『Double Infinity』(2025年/ビッグ・シーフ)
楽曲背景と意味を深掘り考察・批評・レビュー
『Double Infinity』(2025年)は、ビッグ・シーフ(Big Thief)が発表した6作目のアルバムであり、ドム・モンクスとバンド自身のプロデュースによって制作された。長年連れ添ったベーシストの脱退を経て、3人となったコア・メンバーがララージや多くのセッション・ミュージシャンを招き入れ、生々しいバンド・アンサンブルと瞑想的なドローン、緻密なテクスチャが柔らかく溶け合い、フォーク・ロックの枠を超えた広大な精神世界が自然に共存する。「Incomprehensible」「Grandmother」「Double Infinity」などの楽曲が収録され、スタジオの空気感をそのまま封じ込めた。
欠落がもたらした奇妙な自由
現代のインディー・フォーク・シーンにおいて、ビッグ・シーフほど奇跡的なバランスで成り立っていたバンドは他に思い当たらない。
エイドリアン・レンカーの震えるような歌声と、バック・ミークのささくれ立ったギター、ジェームズ・クリヴチェニアの有機的なドラム、そしてマックス・オレアーチクの地を這うような温かいベース。
彼らはまるで4人でひとつの生き物のように、言葉を交わすよりも早く音でテレパシーを交わし合うような、究極のアンサンブルを持ったバンドだった。
しかし2024年夏、ベーシストであるオレアーチクがバンドから離脱するという大きな転換期が訪れる。リズムのボトムを支え、土着的なグルーヴを生み出していた彼という「錨」を失ったことは、間違いなくバンドにとって最大の危機だったはずだ。
だが、通算6作目となるニューアルバム『Double Infinity』(2025年)を聴いて、僕は思わず唸ってしまった。彼らはこの痛手となるはずの欠落を、そのまま巨大な創造の跳躍台として利用し、従来のフォークロック的な枠組みを根底から大きく揺さぶってみせたのだ。
本作に響き渡っているのは、これまでの彼らが持っていた土臭いバンド・サウンドとは明らかに違う。歌と楽器、言葉と感情の境界線を曖昧に溶かし、音そのものを実験的に探求しようとする恐るべき姿勢だ。
『U.F.O.F.』(2019年)や、対となる『Two Hands』(2019年)で現代フォークの一つの完成形を提示し、さらに『Dragon New Warm Mountain I Believe in You』(2022年)でそのルーツを広大に押し広げた彼らだが、今回のアルバムでは、自らが築き上げてきたフォークの骨格を意図的に、そして美しく解体している。
リズムは重力を失って宙を舞い、和声は不安定なまま揺らぎ、旋律は抽象的な断片として空間を漂い続ける。ベースという支点を失ったことで生まれた「穴」は、逆説的に彼らの音をこれ以上ないほど自由に羽ばたかせることになったのだ。
ボン・イヴェールが提示したフォークの拡張
このビッグ・シーフの劇的な変化を読み解く上で、極めて重要な参照点として浮かび上がってくるのが、ジャスティン・ヴァーノン率いるボン・イヴェールの軌跡だ。
かつて、雪深い森の山小屋に引きこもり、アコースティックギターと多重録音のコーラスで孤独なフォークを奏でていた彼は、やがて『22, A Million』(2016年)という怪作を生み出した。
そこで彼は、自らの声をサンプラーやエフェクターで徹底的に加工・破壊し、グリッチノイズや断片的な電子サウンドを大胆に導入することで、フォークの拡張という未知の領域へ足を踏み入れた。
3人体制となったビッグ・シーフが今回鳴らしている音は、アプローチの質感こそ違えど、ボン・イヴェールが実践した「自らのルーツの解体を経て、新しい未来を切り開く」という試みと完全に交差している。
彼らはボン・イヴェールのようにゴリゴリの電子音楽へ傾倒したわけではない。あくまでアコースティックな生楽器の響きをベースにしながらも、その録音手法や空間の捉え方において、かつてないほど音響的な実験を繰り広げているのだ。
ニューヨークのスタジオで行われたという長時間のセッションに依拠した制作プロセスは、従来の曲を緻密に編み上げるスタイルから、その場に立ち現れた瞬間を録音テープに定着させるという、ドキュメンタリー的なアプローチへの変貌を物語っている。
重力から解き放たれた各パートは、互いに寄りかかることなく自在に漂い、偶発性をたっぷりとはらんだ即興的なアンサンブルを生み出していく。
オレアーチクが抜けた穴を腕利きのサポート・ベーシストで埋めるのではなく、その「空洞」をそのまま空間の響きとして生かすという決断。これこそが、『Double Infinity』という奇妙なタイトルのアルバムに、底知れぬ奥行きを与えている最大の要因だ。
言葉の限界と、声の音響的フィジカル
アルバムのオープニングを静かに、しかし強烈に飾る「Incomprehensible」は、本作の姿勢を最も端的に突きつけてくる一曲だ。タイトル通り「理解できないもの」を歌い上げるこのナンバーにおいて、レンカーの紡ぐリリックは、もはや意味を持ったメッセージとして機能することを放棄しているように思える。言葉は物語を伝えるための道具ではなく、ただの音の断片として空気中へと散らばっていく。
だが、そのブレスの途切れや、震えるような声のひだが、整然と並べられた言葉以上に生々しい真実味を帯びて、聴き手の鼓膜に直接触れてくるのだ。彼女の声は「語り手」のものではなく、ひとつの「音響」へと完全に変質しており、言葉というシステムを超えた深い感情の揺らぎを体現している。
さらに驚かされるのが、続く「Grandmother」。なんとここでは、アンビエント・ミュージック界の生ける伝説である巨匠ララージがゲスト参加している。
彼が奏でるツィターのきらめくような音色が、水面に落ちた雫のように幾重にも倍音の波紋を広げていく。ここで鳴っているのは、口ずさめるようなメロディではなく、広大な「空間」そのものだ。
音の粒子が空気に漂い、聴き手の身体を優しく包み込むようなこの没入感は、もはやフォークソングの延長線というより、極めて洗練された音響芸術としての野心すら感じさせる。彼らはここで、フォーク・バンドという殻を完全に脱ぎ捨てたと言ってもいい。
実験的なアプローチが際立つアルバムの前半から一転し、中盤に配置された「No Fear」では、抽象的なサウンドスケープの奥底から、ビッグ・シーフが本来持っている人間的な普遍性がはっきりと顔をのぞかせる。タイトルが示す通り、内なる恐れを乗り越えていくことへの静かな祝福が、とても簡素で祈りのようなメロディの中に込められているのだ。
音の構造自体は非常にミニマルで抽象的であるにもかかわらず、そこから立ち上る感情の輪郭はむしろ過去作よりも鮮明に響いてくるから不思議だ。
クリヴチェニアのドラムは単なるリズムキープを放棄し、まるで空間の余白を確かめるように打音を配置していく。ミークのギターはコードをかき鳴らすのではなく、ノイズとアンビエンスの境界線を浮遊する幽霊のように鳴っている。
この極端に隙間の多い音響空間の中で、リスナーは自分自身の記憶や個人的な感覚を、その余白に重ね合わせずにはいられなくなるのだ。彼らは音を鳴らすことで、見えない空間を彫刻している。
フォークの未来形、あるいは終わらない無限のサイクル
『Double Infinity』という作品は、世界最高のインディー・フォーク・バンドとしてのアイデンティティを自らの手で解体し、まったく新しい音響の地平を切り開いた生々しい記録だ。
言葉と声の乖離を恐れずに抱え込み、旋律の代わりに空間そのものをデザインし、ベーシストの喪失という欠落を前人未到の創造へと変換してみせた。
この姿勢は、単なる表面的なジャンルの移行やトレンドの消化などではない。音楽というものを「人間の存在そのものが発する震え」として提示し直す、極めて根源的な闘いなのだ。
かつてボン・イヴェールが身を挺して示した「フォークの未来」は、今こうしてビッグ・シーフの音楽において、よりオーガニックで肉体的な形となって見事に継承されている。
本作は、トラディショナルなフォークの終焉を告げるものでは決してなく、その明確な未来形だ。ここには、僕たちがよく知っているはずのアコースティック音楽が、まだまだ未知の領域へと変貌しうるという確かな証拠が力強く刻まれている。
3人になった彼らがこれからどこへ向かうのかは誰にも分からないが、この「二重の無限」と名付けられた空間のなかで、彼らの音は永遠に震え続けていくのだろう。
- 1. Incomprehensible
- 2. Words
- 3. Los Angeles
- 4. All Night All Day
- 5. Double Infinity
- 6. No Fear
- 7. Grandmother (with Laraaji)
- 8. Happy with You
- 9. How Could I Have Known
- U.F.O.F.(2019年)
- Double Infinity(2025年)
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