『Walk Up』(1974年/ホン・サンス)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『WALK UP』(2022年)は、韓国の名匠ホン・サンスが監督・脚本・撮影・編集・音楽を兼任し、第70回サン・セバスティアン国際映画祭コンペティション部門に出品された人間ドラマである。映画監督のビョンス(クォン・ヘヒョ)が、疎遠だった娘を連れて知人の建築家(イ・ヘヨン)が所有するビルを訪れ、各階を巡るなかで展開される対話と変容をモノクロームの映像で描き出す。特定の階に留まり、住む場所や同伴者が変わるたびに、時間軸や現実が微妙にズレていく構成が特徴。ベルリン国際映画祭などで高く評価される監督特有の、日常の断片を反復と差異によって再構築する手法が冴え渡る。
建築的時限爆弾と垂直の迷宮
韓国映画界の異端児にして孤高のシネアスト、ホン・サンスの長編28作目となる『WALK UP』(2022年)は、一見するといつもの男女が酒を酌み交わすだけの単調な会話劇に見える。
しかしその実態は、SF映画も真っ青な時空構造実験。さらに言えば、僕たちの認知を激しく揺さぶるサイコロジカルホラーだ。この作品は、彼の膨大なフィルモグラフィにおいて最も明快な物理的構造を持ちながら、最も深淵な謎を孕んだ作品といえる。
物語は、中年の映画監督ビョンス(クォン・ヘヒョ)が、インテリアデザインを学ぶ娘ジョンス(パク・ミソ)を連れて、ソウルの一角にある4階建てのビルを訪れるところから静かに幕を開ける。この美しいモノクロームで切り取られたビルこそが、映画の真の主役だ。
オーナーでありインテリアデザイナーのヘオク(イ・ヘヨン)が管理するこの建物は、1階がレストラン、2階が料理教室、3階が賃貸住宅、4階が芸術家のアトリエと屋上という構成になっている。それはまるで、人間の人生が持つ階層的レイヤーをそのまま具現化したような、極めて奇妙で閉鎖的な空間。
これまでホン・サンスといえば、『正しい日 間違えた日』(2015年)に代表されるような、水平的反復の作家だった。「もしあの時、少しだけ違う選択をしていたら」という並行世界を、ごく僅かな差異とともに横に並べて見せるパラレルワールド的な手つき。それが彼の代名詞でもあった。
しかしこの映画で、彼はその時間軸を水平から垂直へと力強く回転させる。階段を上がる。ただそれだけの物理的な行為が、ここでは時間を暴力的にスキップし、人間関係を唐突にリセットし、あるいは未知の未来へとワープするためのスイッチとして機能するのだ。
ビョンスはこの建物に吸い込まれるように住み着き、階を移動するたびに付き合う女性が変わり、健康状態が変容し、彼を包み込む孤独の質まで決定的に変わっていく。
階層をひとつ上がるごとに、彼は別の人生という名の平行世界へと強制ログインさせられる。このめくるめく垂直時間旅行に、観客は冒頭から脳をハックされ、心地よいめまいに襲われるはずだ。
眠る男の怪異
本作において最もスリリングで、決定的な事件が中盤に用意されている。ビョンスが3階のベッドで深く眠りこんでいるシーンだ。
画面の中の彼は、間違いなく静かに寝息を立てている。微動だにしない。しかし驚くべきことに、音響レイヤーにおいては、彼と新しい恋人ジヨン(チョ・ユニ)との生々しく生活感溢れる会話が重なって流れ続けているのだ。
これはビョンスが見ている夢なのか。過去の記憶の残響なのか。それとも未来から逆流してきた予兆なのか。通常のハリウッド的な映画文法であれば、回想シーンへカットバックするか、輪郭をぼかした夢の映像を挿入して観客に説明するだろう。
だが、ここでのホン・サンスの処理は異常だ。彼は映像における現在(眠るビョンス)と、音響における別時間(語るビョンス)を、作劇上の言い訳も視覚的なエフェクトも一切介さずに、ただ生々しく同居させてしまう。
この瞬間、時間は一本の不可逆な線であることをやめ、複数の層としてスクリーン上に重なり合う。観客は眠っているビョンスを視覚で見つめながら、同時に語っているビョンスを聴覚で捉えるという、強烈な認知不協和音を体験させられる。
このバグのような感覚こそが、本作の絶対的な核だ。『WALK UP』という空間において、時間はただ流れて消えていくものではなく、建物の各階に滞留し、沈殿し、そして同時に鳴り響き続けるものなのである。
もはやビョンスは、自らの意志で映画をコントロールする映画監督ではない。この4階建てのビルという巨大な物理的編集機の中で、勝手に再生され切り刻まれる一本の哀れなフィルムへと変質してしまったのだ。
行き止まりの屋上とやり直さない時間の受容
階段はフィルムを繋ぎ合わせるスプライサーであり、各部屋は密室の映写室だ。彼が眠りにつくたびに、ホン・サンスという神の手によってリールが乱暴に架け替えられ、脈絡のない別の時間が上映され始める。
この残酷なまでの受動性。病を抱え、タバコをふかしながら階段を上るクォン・ヘヒョの疲れ切った背中から滲み出る濃厚なパトスが、「人生とは自らの意志とは無関係に、他者の手で編集されていく理不尽なものだ」と、説得力を持って観客に迫ってくるのだ。
階段を上り続けるビョンス。息を切らしながら到達したその果てに待っているのは、感動的な芸術的達成でもなければ、劇的な人間的成長でもない。
4階の狭いアトリエ、そして寒々しい屋上で彼を待ち受けているのは、映画監督であることを唯一の存在意義としてきた男が最後に直面する、圧倒的な停止と衰退だ。
創作意欲は枯れ果て、視力は急激に衰え、冒頭で共にビルを訪れたはずの愛娘との距離は、もう二度と修復不可能なほどに開いてしまっている。
しかし、ホン・サンスはこの男の残酷な衰退を、お涙頂戴の悲劇としては決して描かない。取り返しのつかない過ちに対し、激しくほぞをかむことすらやめた彼を、理不尽な運命を静かに諾う主人公の姿としてスクリーンに提示する。
人生は建物の螺旋階段のようにぐるぐると回りながら、少しずつその形を変えていくだけだ。上昇したからといって、決して今より良い場所に到達できるわけではない。ただ、窓から見える景色が少しだけ変わる。ただそれだけのこと。
映画という装置を使って、やり直しの可能性を執拗に探求し続けてきたホン・サンスが、本作でついに到達したのは、やり直さない時間の境地である。
過ぎ去った時間は絶対に取り戻せないし、選ばなかった別の道に引き返すこともできない。ただ、それらすべての後悔や喪失の時間が、この建物の別々のフロアで同時に存在しているという、奇妙な安心感だけがある。
階段の上にも、そして下にも、明確な出口など存在しない。『WALK UP』とは、人生のどこかで僕たちが必ず立ち会うことになる残酷な瞬間──自分の声が、もう自分の時間の外で鳴っているという強烈な疎外感──を、映画というフォーマットで見事に封じ込めた、恐ろしく静かで、そして限りなく美しい作品である。
- Walk Up(1974年/アメリカ)
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