『ルノワール』(2025年/早川千絵)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『ルノワール』(2025年)は、前作『PLAN 75』(2022年)で世界的な評価を確立した早川千絵監督が、自身の少女時代の記憶を反映させつつ、バブル経済へと向かう狂騒の裏側にあった孤独と死の予感を静謐に描き出した、極めてパーソナルな物語。1987年の東京郊外を舞台に、末期癌で入退院を繰り返す父・慶二(リリー・フランキー)と、過酷な看病と労働で心を摩耗させる母・詩子(石田ひかり)の間で、11歳の少女フキは空想の世界に居場所を見出す。第78回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品作。
- 第78回カンヌ国際映画祭:コンペティション部門出品
- 第99回キネマ旬報(日本映画):新人女優賞(鈴木唯)
アートハウス系『お引越し』
早川千絵監督の長編第二作となる『ルノワール』(2025年)は、第78回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に、日本映画として唯一選出されるという快挙を成し遂げた。
日本、フランス、シンガポールなど複数国の国際共同製作として生み出されたこの映画は、ひとりの少女の冷徹すぎる視線を通して、家族の静かな崩壊や社会の歪み、そして人間のどうしようもない孤独を、これでもかとスクリーンに焼き付けている。
舞台となるのは、日本中がバブル経済の熱狂に浮かれていた1980年代の夏だ。しかし、この映画にノスタルジックで華やかな空気など1ミリも流れていない。描かれるのは、郊外の家で暮らす11歳の主人公フキが直面する、大人たちのひどく不可解でままならない世界である。
そのヒリヒリとした手触りや基本的な構造は、両親の不和に揺れる少女を描いた相米慎二監督の名作『お引越し』(1993年)を彷彿とさせる。だが早川監督は、より鋭角的で静謐なアートハウス系映画へと振り切ってみせた。
闘病によって生気を失っていく父を演じるリリー・フランキーの生々しい脆弱さと、日々の仕事と看病に追われる母を演じる石田ひかりの苛立ち。その間に挟まれて揺れ動くフキの姿は、間違っても夏休みのファミリー劇場で放送されるような無邪気な冒険譚ではない。
オーディションで抜擢された新人俳優の鈴木唯が演じるフキは、豊かな想像力を持つと同時に、学校の作文で「みなしごになってみたい」というド直球なタイトルをつけて母親の肝を冷やすような、特異な感受性を秘めている。
子どもという純粋かつ残酷なフィルターを通しているからこそ、病や死への怯え、そして人間社会の滑稽な孤独が、容赦ない解像度で浮き彫りになるのだ。
筆触分割がもたらすコラージュ的現実
劇中には、タイトルにもなっているルノワールの有名な絵画「可愛いイレーヌ」(1880年)が非常に象徴的な形で登場する。
正直なところ映画を見終えた直後は、タイトルの真の意味はすぐには飲み込めなかった。その後いろいろ考えたのだけれど、おそらくこれは、印象派の画家たちが好んで用いた筆触分割との類似性を表しているんじゃないだろうか。
筆触分割とは、絵の具をパレットの上でなじませてから塗るのではなく、あえて異なる純色をそのままキャンバスに隣り合わせに置くことで、観る者の網膜上で勝手に視覚的な混色を生み出させる、独特の手法。
『ルノワール』の物語は、原因と結果が分かりやすく繋がるような、お行儀のいい親切設計にはなっていない。現実と妄想、過去と現在、生と死、そして空間の繋がりが、時として唐突にプツリと分割され、ただ隣り合うように無造作に配置されている。
映画的なグラデーションで綺麗に繋ぐのではなく、まるで異なる色のブロックをガンガンぶつけるように、現実と時間と空間を分割して提示していくのだ。
早川監督自身がインタビューで、「断片的なエピソードを繋ぎ合わせるうちに、全体像が見えてきたコラージュのような作品」だと語っている通り、フキが体験する不可解な出来事や大人の業は、決して生温かく混ざり合うことがない。
それぞれの断片が生々しい色を保ったままスクリーンに並べられ、観る者に強烈な解釈の余白(という名の丸投げ)を与えているからこそ、本作はあんなにも不気味で美しい余韻を僕たちの心に残すのである。
カメラワークが切り取る孤独
この映画に漂う、真夏なのに底冷えするような冷徹なトーンを決定づけているのが、撮影監督である浦田秀穂の圧倒的な存在感だ。
早川監督の前作『PLAN 75』(2022年)でも見事なタッグを組んで死生観を映像化した彼のカメラは、本作においてワンショットワンショットの切れ味が、まるで念入りに研がれたナイフのように鋭い。
とりわけ僕の網膜に焼き付いて離れない、凄まじいショットがいくつかある。フキが薄暗い厩舎にふらりと紛れ込む場面における、日常と異界の境界線を示すような息を呑むほど深い陰影。海を行く巨大な客船を空から冷徹に真俯瞰で捉えた、神の視点のショット。
そして何より、風に揺れるカーテンの奥でフキが、まるでこの世ならざる幽霊のようにひっそりと佇んでいるショット。恐ろしい不気味で、恐ろしいほど美しい。
これらのショットは、単なる物語の状況説明や背景描写の枠をはるかに超えている。言葉を発しないフキの豊かで混沌とした内面世界や、大人には決して届かない言語化できない孤独の深さを、どんな台詞よりも饒舌に語り尽くしている。
早川千絵という映画作家が持つ死生観の底知れぬ恐ろしさと、浦田秀穂の研ぎ澄まされた極限の映像美が見事に結実した本作は、間違いなく2025年の日本映画における新たな到達点だ。
子どもの純粋な視線という最も無垢な装置を利用して、大人の僕たちの隠しておきたい柔らかな心をここまで容赦なくえぐり出してくるのだから、映画というのも本当に悪趣味で、どうしようもなく最高な芸術である。
参考文献・出典
- 監督/早川千絵
- 脚本/早川千絵
- 製作/水野詠子、ジェイソン・グレイ、小西啓介、クリストフ・ブリュンシェ、フラン・ボルジア
- 製作総指揮/小西啓介、水野詠子、國實瑞恵、木下昌秀、小林栄太朗、ジョセット・カンポ=アタイデ、マリア・ソフィア・アタイデ=マルード、フラン・ボルジア
- 制作会社/ハピネットファントム・スタジオ
- 撮影/浦田秀穂
- 音楽/レミ・ブーバル
- 編集/アン・クロッツ
- 美術/三ツ松けいこ
- 衣装/宮本まさ江
- 録音/ダナ・ファルザネプール
- ルノワール(2025年/日本、フランス、シンガポール、フィリピン)
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