いったいぜんたいスティーヴン・スピルバーグは、『戦火の馬』で我々をどういう心理状態にさせたいというのか。
公式サイトには「65歳になったスティーヴン・スピルバーグ監督が、今、この時代にこそ贈る“希望の物語”」というコピーが踊っているが、笑~止!!
希望の光?冗談いっちゃいけない。素直で無垢な衝動に充ちた『太陽の帝国』に近似した作品、というのが一般的な作品論かもしれないが、ハッキリいってコレ、『プライベート・ライアン』をさらに露悪的にブロウアップした鬼畜映画。タテマエとしては感動映画にカテゴライズされているだけにタチが悪い。
お話の舞台は、第一次世界大戦前夜のイギリスの農村。主人公のアルバート少年(ジェレミー・アーヴァイン)は、“ジョーイ”と名付けられた一頭のサラブレッドと運命的な出会いを果たすが、やがて戦争が始まるとジョーイはイギリス軍の軍馬として売られてしまう。
フランスの戦地に送りこまれたジョーイは、気高い精神を持つイギリス人将校、軍を脱走する若いドイツ軍の兄弟、両親を失ったフランスの少女らと巡り合いながら、“奇跡の馬”として戦火を生き抜いて行く…というお話。
だが、実際にはジョーイは“奇跡の馬”どころか、“災厄の神”だ。このサラブレッドに魅了された者は、ことごとく死の憂き目にあう。
いったんはジョーイと出会って未来への希望の光を灯すものの、最終的にそれは叶わぬ夢となって朽ち果てて行くという、最もエゲつないやり方によってそれは描かれる。
おまけに災厄は未来を担っていくはずの子供たちにも容赦なく降り掛かるのだ(正直、あの可憐なフランス人少女が死んだと知ったときは愕然とした)。
決定的な死の瞬間は周到にカメラからフレームアウトさせたり暗示するだけにとどめているが、映画には夥しい数の“死”がしっかりと刻印されている。
しかし、こんなにも錯綜した、意味不明の映画においても、僕は何故だか涙を流してしまうのである。ジョン・ウィリアムズの高尚なオーケストレーションが流れると、これが合図とばかりに、パブロフの犬のごとく機械的に涙腺が刺激されてしまうのだ。
真っ赤な夕焼けをバックに、威風堂々たるジョーイとアルバートが家に戻る場面をシルエットで捉えたラスト・ショットなんぞ、まるで戦時中の大殺戮なんぞなかったかのように、気高くドラマティックに映し出されている。
テン年代以降、スピルバーグは禍々しさを全面的に押し出しているが、「生きる勇気」だとか「希望」だとかをお題目に唱えた『戦火の馬』においても、その不穏さは陰を潜めていない。
『太陽の帝国』のように無邪気な感動にも浸ることが出来ず、『プライベート・ライアン』のようにただひたすら残虐描写を浴びていればOKという訳でもないこの映画を観て、我々は感情の行き場をどうもっていけばいいと言うのか。
これはあまりにもアンバランスな、異形の映画である。
- 原題/War Horse
- 製作年/2011年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/146分
- 監督/スティーヴン・スピルバーグ
- 製作/スティーヴン・スピルバーグ、キャスリーン・ケネディ
- 製作総指揮/フランク・マーシャル、レヴェル・ゲスト
- 原作/マイケル・モーパーゴ
- 脚本/リー・ホール、リチャード・カーティス
- 撮影/ヤヌス・カミンスキー
- プロダクションデザイン/リック・カーター
- 衣装/ジョアンナ・ジョンストン
- 編集/マイケル・カーン
- 音楽/ジョン・ウィリアムズ
- ジェレミー・アーヴァイン
- エミリー・ワトソン
- ピーター・マラン
- ニルス・アレストラップ
- デヴィッド・シューリス
- トム・ヒドルストン
- ベネディクト・カンバーバッチ
- ニコラス・ブロー
- ダフィット・クロス
- レオナート・カロヴ
- セリーヌ・バケンズ
- ライナー・ボック
- パトリック・ケネディ
- ロバート・エムズ
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