「「人が人を裁くこと」を描き続けたクリント・イーストウッドが94歳で達した境地 映画『陪審員2番』をいま観るべき理由」という考察/解説レビューをIGN JAPANに寄稿しました。 

人を裁くとはどういうことなのか。そもそも、人は人を裁くことができるのか。新約聖書のマタイによる福音書には、「人を裁くことなかれ。しからば汝らも裁かれざらん」というイエス・キリストの言葉が書かれている。それでも人類は社会秩序を維持するために、世界の安定をはかるために、人を裁き続けてきた。
judge(裁く)の語源は、ラテン語のjus(正しい)とdicare(述べる)を組み合わせたもの。justice(正義)と同じ由来を持っている。我々は長いあいだ正義について思索をめぐらし、叡智を育んできた。その歴史と集積によって、清廉高潔かつ不偏不党の精神が定義され、初めてjudgeが執行される。人を裁く行為には、それだけの責任が求められる。
それでもなお、その倫理に対する問いは絶えることがない。アンドレ・カイヤットの『裁きは終りぬ』(1950年)のように、裁くことの道義性を描いた映画は、これまでも数多く作られてきた。クリント・イーストウッドは、キャリア初期からこのテーマに自覚的に取り組んできた映画作家といえる。
ぜひご一読ください!


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