『プリシラ』(2023年/ソフィア・コッポラ)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『プリシラ』(原題:Priscilla/2023年)は、ソフィア・コッポラ監督がエルヴィス・プレスリーの元妻プリシラ・プレスリーの回想録『私のエルヴィス』を基に、愛と支配の鳥籠に囚われたひとりの少女の孤独と自立を描いた伝記ドラマ。14歳で世界的スターと出会い、彼が暮らす大邸宅グレースランドへと迎え入れられたプリシラ(ケイリー・スピーニー)。しかし、そこは夢のようなおとぎ話の世界ではなく、エルヴィス(ジェイコブ・エロルディ)の理想や好みに合わせて自らを鋳型にはめ込まれ、ただひたすらに彼の帰りを待つだけの、美しくも息苦しい閉鎖空間であった。孤独を抱えるプリシラの心情が、淡く霞んだパステルカラーの映像美や、フェニックスによるノスタルジックで浮遊感のあるスコアによって、言葉以上に雄弁に語られる。
- 第80回ヴェネツィア国際映画祭:主演女優賞
現代のヴェルサイユ宮殿としてのグレイスランド
ソフィア・コッポラ監督の『プリシラ』(2023年)を観て、僕は強烈な既視感と、新しい映像体験の波に同時に呑み込まれた。
かつて彼女が『マリー・アントワネット』(2006年)で、豪華絢爛なヴェルサイユ宮殿に閉じ込められた若き王妃の孤独と狂騒を、まるで現代のティーンエイジャーのポートレートのように軽やかに描き出した、あの奇跡の手つき。
それが本作では、1960年代のアメリカ南部メンフィスへと舞台を移し替え、キング・オブ・ロックンロールことエルヴィス・プレスリーの妻、プリシラ・プレスリーの語られざる半生として見事に反復されているのだ。
物語は1959年、西ドイツの米軍基地で静かに幕を開ける。わずか14歳のプリシラ(ケイリー・スピーニー)が、兵役で駐留していた世界的スーパースターのエルヴィス(ジェイコブ・エロルディ)に見初められ、やがて彼の待つメンフィスの大邸宅グレイスランドへと迎え入れられる。
しかし、そこに待っていたのは夢にまで見たロマンチックなおとぎ話などではない。絶対的権力者であるエルヴィスの気まぐれに完全に支配され、ただひたすら彼がツアーや映画撮影から帰ってくるのを待ち続けるだけの、息の詰まるような隔離生活だ。
巨大な屋敷の中で、プリシラはエルヴィスの好みに合わせて髪を黒く染め上げ、高く盛り付け、濃いアイメイクを施される。着る服の色まで指定され、まるでお気に入りの美しいアンティーク人形のようにカスタマイズされていく。
ソフィア・コッポラは、このある種のグルーミングとも言えるいびつな権力勾配を、決して声高な告発調で描くことはない。あくまでプリシラの主観に寄り添い、煌びやかな鳥籠の中で少しずつ窒息していく少女の静かな絶望を、極めてパーソナルで親密な手触りの映像として紡ぎ出す。
グレイスランドという名の現代のヴェルサイユ宮殿で、世界一有名なスターの妻という特権的な地位を手に入れながらも、その実態は誰よりも孤独な幽閉者。
この自己決定権を奪われた少女の閉塞感は、情報過多な現代社会でSNSの見えない同調圧力に縛られている僕たちの息苦しさともどこか強くリンクしている。
過去の偉人の伝記映画という枠を軽々と飛び越え、普遍的青春映画として成立させてしまうコッポラの作家性は、キャリアを重ねてなお圧倒的鋭さを保ち続けている。
プレスリー楽曲完全不在の音楽センス
本作の驚くべき企みといえるのが、エルヴィス・プレスリーを描いた映画でありながら、彼のオリジナル楽曲が一切使用されていないという事実だ。
製作段階でエルヴィス・プレスリー・エンタープライズから、楽曲の使用許可が下りなかったという大人の事情があったのは事実だが、コッポラ監督はこの逆境を見事な逆手にとり、映画の視点を「エルヴィス」から「プリシラ」へと完全に固定させるための強力な武器へと変換してみせた。
もしここでエルヴィスの名曲が高らかに鳴り響いていれば、観客はどうしても彼のカリスマ性やスターとしての輝きに、意識を持っていかれてしまう。
しかし彼の音楽を徹底的に排除したことで、スクリーンに映し出されるのは「ステージ上の神」ではなく、家の中で不機嫌に薬物を飲み、感情を爆発させ、すぐに甘い言葉で謝罪してくる「ただの厄介な男」としてのエルヴィスになる。この音楽的不在が、プリシラから見た箱庭的現実を何よりも雄弁に物語っているのだ。
代わりに全編を彩るのは、コッポラ作品には欠かせない夫トーマス・クロワが率いるフランスのロックバンド、フェニックスによる浮遊感あふれるオリジナルスコア。
さらに、ラモーンズやスペクトラムといった、時代設定を完全に無視した時代錯誤的ポップミュージックが絶妙なタイミングで挿入される。『マリー・アントワネット』で18世紀の宮殿にニュー・ウェイヴやポストパンクを響かせたあの手法の再来である。
1960年代のメンフィスという閉鎖的な空間に、あえて異なる時代のインディーポップをぶつけることで、プリシラの内面で渦巻く反抗心や混乱、そして言葉にできないメランコリーが、リアリティを持って立ち上がってくる。
エルヴィスが好む音楽ではなく、プリシラ自身の魂のサウンドトラックが鳴り響く。この徹底的音楽センスこそが、コッポラ映画が常に特別な魔法を放ち続ける最大の理由だ。
余韻を強制終了するエディット感覚
シーンとシーンを繋ぐ独特のエディット感覚も素晴らしい。一般的なハリウッドの伝記映画であれば、感情的なクライマックスや悲劇的な別れのシーンの後には、観客に感情移入させるためのたっぷりと間を取った余韻が用意されるはず。
しかし本作の編集を手がけたコッポラ組の常連サラ・フラックは、そうした感傷的な余韻をことごとく、そして残酷なまでにバッサリと断ち切っていく。
エルヴィスが激昂してプリシラに暴言を吐くシーン。彼女が涙を流して崩れ落ちるその直後、映画はブツリと情け容赦なくカットを割り、何事もなかったかのように次の日の退屈な日常風景へと強制移行する。
この余韻を残さない編集リズムは、エルヴィスの感情の起伏にただ振り回されるしかないプリシラの精神的疲労を、観客の皮膚感覚へとダイレクトに伝達する完璧な装置として機能している。
観客が感情を整理する間もなく、彼女は再び薬を飲み、メイクを直し、巨大な屋敷でひたすら電話を待ち続ける。待ち続けることの退屈さと、時間がただ無意味に溶けていく残酷なループ。
短いモンタージュの連続によって処理されるそのスピーディーな展開は、一見するとテンポが良いように見えて、実は出口のない無間地獄をループさせられているような底知れぬ怖さを内包している。
出来事をドラマチックに盛り上げるのではなく、あえて淡々とフラットに繋ぎ合わせることで、絶対的な権力者に依存する生活がいかに人間の感情を麻痺させ、空洞化させていくかを浮き彫りにする。
この冷徹でソリッドな編集感覚が、甘くガーリーな映像の裏側に潜むフェミニズム的批評性を何よりも鋭く研ぎ澄ませているのだ。
太陽光と日陰の空間設計
この映画の視覚的ハイライトは、全編を通して徹底された光と影の空間設計にある。
撮影監督フィリップ・ル・スールが35ミリフィルムで捉えたグレイスランドの邸宅は、1960年代特有の温かみのある色彩と、窓から差し込む美しい太陽の光に満ち溢れている。しかし、どれほど太陽が燦々と降り注ぐ明るい部屋の中であっても、プリシラは常に「日陰」に佇んでいるようにフレーミングされているのだ。
巨大なふかふかの絨毯の上に座り込む彼女の姿は、周囲の豪奢な家具やエルヴィスの圧倒的スケール感に呑み込まれ、常に不自然なほど小さく、まるで幽霊のように配置される。
光が当たるのは常にエルヴィスの側であり、彼女はその強烈な光が落とす巨大な影の中でおとなしく息を潜めている。この完璧に計算された画面構図が、二人の間にある絶対的権力勾配と、彼女のアイデンティティの喪失を無言のうちに雄弁に語り尽くしている。
彼女は太陽(=エルヴィス)の光を反射することでしか輝くことが許されない月のような存在だ。どれだけ美しいドレスを着飾っても、日陰に佇む彼女のシルエットはどこまでも寂しげで、その静寂な美しさが観客の胸を激しく締め付ける。
映画というメディアにおいて、照明とフレーミングがどれほど登場人物の心理状態を的確に表現できるかという、まさに映像演出の極北がここにある。
だが物語の最終盤、自らの意志でついにエルヴィスとの決別を決意したプリシラがグレイスランドを去るラストシーン。車を走らせる彼女の顔に、初めて彼女自身の光である本物の太陽が真っ直ぐに差し込んでくる。
カーステレオから流れるドリー・パートンの名曲『I Will Always Love You』(エルヴィスがカバーを望んだが、権利問題で叶わなかったという強烈な皮肉が込められた曲だ!)とともに、彼女はついに誰かの影であることをやめ、自分自身の人生のハンドルを握る。
太陽の光に包まれた彼女の清々しい表情を見た瞬間、この映画がどれほど美しく、強靭な解放の物語であったかを思い知らされるのだ。
- 監督/ソフィア・コッポラ
- 脚本/ソフィア・コッポラ
- 製作/ソフィア・コッポラ、ロレンツォ・ミエーリ、ユーリー・ヘンリー
- 製作総指揮/プリシラ・プレスリー、ロマン・コッポラ、フレッド・ルース、クリス・ハッチャー
- 制作会社/A24、アメリカン・ゾエトロープ
- 原作/プリシラ・プレスリー、サンドラ・ハーモン
- 撮影/フィリップ・ル・スール
- 音楽/フェニックス
- 編集/サラ・フラック
- 美術/タマラ・デベレル
- 衣装/ステイシー・バタット
- ヴァージン・スーサイズ(1999年/アメリカ)
- ロスト・イン・トランスレーション(2003年/アメリカ)
- マリー・アントワネット(2006年/アメリカ)
- SOMEWHERE サムウェア(2010年/アメリカ)
- オン・ザ・ロック(2020年/アメリカ)
- プリシラ(2023年/アメリカ、イタリア)
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