雨後のタケノコのごとく、次々と作られる「舐めてた相手が実は殺人マシンでした映画」。スーツに身を包んだ英国紳士が最強エージェントだった『キングスマン』(14)、ホームセンターで働く温厚な男が元CIAの特殊工作員だった『イコライザー』(14)、冴えない会計士が凄腕暗殺者だった『ザ・コンサルタント』(16)、そして愛犬を殺されたことをきっかけに、封印していた地獄の仕事人としての本性を取り戻す『ジョン・ウィック』(14)…。
この系譜のルーツをたどれば、1970〜80年代のアクション映画にその萌芽が見える。妻を殺された建築家が自ら銃を取る『狼よさらば』(74)は、平凡な市民が暴力に踏み出す姿を真正面から描いた作品であり、この流れの起点に位置づけられるだろう。国家や司法が機能しない社会のなかで、市民が自ら制裁を行う──いわゆるビジランテ(私刑)映画の嚆矢である。当時の暴力は、単なる報復ではなく、崩壊しつつあった社会秩序に対する個人の倫理的抵抗として描かれていた。
しかし1980年代に入ると、暴力の主語は市民から英雄の肉体へとすり替わり、筋肉が正義を語る時代が到来した。シルヴェスター・スタローンの『ランボー』(82)やアーノルド・シュワルツェネッガーの『コマンドー』(85)では、国家や軍の正義は完全に腐敗し、超絶マッチョメンが力によって秩序を取り戻す装置となる。暴力は社会批判ではなく、エンターテインメントとしての快楽へと変質し、観客はその“力の幻想”を消費するようになっていく。
ぜひご一読ください!
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