ジェームズ・キャメロンが持てる技を全て投入した、史上最強のパート2映画
オニのように標的を追い掛けまわす、ターミネーターの執拗ぶりには、SFアクションというよりはホラーチックなテイストを感じてしまった前作『ターミネーター』(1984年)だったが、リンダ・ハミルトンとマイケル・ビーンの時空を越えた愛は、実にロマンチックでありました。
しかし、このシリーズ第2弾『ターミネーター2』(1991年)はそんなロマンスのカケラもなし。全編に重苦しい空気が漂っているのは、科学信奉主義に対する文明批判というテーマを掲げているから。
前作でもチラリと触れられていたが、この『ターミネーター2』ではそのテーマはより鮮明化する。その象徴がサイバーダイン社のエンジニア、モートンだ。
近未来、コンピュータの制御による防衛システム・スカイネットの突然の反乱によって、第三次世界大戦が勃発してしまう。その開発者がモートンなる人物。
自らの手によって、世界を破滅に導いてしまったという事実を突き付けられて彼は言う。
君たちは僕が将来に行うことに対して意義を唱えるのか?
激高したサラは叫ぶ。
あなたたち科学者は、いつも後先のことを考えず研究にあけくれるのよ!
これはまさに、平和主義を唱えながら原子爆弾の製造に加担してしまった、アルバート・アインシュタインを思わせるやりとりではないか?
直球ど真ん中な切り口で科学主義批判をしてみせたキャメロンは、実は誰よりもSF好きな科学青年だった。
SFXマンとして映画界に身を投じ、ジャパニメーションをこよなく愛する彼は、エンターテインメントとしてお気軽に成立してしまうSFの倫理的問題にも、目を背ける訳にはいかなかったのだろう。ハードなSF観を持つ映画は、ヤワなSF映画監督には務まらない。
そんなハードなSF観を体現するのが、前作のヒロインだったサラ・コナーである。どこにでもいる可愛いウェイトレスだった彼女は、数年の歳月を経て勇敢な女戦士にリ・ボーン。鍛え上げられた筋肉はボディビルダーもマッサオである。
筋肉フェチのジェームズ・キャメロンは、すっかりマッスルウーマンになった彼女に夢中になり、映画プロデューサーの妻キャサリン・ビグローを捨てて彼女と駆け落ち結婚したんだが、そんな話はどうでもよくて、要するに何が言いたいかと言うと、本作では彼女の「心の闇」が重大なポイントになっているという事である。
彼女は毎晩、「公園で遊ぶ子供たちが一瞬にして灰燼に帰す」という悪夢にうなされている。近い将来に、第三次世界大戦が勃発することを知っているがゆえのナイトメア。
それゆえ、この恐怖を他の誰とも共有することができず、彼女はより孤独に耽溺していく。彼女が抱える闇は、人類全体の闇だ。
この物語はサラ・コナーが自らの闇を排除し、希望に満ちた新しい明日を革新していくプロセスである。主役がクライんだから、物語も明るくなりようがないってもんだ。
それにしても、あのアーノルド・シュワルツェネッガーとタメ張れる敵役を、T2000なる液体型ターミネーターにしてしまったアイディアは特筆モノだったなあ。
「無敵のターミネーターが非力な人間を追いかける」という構図ではなく、「無敵のターミネーターがより無敵のターミネーターと戦う」という、いわば『モスラ対ゴジラ』のような展開。
アクションはいよいよ派手になり、実にいい感じである。将来『ターミネーター3』が作られたら、キングギドラが加わって三つ巴の展開になるのかいな。
商業的・批評的にもプレッシャーがかかるパート2モノを、よりヒューマンなドラマと警鐘的なテーマを織りまぜ、ド派手なアクションで味付けしてしまったジェームズ・キャメロンは、やはりタダモノではない。
僕なんぞはもう何度も観たはずなのに、テレビで『ターミネーター2』を再放送する度に思わず見入ってしまうのである。
- 原題/Terminator2 : Judgement Day
- 製作年/1991年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/137分
- 監督/ジェームズ・キャメロン
- 製作/B・J・ラック、ステファニー・オースティン、ジェームズ・キャメロン
- 製作総指揮/ゲイル・アン・ハード、マリオ・カサール
- 脚本/ジェームズ・キャメロン、ウィリアム・ウィッシャー
- 撮影/アダム・グリーンバーグ
- 編集/マーク・ゴールドブラット、コンラッド・バフ、リチャード・A・ハリス
- 音楽/ブラッド・フィーデル
- 特撮/デニス・ミューレン
- アーノルド・シュワルツェネッガー
- リンダ・ハミルトン
- エドワード・ファーロング
- ロバート・パトリック
- アール・ボーエン
- ジョー・モートン
- ジャネット・ゴールドスタイン
- ザンダー・バークレイ
- S・エパサ・マーカーソン
- カストロ・グエラ
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