2026/3/20

『夢』(1990)徹底解説|黒澤明が最晩年に見た、死と救済のビジョンとは?

『夢』(1990年/黒澤明)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー

10段階評価
6
OKAY

概要

『夢』(1990年)は、黒澤明監督が自らの潜在意識と幼少期の記憶をもとに紡いだ、8篇からなるオムニバス映画。日照り雨、桃畑、雪あらし、トンネル、鴉、赤冨士、鬼哭、水車のある村──現実の風景と幻想世界が連続しながら立ち上がり、死生観、自然への畏れ、人間の業といった黒澤の晩年のテーマが静かに反射し合う。絵画的構図と象徴性の強いイメージが溶け合い、夢と記憶の境界を漂う映像詩として、日本映画史に異彩を放つ一作である。

目次

第1話 日照り雨

少年が母親の忠告を無視し、禁じられた「狐の嫁入り」を覗き見てしまう冒頭のエピソード。オムニバスの幕開けが黒澤の代名詞である「雨」にちなんでいることに、ファンなら思わずニヤリ。

緑深い森に陽光が差し込み、その中を小雨がパラつく。天気雨の幻想的なショットは、もはや実写を超えた絵画的な美しさ。静寂の中に響く狐たちの足音と、厳格な様式美に、観客は一気に黒澤の夢の世界へと引きずり込まれる。

ちなみに、背後にそびえる立派な門構えは、黒澤の幼少期の実家を忠実に再現したセットなんだとか。圧倒的な自然の掟と、不条理な「大人(=異界)」のルールへの恐怖という、イニシエーションの原風景として完璧な機能を果たしている。

第2話 桃畑

少年が雛人形の精霊たちと出会う、エコロジー思想満載のエピソード。雛人形たちが舞いを踊るシーンはオープンセットで撮ったらしいが、っていうか幾らお金かかってるんですかソレ?まあ黒澤映画だから許される贅沢なんでしょう。

実は本作、盟友である本多猪四郎が演出補佐として深く関わっており、特撮映画で培われた彼の群衆演出の手腕がこの段飾りにも活きている。理不尽に切り倒された桃の木への哀悼は、若くして亡くなった黒澤の姉への思慕が投影されているとの見方もある。締めのカットが伊崎充則のストップモーションなのは、何か締まらない気がする。

第3話 雪あらし

雪山で遭難した探検隊を、雪女が死の世界に誘うエピソード。ここまで高速度撮影にこだわった撮影も珍しい。猛吹雪のセット撮影は、役者たちに本物の肉体的疲労を強いたという。

雪女の甘美な誘惑に抗えずに眠りへと落ちていく隊長の姿は、かつて興行的な失敗から自殺未遂を起こした黒澤自身の、死の誘惑との闘いと克服のメタファーとして見ると非常に重い。

それにしても、雪山に陽が差してキャンプがみつかった時にかかる、アルプスの少女ハイジみたいな音楽はヒドすぎやしないかい。『』(1985年)で黒澤と袂を分けた武満徹だったらば、素晴らしいスコアを作曲しただろうに。


黒澤明

第4話 トンネル

暗いトンネルから、戦死したはずの部下が現れるという悪夢的エピソード。手榴弾を体に結わえた野犬(実際に旧日本軍が考案していた対戦車犬がモデル)が、とにかく怖すぎ。

戦地で“犬”死にした部下たちの無念を直裁にビジュアライズしている。自らは前線に赴くことなく生き残った黒澤のサバイバーズ・ギルト(生存者の罪悪感)が色濃く反映されており、全8話の中で最も重く、強烈な死臭を放つこのエピソードには、黒澤が抱き続けた戦争へのトラウマが凝縮されている。

第5話 鴉

もともと絵画的要素の強い本作だが、ホントに絵画のなかに誘うエピソードを撮ってしまうとは。強烈な色彩感覚を持つゴッホの絵画に、同じくヴィヴィッドな色彩設計を好む黒澤が惹かれるのは分かる気がする。ちなみに、絵画の中へ入り込む驚異的なVFXを担当したのは、ジョージ・ルーカス率いるILMだ。

マーティン・スコセッシ演じるゴッホに「芸術家は機関車のように働らかなくてはならない」と言わせているのは、黒澤個人の信条というよりも、次代のクリエイターへの強烈なプレッシャーか?あるいは、自らの内に巣食う「創作という名の暴走機関車」への恐れと自負の表れかもしれない。

第6話 赤冨士

東宝の同僚である本多猪四郎が手がけた『ゴジラ』(1954年)を黒澤は高く評価していたが、彼自身は特撮映画を撮ることはついになかった。『赤冨士』は、富士山の噴火によって原子力発電所が次々と爆発するというエピソードだが、もし黒澤が怪獣映画を手がけていたら、人々が逃げ惑うシーンはこんな感じになるんだろうなーと思いながら鑑賞。

ゴジラ
本多猪四郎

このエピソードの大部分の演出を本多が担ったとも言われており、まさに黒澤版パニック・ディザスター映画の様相を呈している。

第7話 鬼哭

『生きものの記録』(1955年)から連なる、反核思想が全編を貫くエピソード。後にハリウッドは、放射能を浴びて巨大化したイグアナをニューヨークに上陸させてゴジラを撮ったが、巨大化したタンポポのほうがはるかにビジュアルとして(そして反核テーマとして)強力だと思う。

生きものの記録
黒澤明

生前の地位や権力が高い者ほど角の数が多くなり、その分だけ苦痛も増すという地獄のヒエラルキー設定が皮肉効きまくりである。鬼が泣き叫ぶ様子を俯瞰から捉えたシーンは、背筋が凍る思い。

第8話 水車のある村

アンドレイ・タルコフスキーにも通ずる、圧倒的に美しく、瑞々しい自然描写が光るエピソード。長野県の大王わさび農場などで撮影された美しい風景は、黒澤がたどり着いた理想郷だ。

「人間は便利なものに弱い」だの、「人間はなるべく自然な形で生きるべきだ」だの、「よく生きて、よく働いて、ご苦労さんと言われて死ぬのはめでたい」だの、そりゃ小津安二郎作品のミューズとも言える笠智衆にしゃべらせたら、全てのお言葉が含蓄に溢れる教訓に聞こえるわな。

モスクワ放送交響楽団による「コーカサスの風景」のメロディー、生と死のサイクルを肯定する祝祭的なラストに、静かな感動を覚える。

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