メン・アイ・トラスト『Equus Asinus』(2025)
アルバム考察・解説・レビュー
『Equus Asinus』(2025年)は、カナダのインディーバンドのメン・アイ・トラスト(Men I Trust)が2025年3月19日にリリースした5作目のアルバムであり、同年に発表された『Equus Caballus』と対になる二部作の前編として位置づけられる。タイトルはラテン語で“ロバ”のこと。音楽的にはドリームポップ路線を継承しながら、アコースティックギターを主体としたフォーク/カントリー要素が強まり、リズムと音像が室内録音の質感を保ったまま構築される。ジャケットにはドキュメンタリー写真家ドナ・フェラートによる中年男女の日常的な室内写真が採用され、生活の場面を切り取る視点がアルバムの印象形成に関与している。
ロバの学名を名乗る、地味でしぶとい“中年ポップ”
メン・アイ・トラストの5作目となるアルバム『Equus Asinus』(2025年)は、ラテン語で“ロバ”を意味するタイトルどおり、ひたすら地味で、頑丈で、静かに重い一枚だ。
そして2025年3月19日にリリースされた本作は、同年中に続編として登場する『Equus Caballus』(馬の学名)と対をなす二部作の前編でもある。
前作『Untourable Album』が“部屋の内部に成立するダンス音楽”だったとすれば、『Equus Asinus』はその部屋を出て、生活そのものの重力に触れた作品。音響的な抑制と内省という共通点はありつつ、前作が“隔離された祈り”だったのに対し、本作は“毎日を担ぎ続ける身体”を描いている。
サウンドは、これまでのドリームポップ路線を踏襲しつつも、フォーク/カントリーの比重が明らかに増した。この“フォーク化”こそが、『Untourable Album』との最初の決定的な差異である。
本作を読み解く鍵は、アルバム・ジャケットだろう。中年男性が上半身裸でアイロンがけをし、ベッドの端にはうつむき加減の女性が腰掛けている。ふたりはなにやら言葉を交わしているようだが、その内容は見えない。
柔らかな光に包まれた寝室で、半裸の男がアイロンを動かし、女は少し身体を丸めて座っている──そこに劇的な事件はない。あるのは、少し疲れた共同生活の一瞬だけだ。
この写真を撮影したドナ・フェラートは、1980年代から現在まで一貫して「家庭」という密室で起きる出来事を撮り続けてきた写真家。代表作『Living with the Enemy』では、家庭内暴力にさらされる女性と子どもたちの姿を何十年にもわたって記録し、その一連の作品はDV問題に社会的な光を当てた仕事として高く評価されている。
しかしフェラートが捉えるのは暴力そのものだけではない。その手前にある沈黙、倦怠、どこかぎこちない親密さ──“壊れていくかもしれない関係”の空気そのものを撮る写真家でもある。
前作『Untourable Album』では、リン・ゴールドスミス撮影による「カナダの学校の前で遊ぶ子どもたち」の写真を用い、“ツアーできない時代の子どもたち/未来世代”を象徴するイメージとして機能させていた。
それに対して『Equus Asinus』では、フェラートのアーカイブから、もっとも平凡で、もっともプライベートな寝室の一場面を借りてきたことになる。
その文脈を踏まえると、『Untourable Album』のジャケットが「まだ壊れていない家族の外観」を遠景からとらえた写真だとすれば、『Equus Asinus』は「壊れてしまわないように、何とか続けている家族の内側」を、より近い距離から見つめる一枚にも見えてくる。
ロバの学名を冠したタイトルと、中年カップルの疲れた寝室風景、そしてフェラートという写真家の来歴。この三つが重なることで、ジャケットは単なるレトロなスナップではなく、「派手さのない生活を、それでも担い続ける身体」の寓話として機能しはじめるのだ。
フォークに寄りながらも、あくまでメン・アイ・トラスト──音楽的な“ロバ化”
オープニング・トラック「I Come With Mud」は、“泥”を引きずるように進む曲だ。ジェシー・キャロンのベースが歩幅のテンポを形成し、ビートはクラブへ向かわず、“重たい地面”を意識させる。
『Untourable Album』では、ベースとビートは“身体を動かす内的脈動”だったが、『Equus Asinus』ではその脈動が“歩行のテンポ”へと変質している。音楽が踊りではなく移動になった。これは決定的な差異である。
M-2「All My Candles」も同様で、過去作に連なるドリーミーさを維持しながらも、ミックスは明らかに乾いている。シンセは極限まで薄く、アコースティック・ギターのアタックがそのまま残されている。焦点が「気持ちよさ」から「持続可能な生活」へとピントをずらしているように聴こえるのは、その乾きゆえだ。
「Bethlehem」は、メロディラインこそ牧歌的だが、コードは解決せず、持続和音のまま歩み続ける。そこにあるのはノスタルジーではなく、「帰りたい場所がどこにもない」者の歩行テンポだ。
「Frost Bite」では、わずかな装飾音とヴォーカルの息継ぎだけが配置され、曲は“移動しているのに凍っている”という逆説的な状態を描き出す。ここでもビートは身体を揺らすためでなく、「寒さに耐えながら歩く」ためにしか存在しない。
「Purple Box」は、この“歩くための音楽”という概念を最も直接的に体現している。メロディは童謡のように素朴だが、コードは決して解決しない。進行ではなく、ただ歩き続けるための最低限の和声。その素っ気なさはフォークロア的なのに、そこに宿るのは郷愁ではなく、疲労と微かな諦念だ。
個人的に最も驚愕したナンバーが、M-8「Paul’s Theme」。いやもうこれ、フランシス・レイ『ある愛の詩』みたいな70年代フランス映画のサントラですやん!
あの時代の劇伴が持っていた「歩くための音楽」を、現代の生活リズムに移植したような感覚。感情を動かすのではなく、日常の速度を整える──それはメン・アイ・トラストがこれまで追求してきた“踊らないダンス”の、もっとも静かな継承形態だ。
続く「Girl (2025)」は、完全にゲンズブールの語法。おっさんウィスパー・ヴォーカルと脱力リズムのズレ、室内楽めいた和音の置き方。ここには《ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ》以降のフレンチ・ポップの血が流れている。
むしろ本作後半は曲が進むごとにフランス音楽の温度感が強まっていくようですらあり、それが“歩行テンポの生活音楽”という本作のテーマを裏側から補強している。
そしてアルバム終盤の「Pearly Gates」は、一種の到達点といえる。ここで初めてビートが“浮遊”に転じるが、それは決してポップな救済ではない。門は開かれないまま、音楽は扉の前に立ち止まって終わる。タイトルが意味する“天国の門”ですら、作品のなかでは象徴に留まり、越境の瞬間は訪れない。
それでも一歩ずつ歩き続ける──この“立ち止まりながら続行する”という姿勢は、ロバ=Equus Asinus の寓意そのものだ。
本作のフォーク化はジャンル転向ではなく、ダンストラックの身体性を “歩行” に置き換える音楽的変異である。かつて『Headroom』は“静止した踊り”だった。『Untourable Album』を“閉じた瞑想”とするなら、『Equus Asinus』は歩き続ける生活そのもの。
だからこそ、ロバは象徴として超完璧なのだ。止まらないのではなく、止まっていられない。進むために音楽があるのではなく、進むしかない生活のテンポが音楽になってしまった。それこそが、本作における “音楽的ロバ化” の核心である。
ノスタルジーでも夢見心地でもなく、“生活を引き受けるポップ”へ
『Equus Asinus』は、ドリームポップを経て、ついに“生活を引き受けるポップ”へ到達した一枚だ。
『Untourable Album』は、「世界が止まったときの祈りの記録」だった。『Equus Asinus』は、「世界が再開したあと、再び自分の足で立たなければならない者たちの記録」である。
ロバの学名を掲げ、フェラートの写真を使い、中年夫婦の寝室を写し取る。そこにあるのは青春のきらめきではなく、夢の延長でもなく、
“生活するための体力を、毎日ロバのように引きずっていく”という視点だ。
メン・アイ・トラストは、踊らないダンスミュージックを経て、ここでついに“生きているだけで重たい生活のリズム”へ耳を傾け始めている。
- アーティスト/メン・アイ・トラスト
- 発売年/2025
- レーベル/Return To Analog
- ジャンル/インディーポップ,ドリームポップ
- I Come With Mud
- All My Candles
- Bethlehem
- Frost Bite
- Heavenly Flow
- The Landkeeper
- Purple Box
- Paul's Theme
- Girl (2025)
- Burrow
- Unlike Anything
- I Don't Like Music
- Moon 2
![Equus Asinus/メン・アイ・トラスト[CD]](https://popmaster.jp/wp-content/uploads/81lfofSJZXL._AC_UL640_FMwebp_QL65_-e1763337528960.webp)

