『Loner』(2025)
アルバム考察・解説・レビュー
Loner(2022年)は、スコットランド出身の気鋭プロデューサー、バリー・キャント・スウィム(Barry Can’t Swim)がその名を世界に知らしめた決定的なダンス・アンセム。ベッドルーム・ミュージックの親密さを保ちつつ、獰猛なブレイクビートと優美なジャズ・ピアノを衝突させ、「孤独」というテーマを圧倒的な多幸感へと昇華させた、エモーショナル・エレクトロニックの金字塔である。
スターダムが生んだ『Loner』という名の矛盾と救済
2023年、デビューアルバム『When Will We Land?』(2023年)でマーキュリー賞にノミネートされ、グラストンベリー・フェスティバルの巨大なステージで数万人を熱狂させた男、バリー・キャント・スウィム。
そのわずか2年後にリリースしたアルバムのタイトルが、『Loner』(2025年)。バックステージには取り巻きが溢れ、シャンパンが抜け、インスタグラムの通知は鳴り止まないはずの男が、「僕は孤独だ」という想いをアルバムに冠した。むしろこれこそが、現代のポップスターが抱えるリアルな病理なのだろう。
バリー・キャント・スウィムはこのアルバムで、ダンスミュージック=パーティーという単純な等式を、完全に破壊しに来た。EDM全盛期以降、アヴィーチーの悲劇を引くまでもなく、DJやプロデューサーたちは群衆の中の孤独という巨大な闇と戦ってきたわけだが、本作はその戦いの記録そのもの。
きらびやかなスポットライトの裏側で、彼がいかにして精神のバランスを崩しかけ、そしてどうやって自分自身を取り戻したか。これは、成功という名の重圧に押し潰されそうになった一人の青年の、血の通ったドキュメンタリーなのである。
「Josh」と「Barry」の仁義なき戦い
このアルバムを語る上で避けて通れないのが、ジョシュア・マイニー(素の自分)とバリー・キャント・スウィム(演者としての自分)の分離というテーマだ。
パンデミックの静寂の中で音楽を作っていた内向的な青年が、いきなり世界中を飛び回るツアー生活に放り込まれる。毎晩が狂騒、毎晩が絶頂。しかしホテルに戻れば、そこには圧倒的な静寂と、見知らぬ天井があるだけ。
精神を保つために彼が選んだ手段が、二つの人格を完全に切り離すことだった。「ステージの上の僕はバリーだ。でも今の僕はただのジョシュアだ」。そうやって防衛線を張らなければ、自己が崩壊してしまうほどのプレッシャー。
本作『Loner』のサウンドが、前作のようなイケイケドンドン的高揚感から一転して、どこか内省的で、深夜のベッドルームを思わせる質感(テクスチャー)に変化しているのはそのためだ。
だが、このアルバムの凄みは、この分裂した二つの魂を、音楽という接着剤でもう一度くっつけようとしていることにある。その象徴的なエピソードが、収録曲「Wandering Mt. Moon」の制作秘話。なんとこの曲、ロンドンのインド料理屋のトイレで生まれたというのだ。
このトラック、食事中にトイレに立った彼が、スピーカーから流れるボリウッド映画のサントラに心を奪われ、スマホで録音した音がベースになっている(普通、カレー屋のトイレで感動するか?)。
しかし、彼にとってはそんな日常の些細なノイズこそが、スターダムから離れたリアルな手触りだったのだろう。ベルリンの路地裏の音、友人の話し声、古いレコードのノイズ。
彼はそれらを「楽器」として扱い、デジタルなビートの中に有機的な体温を注ぎ込んだのだ。
アルバムという物語の復権と、サッド・バンガーの美学
本作リリース時、海外のコアなファンの間で物議を醸したのが「先行シングルの出しすぎ問題」。
アルバム発売前に半分近くの曲が公開されていたため、「新鮮味がない」「ネタバレされた気分だ」という批判が噴出した。確かに、Spotifyのプレイリストにねじ込むために五月雨式に新曲を出し続ける「ウォーターフォール型リリース」は、現代の音楽マーケティングの正解かもしれない。
だがこのアルバムに関して、そんな批判は的外れだろう。なぜなら、既発のシングル曲も、アルバムという流れの中に置かれることで、全く別の顔を見せるからだ。
単体ではフロアを揺らすバンガー(アゲアゲな曲)として機能していた曲が、前後のインタールードやボイスメモ、そして彼自身の独白のような歌詞と接続されることで、突如として「悲しみのアンセム」へと変貌する。
これぞ、ロビンの『Dancing On My Own』(2010年)以降、一つの美学として定着した「サッド・バンガー(泣きながら踊れる曲)」の最新進化系。身体はビートに合わせて揺れているのに、心は泣いている。
本作は、ピークタイムのフェスで数万人をぶち上げるための機能性よりも、たった一人で孤独と向き合うリスナーのためにチューニングされている。
曲順、曲間の繋ぎ、そして後半にかけての静かなるカタルシス。そこには、分裂した自己を統合し、「孤独でもいいんだ」と肯定するまでの壮大なドラマがある。
このアルバムは、消費されるためのコンテンツではなく、体験されるべき物語なのだ。
- アーティスト/バリー・キャント・スウィム
- 発売年/2025
- レーベル/Ninja Tune
- ジャンル/エレクトロニック、ダンス、ハウス
- プロデューサー/ジョシュア・マイニー(バリー・キャント・スウィム)
- 1. The Person You’d Like To Be
- 2. Different
- 3. Kimpton
- 4. All My Friends
- 5. About To Begin
- 6. Still Riding
- 7. Cars Pass By Like Childhood Sweethearts
- 8. Machine Noise For A Quiet Daydream (feat. シェイマス)
- 9. Like It’s Part Of The Dance
- 10. Childhood
- 11. Marriage
- 12. Wandering Mt. Moon
- Loner(2025年/Ninja Tune)
![Loner/バリー・キャント・スウィム[CD]](https://popmaster.jp/wp-content/uploads/611yPeTprpL._AC_UL640_FMwebp_QL65_-e1765260094669.webp)