ずっと、相米慎二の映画が謎だった。そして今も、謎のままだ。それは、混乱と呼んでもいいし、戸惑いと言い換えてもいい。
なぜ『セーラー服と機関銃』(81)は、天下無双のアイドル・薬師丸ひろ子の相貌を、クローズアップで切り取らないのか。なぜ『ションベン・ライダー』(83)は、材木の集積場で繰り広げられるアクション・シークエンスを、あえて望遠レンズで撮り続けるのか。なぜ『雪の断章~情熱~』(85)は、時間も空間も超越するような異様なワンシーン・ワンカットの長回しを、オープニングからカマしてくるのか。
両眼はしっかりとスクリーンを捉えているはずなのに、過剰な作劇と過剰な演出によって、「自分はいま何を目撃しているのか?」と果てしない自問自答を繰り返してしまう。その戸惑いが、映画を何度も反芻させるスイッチとなり、いつしか相米慎二という怪物に対する畏敬の念となっていった。
しかも彼の映画は、ティーンエイジャーの役者たちによるしなやかな身体の躍動によって、ある種の生々しさすらも獲得している。永瀬正敏、工藤夕貴、斉藤由貴、牧瀬里穂。彼ら/彼女らが、走ったり、叫んだり、ずぶ濡れになったりする瞬間を、相米慎二はフィクションではなくドキュメンタリーのような眼差しで、スクリーンに焼き付けていく。
ぜひご一読ください!
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