『Oncle Jazz』──70分の音響空間が生んだ“内側のフロア”
『Oncle Jazz』(2019年)は、カナダ・ケベック州で活動するインディーバンドのメン・アイ・トラスト(Men I Trust)が、2015年作『Headroom』に続き自主リリースした長編アルバム。ジェシー・キャロンとドラゴス・キリアックによる宅録制作を基盤とし、エマニュエル・プルーが全曲でボーカルを担当する初の作品として位置づけられる。全24曲という構成で、リリース当時の公式ストアでは「音量を上げて聴くこと」を推奨する注記が添えられた。収録曲は低音域の反復と抑制されたリズムを共有し、ベースと電子音がゆるやかな揺れを生む設計が貫かれている。
部屋のなかで終わらないフロア
メン・アイ・トラストの3rdアルバム『Oncle Jazz』(2019年)は、「メン・アイ・トラスト像」を決定づけた作品だ。
前作『Men I Trust』(2014年)、『Headroom』(2015年)では、まだプロジェクト感の強いエレクトロニカ・ユニットとしての側面が残っていたが、本作でようやくエマニュエル・プルー、ジェシー・キャロン、ドラゴス・キリアックの三人による「恒常的なバンド」という像が、音楽的にも人格的にも結晶化する。
タイトルの「Oncle Jazz(オンクル・ジャズ)」という言葉は、エマがジェシーにつけたニックネームに由来する。ジェシーが常にギター機材や日常の面倒を見てくれる「頼れるおじさん」のような存在であり、彼の愛称 “Jess” が“Jazz”に聞こえるところから「オンクル・ジャズ」と呼び始めたんだとか。
そこには、ジャズの高度な和声と、リビングにいる親しい家族のような親密さが同居している。つまり『Oncle Jazz』は、ジャズの洗練と家族的な距離感を一枚のアルバムに凝縮する、ささやかな宣言でもあるのだ。
制作環境も、その親密さを後押ししている。三人はビルボードのインタビューで、都市を離れ、ケベック州の田舎の家で長期間過ごしながら本作を作り上げたことを明かしている。周囲には歩くことと音楽について考えること以外にすることがなく、その孤立した環境が、穏やかで内省的なサウンドに直結したという。
さらに、バンド自身が「音量をあえて低めにミックスしたアルバム」であると述べており、温かく自然な質感を得るために、リスナーにボリュームを上げて聴くことを前提に設計している。この「静かなミックス」は、静謐さの演出であると同時に、リスナーに能動的な「聴く姿勢」を要求する仕掛けでもある。
ベッドルームのテンポで踊る
『Oncle Jazz』のトラックリストを BPM で俯瞰すると、66〜166BPM の間に24曲が分散し、平均はおよそ116BPM前後に位置する(※音楽解析サイトTunebat、SongBPMの数字より)。
数字だけ見れば、決してスロウ一辺倒のアルバムではない。むしろ「Numb(138BPM)」「Say, Can You Hear(158BPM)」「Show Me How(166BPM)」といった楽曲は、表面上はかなり速いテンポで構成されている。
それにもかかわらず、体感としてはひたすら「ゆっくり」聴こえるのは、リズム解釈とアレンジの妙だ。ハイハットやシンセのアルペジオが倍テンポで動きつつ、ベースとボーカルは常にハーフテンポのグルーヴに寄り添う。その結果、楽曲は数値上のテンポよりも半分ほど遅い速度で「身体に入ってくる」。
例えば M-2「Norton Commander (Album V)」は、83BPM(解釈によっては 166BPM)の裏に、柔らかなベースとアンビエントなシンセがゆらぎを与えることで、「速いのに急がない」独特の時間感覚を生み出している。いわば、ダンス・ミュージックの構造だけを借りてきて、その上に「居心地の良さ」を塗り重ねたトラックだ。
そして、アルバム中盤のハイライトのひとつが M-6「Numb」である(名曲!)。139BPM というテンポ設定は、本来であればハウス〜テクノの領域に近い速度だが、ここでもドラムはあくまで「歩く速さ」を提示するに留まり、ジェシーのベースが音程とグルーヴの両方を握っている。
エマニュエル・プルーの声は、Eメジャーを基調としたコード進行のうえで、オクターヴを大きく飛ぶことなく、中低域から中高域レンジにとどまる。
その制限が、かえって「一定の高さで唱え続ける祈り」のような印象をもたらす。旋律は派手に跳ねないが、微細なビブラートとブレスのニュアンスが、サスティンの長いシンセと干渉しあい、音響的な「残像」として耳の奥に残り続ける。
一方で「I Hope to Be Around (Album V)」(87BPM)や「Pierre」(72BPM)、「Poplar Tree」(66BPM)といったスロウナンバーでは、テンポ自体がぐっと落ち、リズムはほぼ心拍と同じ周期に近づく。
しかし、ここでも転調はほとんど用いられず、曲全体が単一のキーのなかで静かに回転し続ける。メロディやコードのダイナミクスではなく、「時間そのものの粘度」を変えることで、ダンスとは異なる形のトランス状態を誘発しているのだ。
継承されたもの、更新されたもの
前作『Men I Trust』や『Headroom』と比較すると、『Oncle Jazz』はまず、構造レベルでの変化が顕著だ。初期のメン・アイ・トラストでは、トラックごとにボーカルのキャラクターが入れ替わり、エレクトロニカ〜トリップホップ〜ネオソウルの要素が「ジャンル横断的なサンプル集」のように配置されていた。
対して『Oncle Jazz』では、事実上ほとんどの楽曲をエマニュエル・プルーが歌い、ジェシーのベースとドラゴスのキーボード/プロダクションが、アルバム全体を単一の世界観として束ねている。
その統一感は BPM・転調・音域の三点に集約されるだろう。BPMについては、全24曲の平均が約116BPMでありながら、体感上は「ミドル〜スロー」の帯域に落ち着いて聴こえる。
これは、ドラゴスがプログラムする電子ドラムがしばしば倍テンポで動く一方、ベースとボーカルがハーフテンポのフレーズで「重力」を決めているからだ。
数字上はクラブの速度を持ちながら、身体感覚としてはベッドルームの揺れに留める──この二重構造が、『Men I Trust』、『Headroom』期のよりフラットなビート感からの、大きなアップデートだ。
転調についても、メン・アイ・トラストはあくまでローカルな変化にとどめている。『Oncle Jazz』の多くの楽曲は、Eメジャー/Bメジャー/C♯メジャーといった、ギターとシンセにとって扱いやすいキーの範囲内で完結し、いわゆるドラマティックなモジュレーションをほとんど用いない。
その代わり、ベースラインの始点をずらすことで「聴感上の転調」を生み出す。これは、コード進行やキーの劇的な変化ではなく、「同じ場所にいながら風景だけが少しずつ動いていく」ような感覚を生み出すための戦略だと言える。
音域レンジの扱いも、前作までとは質が変わっている。エマのボーカルは、アルバムを通じて大きく張り上げる瞬間がほとんどなく、低めのメゾソプラノ〜アルト帯域で一貫している。
これは、かつて複数のゲストボーカルを採用していた『Headroom』期の「曲ごとに声を選ぶ」スタイルから、「一つの声をどこまで空間の中で変奏できるか」という問いへのシフトでもある。
声が高くなることで感情を示すのではなく、声そのものの粒立ちや録音距離の変化によって、親密さ/距離を微調整していく。このミクロな変化が、アルバム全体を貫く「祈り」のような連続性を作り出している。
その意味で、『Oncle Jazz』の反復はもはや単なるダンス・ミュージックの反復ではない。『Men I Trust』では、シンセやベースの反復はまだ「ループの気持ちよさ」として前面に出ていたし、『Headroom』では、複数のボーカルがそのループ上でキャラクターを演じ分けていた。
ここでの反復は、むしろ「自己確認のためのマントラ」に近い。エマが同じフレーズを何度も、ほとんど音程を変えずに歌い続けるとき、それは感情の爆発ではなく、静かな念仏のように空間を満たしていく。
そこに、タイトル「Oncle Jazz」の由来が重なってくる。エマはジェシーを「ギターのことから生活のことまで面倒を見てくれるジャズおじさん」と形容したが、本作の音楽構造もまさにそのイメージに沿っている。
ベース(=ジェシー)は常に足元を安定させ、キーボード(=ドラゴス)は和声の色彩を変えながらも過剰に主張しない。ボーカル(=エマ)は、その上をただ「存在として」漂う。派手なソロや声量の誇示はほとんどなく、かわりに「ここにいる」という事実だけを、反復と微細な変化によって刻印していく。
ビルボードのインタビューで、三人は本作を「ポップメロディーとジャズ的リズムが、雪解けの川のように切れ目なく流れるアルバム」として構想していたことを示唆している。
そこには、曲ごとにコンセプトを刷新していくのではなく、一日の時間帯や天気のように、ゆっくりと移ろうトーンの変化を追いかけるという視点がある。
『Men I Trust』、『Headroom』が「どんなサウンドを鳴らせるか」という実験の記録だとすれば、『Oncle Jazz』は「この三人でどんな時間を共有できるのか」という、より生活に近い問いへの回答なのだ。
踊らないダンスミュージックの完成形へ
『Oncle Jazz』は単に「ドリームポップ/チルアウトの名盤」というだけでなく、“踊らないダンスミュージック”の重要な到達点として位置づけられるだろう。
アンビエント・テクノがダンスフロアの高揚をサウンドスケープへと還元し、Lo-fi ヒップホップが「作業用 BGM」としてのビートを日常に浸透させた流れの先で、メン・アイ・トラストは「反復を祈りへ」「声を存在へ」と変換してみせた。
BPM的には十分に速く、和声的にはジャズやソウルの素養を持ちながら、曲は決してクラブの熱量に向かわない。代わりに、『Oncle Jazz』はヘッドフォンの内部にだけ存在する小さなフロアを作り、そのなかで聴き手一人ひとりに、密やかな揺れを許可する。
そこでは、誰かに見せるためのダンスは必要ない。反復は「まだここにいる」ことの確認であり、声は「この時間を共有している」ことの証しだ。
『Men I Trust』で提示されたベッドルーム・ダンスの萌芽、『Headroom』で試された複数ボーカルとプロダクションの実験。それらをすべて内側に折りたたみ、三人の名前を冠したバンドの核として練り上げたものが、『Oncle Jazz』である。
反復はポーズから祈りへ、声はキャラクターから存在へ──そんな更新の物語として、このアルバムは“踊らないダンスミュージック”のひとつの完成形として静かに光り続けている。
- アーティスト/メン・アイ・トラスト
- 発売年/2019年
- レーベル/Return To Analog
- Oncle Jazz
- Norton Commander (Album V)
- Days Go By
- Tailwhip (Album V)
- Found Me
- Numb (Album V)
- Say Can You Hear (Album V)
- All Night
- I Hope to Be Around (Album V)
- Dorian
- Pines
- Slap Pie
- Fiero GT
- Seven (Album V)
- Show Me How (Album V)
- Alright
- You Deserve This (Album V)
- Pierre
- Air
- Porcelain
- Poodle of Mud
- Something in Water
- Tailwhip Revisited
- Poplar Tree
![Oncle Jazz/メン・アイ・トラスト[CD]](https://popmaster.jp/wp-content/uploads/51ObxLFRlqL._AC_UL640_FMwebp_QL65_-e1763334657880.webp)