え去ってしまうという、人生そのものの残酷なサイクルだ。
僕たちが生きていくうえで絶対に避けては通れない祭りのあとの喪失感を、これほどまでに軽やかに、そして深く胸に刺さる形で映像化した作品を、僕は他に知らない。
前半の多幸感あふれるバカンスから、後半のヒリヒリするような日常へのグラデーション。完璧なカメラワークと、俳優たちの即興が織りなす奇跡的なアンサンブル。
1971年に作られたこの映画は、半世紀を経た今でもまったく古びることなく、僕たちの心を激しく揺さぶり続ける。映画という表現の豊かさと、過ぎ去る時間の残酷さを同時に突きつけてくる傑作。
ジャック・ロジエという底知れぬ怪物監督の才能に、ただただ平伏するしかなし!
参考文献・出典
- 監督/ジャック・ロジエ
- 脚本/ジャック・ロジエ
- 製作/ヴァンサン・マル
- 制作会社/V.M.プロダクションズ
- 撮影/コラン・ムニエ
- 音楽/ゴング、デヴィッド・アレン、ジリ・スマイス
- 編集/ジャック・ロジエ、オディール・ファイヨ
- オルエットの方へ(1970年/フランス)
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