2026/3/24

『Charm』(2024)徹底解説|70年代ソフト・ロックと共鳴する至高のインディー・ポップ

『Charm』(2024年/クレイロ)
楽曲背景と意味を深掘り考察・批評・レビュー

10段階評価
10 GREAT
概要

『Charm』(2024年)は、クレイロ(Clairo)が約3年ぶりに発表した3作目のアルバムであり、レオン・マイケルズを共同プロデューサーに迎えて制作された。全編アナログ・テープを用いた録音により、温かみのある生楽器のアンサンブルと彼女の親密な歌声が柔らかく溶け合う。ベッドルーム・ポップの枠を抜け出し、成熟したシンガーソングライターとして新しいサウンド領域を切り開いた一枚である。

目次

70年代の亡霊を呼び覚ますアナログ・テープの魔法

思い返してみると、2024年はクレイロの『Charm』(2024年)ばかり聴いていた。

ソウル、R&B、フォークの境界線を緩やかに、そしてあまりにも優雅に往還するサウンドスケープ。キャロル・キングの温もり、ハリー・ニルソンのメランコリー、そしてブロッサム・ディアリーの軽やかなウィットを、このアルバムは2020年代の現代へと見事に召喚していた。

彼女がこれまでのキャリアで確立してきた、あのDIY的でパーソナルなベッドルーム感覚のメロディセンスはそのままに、深い時代感と、職人的な音作りが加わっている。

この魔法を仕掛けた最大の功労者は、間違いなく共同プロデューサーを務めたレオン・ミッチェルズだろう。エル・マイケルズ・アフェアやザ・ブラック・キーズとの仕事で知られる彼は、ヴィンテージ・ソウルの質感を現代に再構築する天才だ。

彼が本作で徹底してこだわったのは、ミュージシャンたちの生のライヴ演奏を、デジタルを介さずそのまま磁気テープにトラックダウンするという、狂気の沙汰とも言える完全アナログ・レコーディングの手法。このくすんだ、しかしどこまでも温かいエレクトリック・ピアノの音色。70年代のアナログ機材が放つ、この替えの効かない温度感。

クレイロとミッチェルズは、スライドギターの艶やかな滑りや、ドゥーワップ風の柔らかなコーラスをさりげなく背景に忍ばせながら、あの時代特有のヴィンテージ感と、現代的なローファイ感を、これ以上ない完璧なバランスでひとつの空間に同居させてしまったのである。

オートチューンを拒絶する、密室のウィスパー

現代のポップ・ミュージックにおいて、オートチューンや補正によってボーカルのピッチを整えることは、もはや息をするのと同じくらい当たり前の常識となっている。だが、クレイロはそのデジタルな常識を、静かに、しかし断固として拒絶してみせた、

彼女のウィスパー・ヴォイスには、人間らしい微かなピッチの揺らぎや、ブレスの生々しいノイズが意図的にそのまま残されている。この声の不完全さこそが、レオン・ミッチェルズが構築したアナログテープ特有のテープコンプレッションと相乗効果を生み出し、作品全体にホームメイドな親密さを色濃く漂わせている。

大勢の観客に向けてスタジアムで叫ぶような歌ではない。まるで深夜、自分の散らかった部屋に彼女だけを招き入れ、小さなアンティーク・ランプの淡い明かりの下で、アコースティック・ギターと古い鍵盤を弾きながら、自分一人のためだけにそっと歌いかけてくれているような感覚。

この密室的なサウンド・プロダクションは、コロナ禍以降の孤立した世界を経て、我々が音楽に本当に求めているものが何なのかを見事に突いている。それは、派手なエフェクトで武装した完璧なサウンドではなく、触れれば体温を感じられるような、生身の声の質感なのだ。

クレイロは、ベッドルーム・ポップというジャンルを「自室で作る音楽」から、「自室という心の聖域にリスナーを招き入れる音楽」へと、極めて美しく、そして高度に進化させたのである。

「Sexy to Someone」の神グルーヴ

アルバム全編を通してスキのない名曲揃いだが、個人的には、ヴィンテージソウルのエッセンスが爆発しているM-2「Sexy to Someone」がフェイバリット。

この曲のキモは、Aメロに突入する瞬間に訪れる、あの半拍早く「ジャン!」と鳴るシンコペーションの痛快さにある。リズムのポケットに深く腰を落としたベースラインと、少しレイドバックしたドラムが絡み合う瞬間、思わず首でリズムを取らずにはいられない。

計算し尽くされたデジタル・ビートでは絶対に生み出せない、ミュージシャン同士が同じ部屋でアイコンタクトを取りながら呼吸を合わせた、生きたグルーヴ。その感じが、この一瞬の「ジャン!」にすべて凝縮されている。

M-6「Terrapin」の極上イントロもイイ。深いディレイがかけられたドラミングから始まり、それが徐々に乾いたスネアのロールへと変化していく。まるで霧の中から少しずつバンドの実体が姿を現してくるような、鳥肌モノの音響設計だ。

レオン・ミッチェルズのダブやレゲエ的アプローチの引き出しの多さが、インディー・ポップの枠組みの中で最高のスパイスとして機能している証拠。

どの楽器も決して主張しすぎることなく、主役であるクレイロのウィスパー・ヴォイスを支えるための、柔らかいクッションとして機能している。

このアルバムは、通勤電車のノイズの中でワイヤレスイヤホンで消費するための音楽ではない。たぶん彼女の音楽は、夜の静寂に満ちた部屋のなかで、ひとりランプに火を灯し、アナログレコードの針を落とすように、スピーカーと向き合って聴くのがベストだ。

クレイロが『Charm』(2024)で提示したのは、古き良き音楽のテクスチャーを借りて現代の孤独を優しく包み込む、最高のサウンド・セラピーなのだ。

アルバム情報
プレイリスト
  1. 1. Nomad
  2. 2. Sexy to Someone
  3. 3. Second Nature
  4. 4. Slow Dance
  5. 5. Thank You
  6. 6. Terrapin
  7. 7. Juna
  8. 8. Add Up My Love
  9. 9. Echo
  10. 10. Glory of the Snow
  11. 11. Pier 4
クレイロ アルバムレビュー