『逆転のトライアングル』(2022年/リューベン・オストルンド)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『逆転のトライアングル』(原題:Triangle of Sadness/2022年)は、スウェーデンの鬼才リューベン・オストルンド監督が、第75回カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞し、現代社会の階級構造とルッキズム、そして人間の強欲を痛烈なユーモアで解体した風刺ドラマ。モデルのカール(ハリス・ディキンソン)と人気インフルエンサーのヤヤ(チャールビ・ディーン)のカップルが、超富裕層の集う1億ドルの豪華客船クルーズに招待されたことから、物語は予測不能な狂騒劇へと発展していく。第95回アカデミー賞では作品賞、監督賞、脚本賞の3部門にノミネートされた。
- 第75回カンヌ国際映画祭:最高賞パルム・ドール
- 2022年度ヨーロッパ映画賞:作品賞、監督賞、脚本賞、男優賞
- 2023年度映画秘宝:第1位
- 第97回キネマ旬報(外国映画):第7位
美と若さという通貨
カンヌ国際映画祭で、最高賞のパルム・ドールを受賞。なれど、その中身は信じられないほど意地悪で、とびきり下品。それでいて息を呑むほど知的な社会風刺劇。それがスウェーデンの鬼才、リューベン・オストルンド監督が放つ『逆転のトライアングル』(2022年)である。
前作『ザ・スクエア 思いやりの聖域』(2017年)でもアート界の偽善を完膚なきまでに笑い飛ばした彼が、今回メスを入れたのは、美しさと経済力で人間を序列化する現代の階級構造だ。
第一幕の舞台は高級レストラン。人気モデルのヤヤ(チャールビ・ディーン)と、すっかり落ち目の男性モデル、カール(ハリス・ディキンソン)による、どっちがディナー代を払うかという、胃がキリキリするような痴話喧嘩から幕を開ける。
この世界で幅を利かせているのは美しさと若さ、そして古くから綿々と受け継がれてきた男としての経済力。圧倒的な美貌という最強のカードを切る彼女と、ジェンダー平等を口実にしつつも男としての器の小ささを隠しきれない彼。この地獄のようなマウント合戦を、監督は居心地が悪くなるほどの長回しで、ネチネチと観察し続ける。
ここで注目したいのが、主人公カールの絶妙な情けなさだ。彼は全編を通して、誰かに依存しないと生きられない、少しだけ価値の低い男であり続ける。
ヤヤには稼ぎで負け、この後に訪れるどの世界でも、彼は結局誰かの所有物にしかなれない。現代の男らしさの呪縛に囚われ、資本を持たざる者の悲哀を一身に背負う彼の姿は、切なくも笑えるほどにリアルである。
空間のヒエラルキー
続く第二幕、二人は豪華客船のクルーズにタダで招待される。乗り合わせるのは、武器商人や肥料(身も蓋もない言い方をすればクソだ)で大儲けしたロシアの新興財閥など、桁違いの金持ちたち。そう、ここでの絶対的なルールは、美しさから圧倒的な資本へと移行する。
船内はとても分かりやすい。上層階にはスイートにふんぞり返る富裕層、中層には彼らに笑顔で媚びを売る白人クルー、そして船底の機関室では有色人種の労働者が汗を流している。
この見事なまでの垂直のヒエラルキーのなかで繰り広げられる富裕層の無自覚な傲慢さを、オストルンドのカメラは虫眼鏡で覗き込むように冷徹に切り取っていく。
しかしキャプテンズ・ディナーの夜、事態は急転直下する。激しい嵐が船を襲うのだ。ここで監督は、セットごと15度傾け、カメラも傾けたまま固定するというイカれた撮影手法をぶっ込んでくる。絶えずグラグラと揺れ続ける画面は、観客の三半規管まで容赦なく攻撃してくるオーバーキル仕様だ。
シャンパンやキャビアをたらふく詰め込んだ富裕層たちは、傾く船内で次々と激しい嘔吐と下痢に見舞われる。マルクス主義者を自称するアメリカ人の船長(ウディ・ハレルソン)と、資本主義の権化であるロシア人富豪が、泥酔しながら船内放送で政治思想バトルを展開する。
その裏で、セレブたちが自らの排泄物にまみれて床を這いずり回る、阿鼻叫喚の地獄絵図。資本主義のバグを強制終了させたのは、高尚なイデオロギーでも革命でもなく、誰にもコントロールできない吐き気と排泄だったのだ。どれだけ偉ぶっていても人間の胃腸の作りは皆同じという残酷な真理が、圧倒的な不快感と爆笑とともに証明される。
とはいえ、笑ってばかりもいられない。安全な映画館のシートからニヤニヤしている我々観客もまた、他人の転落をエンタメとして消費する共犯者だ。オストルンド監督の底意地の悪い視線が、スクリーン越しにチクリと刺さるのである。
マルクス主義の敗北
そして第三幕。海賊の襲撃で船はあっけなく沈没し、運良く生き残った数名が無人島に漂着する。ここで船の垂直な階級社会は完全に崩壊し、全員が同じ砂浜に座り込むフラットな空間へと放り出されるのだ。
金も地位もフォロワー数も一切意味を持たないこの島で、新たな絶対的通貨となったのは、火を起こし魚を捕るという生々しいサバイバル能力である。見事ヒエラルキーの頂点に君臨したのは、清掃員のフィリピン人女性、アビゲイル(ドリー・デ・レオン)だった。
しかし、ここからがオストルンドの真骨頂。抑圧されていた労働者階級がトップに立ったのだから、さぞかし平等なユートピアが訪れるのだろうという甘い夢は一瞬で打ち砕かれる。
権力を握った彼女が真っ先にしたのは、周囲より少し高い位置にある救命ボートを鍵付きのマイホームに独占することだ。人間という生き物は、フラットな環境を与えられても、権力を持った瞬間に自ら特権的なマウント空間を作り出してしまうのである。
アビゲイルは食料を独占し、美しい肉体を持つカールを自分のベッドに連れ込み、食料と引き換えに体の関係を迫る。資源をみんなで分かち合うどころか、食料を牛耳って若いオスの交尾権を独占するその姿は、まるで霊長類の群れを束ねるボス猿のごとし。
文明のメッキが剥がれた人間が行き着く先は、美しい平等社会などではなく、暴力と本能が支配するサルの群れへの退行だったのだ。
カールの疾走が意味する恐るべき真実
ここで、我らがポンコツ主人公、カールの悲劇がいよいよ極まる。かつてファッション業界で女性の美しさが消費されていた構造が見事に男女反転し、今度は彼の肉体が、生きるための資本として搾取されるのだ。
結局どこへ行っても誰かのモノでしかない彼だが、無人島では過酷な労働を免除され、ボスの愛人としてちゃっかり甘い汁を吸っているのもまた事実である。
そしてラストシーン。鬱蒼としたジャングルの中を、カールが必死の形相で全力疾走する姿で映画は唐突に終わる。彼が何に向かって走っているのか、明確な正解は示されない。ヤヤのピンチを救うためと考えるのが映画としては王道だろう。
だが、ここまで人間の浅ましさをこれでもかと見せつけられた後だと、もっとゾッとする仮説が頭をよぎる。島を脱出できるかもしれないエレベーターを発見してしまった彼は、自分が底辺に逆戻りする元の社会に戻るのが怖くなったのではないか。特権階級の愛人として楽ができるこの無人島のシステムを守り抜くために、狂ったように走っているのではないだろうか。
体制の被害者だったはずの弱者が、いつの間にか体制の甘みに依存し、必死にそれにすがりつく。人間の底知れぬ業を限界まで煮詰めたこのラストカットは、最高にスリリングな幕切れだ。
『逆転のトライアングル』は、金とルッキズムで回る現代社会のルールがいかに空っぽな虚構であるかを、最高級の映像体験と容赦ない不快感で暴き出した極上のブラックコメディである。
人間のしょうもなさを、ここまで知的で笑えるエンターテインメントへと昇華させてしまっやオストルンド監督の才能に、心からの拍手を送りたい。
参考文献・出典
- 監督/リューベン・オストルンド
- 脚本/リューベン・オストルンド
- 製作/エリック・ヘメンドルフ、フィリップ・ボベール
- 制作会社/プラットフォーム・プロダクション、エッセンシャル・フィルム・プロダクション、コプロダクション・オフィス
- 撮影/フレドリック・ウェンツェル
- 編集/リューベン・オストルンド、マイケル・シー・カールソン、ジェイコブ・シュレシンジャー、ベンジャミン・ミルグレット
- 美術/ヨセフィン・オースバリ
- 衣装/ソフィー・クルネゴート
- 逆転のトライアングル(2022年/スウェーデン、ドイツ、フランス、イギリス)
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