『WALK UP』──眠りながら上る、映画という迷路
『WALK UP』(2022年)は、映画監督ビョンス(クォン・ヘヒョ)が長いあいだ疎遠だった娘を伴い、建築デザイナーのヘオク(イ・ヘヨン)が所有する四階建ての建物を訪れることから始まる。娘をインテリアの道へ導く目的で訪れた二人は、階を上るごとに異なる人間関係と状況に遭遇し、ビョンスは次第にその場所にとどまるようになる。彼が住む階が変わるたびに現実は微妙にずれ、時間と出来事の順序が揺らいでいく。
階段のある人生、あるいは垂直の時間
ホン・サンスの『WALK UP』(2022)は、彼のフィルモグラフィの中でも最も明快で、そして最も不可解な作品である。
クォン・ヘヒョが扮するビョンスは、映画監督。ソウルの一角にたたずむ、4階建て+地下1階の小さなアパートを、長いあいだ疎遠にしていた娘(パク・ミソ)と訪れるところから物語は始まる。インテリアを学びたいという娘を、ビルのオーナーであり建築デザイナーのヘオク(イ・ヘヨン)に紹介するためだ。
この建物は、1階がレストラン、2階が料理教室、3階が賃貸住宅、4階が芸術家向けのアトリエ。階を上がるたびに用途が変わり、生活の気配と創作の気配が層のように積み重なっている。
ビョンスはやがてこの建物の住人となり、住む階を変えるたびに異なる女性と親密な関係を結んでいく。だが、上昇は必ずしも前進を意味しない。関係は微妙にずれ、出来事は反復し、人物の配置が入れ替わる。
レストランでの再会、料理スタジオでの滞留、アトリエでの孤独。上階に向かうたびに時間はねじれ、感情の向きが変わる。ホンはこの“階層構造”を通じて、人生の移行と時間の錯乱を描き出す。
『WALK UP』では、ホン・サンスが長年描いてきた“水平的反復”──同じ一日が語り直される『正しい日 間違えた日』(2015年)、記憶が巡回する『次の朝は他人』(2011年)──が、ついに“垂直的構造”へと転化した。
地下1階:訪問と案内。ビョンスは旧友に迎えられ、娘の進路に胸を痛める父として登場する。
2階・3階:滞留と変容。ワインと会話を重ねるうち、彼はこの建物に住み始め、過去と未来のあわいに沈んでいく。
4階:創作と崩壊。上昇の果てに待つのは、時間の収縮と孤独の定着。
階を上ることは人生を進むことではなく、むしろ自分の時間を別の層に“複写する”行為だ。建物は編集スタジオであり、階段はフィルムスプライサー。ホンはこの垂直の構造を用いて、映画と人生を同義にしてしまう。
“眠りながら聞く”──時間が分裂する瞬間
ビョンスは、ホン映画に繰り返し登場する“自画像的監督”である。かつての成功、現在の停滞、創作への倦怠。娘は、芸術から実用へと進路を変えた若者。彼女の選択は、父が信じてきた“芸術の神話”の終焉を示す。
そしてヘオクは、この建物の守護者であり、同時に“編集者”のような存在だ。彼女は鍵を握り、階を案内し、住人の出入りをコントロールする。彼女の微笑みは、映画という装置を支配する“不可視の監督”そのもののようでもある。ホンはこの三者を通じて、“創造”“管理”“放棄”という三つの生のモードを対置する。
そして、映画の中心に置かれた「とんでもない仕掛け」。それは、ビョンスがベッドで眠っているのに、自分と恋人ジヨンの会話が聞こえるシーンである。画面の中では、男は静かに寝息を立てている。だが音の層では、もう一人の彼が、もう一つの時間で語っている。
このシーンが驚異的なのは、ホンが“時間のズレ”を編集ではなく音響の同時性として提示している点だ。映像は静止している。だが、音だけが別の時間を生きている。
過去なのか、夢なのか、まだ起きていない未来なのか──その区別は消える。観客が見ているのは“眠っている彼”であり、同時に“語っている彼”でもある。ここで時間は一本の線ではなく、複数の層として折り重なり始める。
この“聴覚的多重露光”は、ホン・サンスの全キャリアにおける到達点だ。『正しい日 間違えた日』の再演構造が「やり直し可能な時間」を描いたのに対し、『WALK UP』は「同時に存在してしまう時間」を描く。
ビョンスはもはや映画を撮る人ではなく、映画の中で再生される人だ。眠る彼の上を、もう一つの時間が通過していく。“歩くこと=編集すること”だったホン・サンス映画のモチーフは、ここで“眠ること=再生されること”へと変貌する。
観客が見ているのは、ビョンスの夢ではない。映画が見ているビョンスなのだ。
この構造の果てに残るのは、中年監督ビョンスの衰退だ。創作の疲弊、資金の欠如、娘との断絶。だがホン・サンスはそれを悲劇としてではなく、“生の静止”として描く。
階段を上りきった彼は、創作の頂点ではなく、ただ“立ち止まる”場所にたどり着く。その停止こそが、人生のリズムそのものなのだ。
ホンは長らく「人生をやり直す物語」を撮り続けてきたが、今作でついに「やり直さない時間」へと踏み込んだ。時間はもう反復されない。ただ、別の層で同時に鳴っているだけ。
この静謐な狂気のなかで、ホンは自らの作風を極限まで削ぎ落とし、“映画=意識の多層録音”という新たな地平を切り開いてみせた。
夢の中で編集される人生
『WALK UP』は、階段を上る映画ではなく、眠りながら上る映画だ。登るたびに別の時間へすり替わり、目を閉じるたびに過去が再生される。そこでは、建物も人物も会話も、現実と夢の区別を失い、すべてが“映画という夢”の中で反響する。
ホン・サンスはここで、映画の本質──「現実は、夢のように再生され続ける」──を提示した。ビョンスの眠りは終わらない。彼の見る夢の外側で、ホンのカメラはまだ回り続けている。
階段の上にも、下にも、出口はない。『WALK UP』とは、人生のどこかで我々が必ず立ち会うその瞬間──「自分の声が、もう自分の時間の外で鳴っている」その感覚を、映画という形で封じ込めた、恐ろしく静かな傑作である。
- 原題/Walk Up
- 製作年/2022年
- 製作国/韓国
- 上映時間/97分

