2026/5/3

『レッド・ロケット』(2021)徹底解説|なぜショーン・ベイカーはしょーもない人間を愛おしく撮るのか?

『レッド・ロケット』(2021年/ショーン・ベイカー)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー

10段階評価
8
GOOD

概要

『レッド・ロケット』(原題:Red Rocket/2021年)は、『タンジェリン』『フロリダ・プロジェクト』で知られるショーン・ベイカー監督が手がけたドラマで、脚本はショーン・ベイカーとクリス・ベルゴックの共同執筆。かつてポルノ業界で成功を夢見た男が故郷テキサスに戻り、元妻や近隣住民との関係を通して再び人生の再起を図る姿を描く。主演はサイモン・レックスで、スザンナ・サン、ブリー・エルロッドらが出演。第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式出品され、パフォーマンスと演出が高く評価された。

受賞歴
  • 2021年ナショナル・ボード・オブ・レビュー:インディペンデント映画トップ10
  • 2022年度映画秘宝:第5位
目次

テキサスの片隅に吹き溜まった夢の残骸

テキサス州テキサスシティ。巨大な製油所の煙突から立ち上る炎と、無機質な高速道路に挟まれた、アメリカのどこにでもありそうなうらぶれた片田舎。

ショーン・ベイカー監督の『レッド・ロケット』(2021年)は、この乾いた土地に取り残された、しょーもない人間たちの、しょーもない(けれどどうしようもなく愛おしい)数日間を追いかけた映画である。

主人公のマイキー・セイバーは、ロサンゼルスでのポルノスター稼業に行き詰まり、ボロボロになって17年ぶりに故郷へと舞い戻ってきた中年男。

履歴書は穴だらけ、ポケットにはたったの22ドル。まともな働き口など見つかるはずもなく、かつての妻とその母が暮らす家に図々しく転がり込み、マリファナの運び屋で日銭を稼ぎながら、天性の口八丁で周囲の好意を搾取していく。

彼の周りを取り巻くのもまた、見事なまでに社会の周縁にいる人々だ。いつも庭先にいるポンコツ青年のロニー、ドラッグディーラーの一家、そして工場を理不尽にクビになった女性たち。

誰も彼もが少しずつ社会のレールからズレていて、ひどくダサくて、でも人間としての生々しい体温を持っている。ベイカーはここでも、決して成功者の物語にはカメラを向けない。

『タンジェリン』(2015年)や『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』(2017年)と同じように、アメリカン・ドリームの幻想から完全に滑り落ちた人々の足元だけを、頑固なまでに撮り続けているのだ。

その中心で騒ぎ立てるマイキーは、最低のヒモ男であり、救いようのないナルシストでありながら、同時にどうしようもなく魅力的な愛嬌を放っている。

この絶妙なキャラクター造形は、主演を務めたサイモン・レックスの特異なキャリアと無関係ではない。かつてMTVのVJとして人気を博し、実際にポルノビデオへの出演経験も持ち、ハリウッドのメインストリームから半ば忘れ去られていた彼自身の人生が、マイキーという役柄に生々しい説得力を与えているのだ。

マイキーのダメさは、単なる個人の資質というよりも、アメリカという国家の片隅に分厚く蓄積された「消費された夢の残骸」が、人間の形をとって歩き出した結果のように見えてくる。

巧妙に仕組まれたNSYNCの毒

この映画には、映画ファンのツボをいちいち正確に突いてくる。悪趣味ギリギリの素晴らしいショットや演出が、やたらと詰め込まれているのだ。

まず目を引くのが、あの急激なズームの多用。何気ない日常の会話や風景のなかで、ベイカーはときどき、70年代のエクスプロイテーション映画やテレビのワイドショーのような勢いでギュンッと被写体に寄る。

笑ってしまうくらい唐突なのだが、その意図的なダサさが、停滞した画面の空気を一気にブーストさせる。これは人物の繊細な心理描写などではなく、「しょーもない瞬間を、全神経を集中させて見よ!」という、監督からの悪戯っぽくも挑発的な指示なのだ(多分)。

そして、全編を通じて最も耳に残るイン・シンク(NSYNC)の2000年の大ヒット曲「Bye Bye Bye」の、ダサカッコいい使い方。

2000年代初頭のボーイバンド・ポップの象徴を、2020年代のテキサスのうらぶれた片田舎に持ち込むそのセンスのズレ方が、最高にクールだ。

しかもベイカーは単に原曲を流すだけでなく、ヒロインであるストロベリー役のスザンナ・サン(彼女もまた、ベイカーが映画館で偶然スカウトした無名の新人だ)がピアノで弾き語るスローカバーを、映画のメインモチーフとして見事に貫いている。

マイキーとストロベリーがベッドの上でダラダラと喋ったあとに響き渡る、「Bye Bye Bye」の切ないメロディ。その瞬間に、ふたりの関係がとんでもなく不健全なロマンチシズムを帯びていく。

マイキーは17歳の彼女の才能を「ポルノ界で大金に化ける商品価値」としてしか見ておらず、そこにあるのは明らかな搾取の構造だ。

それなのに、音楽だけはまるで純愛映画のクライマックスのように甘ったるく鳴り響く。この強烈なギャップこそが、本作が隠し持つ最も恐ろしい“毒”である。

マイキーのフルチン疾走

さらに白眉は、マイキーのフルチン疾走だろう。全裸で夜の街を必死に走り抜ける彼の姿は、極上のコメディであると同時に、彼のキャラクターの本性が最も純粋な形でむき出しになった瞬間でもある。

虚勢も、口八丁も、見栄を張るためのブランド服もすべて剥ぎ取られたときに残るのは、哀れで滑稽な、ひとりの中年男の肉体だけだ。僕たちはその滑稽さに腹を抱えて笑いつつも、どこか胸の奥がチクリと痛むのを止められない。

ドーナツ屋で働くストロベリーの「エロかわいさ」も特筆に値する。制服の赤、印象的なそばかす、そして少し投げやりな笑顔。鈍い蛍光灯の下で、彼女の魅力はハリウッド的なキラキラとした輝きではなく、薄く油の浮いた安物のコーヒーのように、じわっと画面に広がっていく。

観客もマイキーも、その生々しい魅力に同時に落ちていくからこそ、彼女をポルノ産業へ連れ出そうとする彼の目論見が、よりいっそう危うく、そして残酷に見えてしまうのだ。

夕暮れと工場夜景の艶かしさ

ショーン・ベイカーは『タンジェリン』でのiPhone撮影、『フロリダ・プロジェクト』での35ミリフィルム撮影に続き、今回も光と質感を完璧にコントロールしてしまった。

『レッド・ロケット』は、あえて粗さの残る16ミリフィルム(Arriflex)で撮影されており、そのざらついた粒子感が、テキサスシティの埃っぽく湿った空気と見事に共鳴している。

とりわけ、ベイカーは夕暮れ時(マジックアワー)を撮らせたら天下一品。オレンジと深い紫が溶け合う奇跡のような時間帯の光が、錆びついた工場や寂れた住宅街を、あり得ないほど官能的で美しく染め上げていく。

背景に巨大な製油所の炎と煙突のシルエットが浮かび上がる工場夜景の艶かしさは、間違いなく本作のハイライトのひとつだ。同時にそれは、この土地から絶対に逃れられないという、重い磁力のようなものが画面から立ち上がってくる。

この映画は、テキサスシティ周辺の実際の製油所地帯や、本物のドーナツ店などをロケーションに選び、わずか10人程度のミニマムなクルーでゲリラ的に撮影されたという。

そうしたインディペンデント映画ならではの低予算ゆえの制約が、逆に「その土地が本来持っている生々しさ」を強烈に前景化させる結果を生んでいる。

夕暮れの光や煌めく工場の夜景は、本来であればロマンティックな感情を喚起するモチーフだ。しかしベイカーの切り取るフレームの中では、その艶やかさが、一歩も引くことのない冷酷な現実と結びついている。

マイキーの身勝手な再起の夢も、ストロベリーの発掘される才能という未来も、この美しい光の下では、どこまでも胡散臭く薄っぺらい企画書にすぎない。救済の予感と、破滅的な搾取の気配が、まったく同じ光のなかで平然と同居しているのだ。

ショーン・ベイカーは、決して社会派を気取って声高にメッセージを叫んだりしない。あくまで片田舎のしょーもない日常を、しょーもない人間たちの会話と行き当たりばったりの行動だけで積み上げていく。

けれど、そのどうしようもないディテールの積み重ねが、結果としてアメリカという国の底面──夢という資源を完全に消費し尽くしたあとの、乾ききった土地の真実の姿──を、くっきりと浮かび上がらせてしまうのだ。

急激なズーム!
ダサカッコいいNSYNC!
哀れなフルチン疾走!
ストロベリーの抗いがたい魅力!
そしてざらついた夕暮れと工場夜景!

そのすべての要素が完璧に絡み合い、どうしようもない底辺の人生をこれほどまでに眩しく、そして愛おしく見せてしまう。それこそが、ショーン・ベイカーという映画作家が持つ、唯一無二の魔術なのだ。

ショーン・ベイカー 監督作品レビュー