『Moisturizer』──笑いながら壊れる、ウェット・レッグのポップへの抵抗
『Moisturizer』(2025年)は、ワイト島出身のバンド、ウェット・レッグ(Wet Leg)が放つ2ndアルバムである。リアン・ティーズデールとヘスター・チャンバースに加え、3人の新メンバーが正式加入し、より肉体的なアンサンブルを獲得した。タイトルの“保湿剤”は、乾いた現実を覆う皮膜であると同時に、感情の断絶を包み込む比喩。皮肉と哀しみのあいだで、彼女たちは笑いを抵抗の武器として鳴らす。
ワイト島から世界へ──脱力と抵抗の美学
何だか知らないうちに、ウェット・レッグはデュオから五人組のバンドへと変貌していた。
リアン・ティーズデールとヘスター・チャンバースに加え、ジョシュ・モバラキ(ギター)、エリス・デュランド(ベース)、ヘンリー・ホームズ(ドラム)が正式加入。より肉体的で、バンド的なエネルギーを帯びることになった。
英国ワイト島という隔絶された土地で育まれたこのユニットは、世界的な成功を経てもその閉鎖的ユーモアと孤立感を失っていない。むしろその“田舎の湿度”が、ポップカルチャーの毒として作用している。
2ndアルバム『Moisturizer』(2025年)は、タイトルからして自己パロディの香りが濃厚。保湿剤=moisturizerという語が、乾ききった世界をしっとりと覆う比喩であると同時に、感情の断裂を覆い隠す皮膜のようでもある。
ウェット・レッグの魅力は常にこの二重構造──笑いと哀しみ、皮肉と誠実、乾燥と湿潤──のあいだにある。
皮肉と欲望のエチュード
プロデュースは前作に続きダン・ケアリー。彼が構築するサウンドは、リズムの跳躍とテンションコードの揺らぎを活かしながら、単なるポスト・パンクの復刻ではなく、欲望の物質性そのものを音に変換している。
冒頭の「CPR」では、無機質なギターリフと乾いたドラムが、恋愛の緊張と倦怠を一瞬で可視化する。リアンのヴォーカルは相変わらず気怠く、投げやりで、しかし正確に切り込む。
まるで他人事のように自分を語る距離感。彼女の歌唱はポップソングの文法に背を向け、感情を“観察”する視線のようだ。ヘスターのクラップが中盤で挿入される瞬間、音楽が突然「人間的になる」。そのズレに、ウェット・レッグの本質がある。彼女たちは常に「温度差」を武器にする。
「catch these fists」はロックンロールの正統進化系のように聴こえるが、その内部は破壊的。イントロがほとんどフランツ・フェルディナンドの「Do You Want To」なのは、偶然ではない。イギリスのロック史を内側からパロディ化することで、彼女たちは“継承される退屈”に爆弾を仕掛けている。
次の「Davina McCall」は、テレビ司会者をモチーフにした社会的ナンバーで、メディアと女性像の歪んだ関係性を茶化すように描く。ベースとギターの反復が、笑いの裏側に潜む暴力を浮き彫りにする。
ウェット・レッグのユーモアはブラックコメディ的だが、その構造は極めて政治的だ。日常を笑うことは、体制を嘲ること。笑いは逃避ではなく、抵抗の形式なのだ。
彼女たちは怒りをユーモアに変える錬金術師であり、笑いの奥に棘を仕込む詩人でもある。
“pokemon”と非現実のリアリズム
アルバム中盤に位置する「pokemon」は異質なナンバーだ。タイトルが示す通り、日常の違和感や人間関係の齟齬を“ポケモン”という比喩に置き換えている。
ここでのモンスターは、現代社会の個人を象徴している。誰もが自分を捕獲しようとし、同時に誰かのコレクションに収まることを恐れている。跳ねるギターと変拍子のドラムが、自由のフリをした不自由さを暴き出す。
柔らかなシンセサイザーの音は、幻想の膜のように全体を包み込むが、その下では依然として不穏なノイズがうごめく。リアンの声がこの曲では異様に近く、耳元で囁くように響くのも象徴的だ。
ウェット・レッグは常に現実と虚構の境界をあいまいにし、笑いながら地獄を覗き込む。その軽やかさこそが、彼女たちの最大の暴力性なのだ。
海に囲まれたユーモア──ワイト島という呪文
ウェット・レッグのサウンドを語る上で、ワイト島という地理的条件は無視できない。海に囲まれた閉鎖的な空間、霧と潮風、静けさと孤立。その土地の湿度が、音楽に宿っている。
ポスト・パンク的なミニマリズムとフォークホラー的な情緒が共存するのは、この地の特異な時間感覚ゆえだ。彼女たちのユーモアは常に“海の向こう”に向けられている。
外の世界を意識しながらも、決してそこに迎合しない。自らの孤立を笑いに変えるその姿勢は、英国ロックの系譜における新たな“反抗の島”である。彼女たちは世界に背を向けるのではなく、世界のほうが彼女たちに追いつけないのだ。
僕は正直、ポスト・パンクの熱心なリスナーではない。しかしウェット・レッグだけは別だ。彼女たちの奇妙で不格好なサウンドを聴くたび、笑いながら心がざわつく。
中毒とは、快楽と痛みの境界が崩壊した状態のことだ。ウェット・レッグの音楽は、まさにその境界に立っている。リアンとヘスターが吐き出す一言一句に、皮肉と優しさが同居する。彼女たちは、悲しみを明るく歌うことの残酷さを知っている。そしてその残酷さこそが、生きることの証であると知っている。
『Moisturizer』は、乾いた心に塗るクリームではない。むしろ、その乾きを引き受けて輝くための炎だ。ウェット・レッグは今日も笑いながら泣き、踊りながら壊れていく。そして、その姿が美しい。
- アーティスト/ウェット・レッグ
- 発売年/2025年
- レーベル/Domino
- CPR
- liquidize
- catch these fists
- davina mccall
- jennifer’s body
- mangetout
- pond song
- pokemon
- pillow talk
- don’t speak
- 11:21
- u and me at home
