「『メモリィズ』映画という名のタイムマシン、死者と生者が交錯する無人の窓」という考察/解説レビューをCINEMOREに寄稿しました。
想像してほしい。あなたは映画監督だ。主人公の雄太(柄本佑)が、足を怪我した義父・誠(イッセー尾形)の世話をするために、東京から大分の田舎町へと向かう場面を撮るとする。普通なら、重い荷物を引きずりながら改札を抜けるカットや、目的地に到着して「今日からお世話になります」と深々と頭を下げる段取りを丁寧に描くことだろう。観客に状況を説明するために。
しかし、これが長編初監督となる坂西未郁は、そんなドラマ的説明を一切すっ飛ばす。雄太はフェリーの窓枠から海を眺め、見知らぬ土地の道をただスマホの動画で撮影しながら進んでいく。そして到着の挨拶を描くことなく、観客は唐突に、すでに義父の家でごく当たり前のように食事をしている主人公の姿を目撃することになる。
物理的な移動は見せるくせに、ドラマとしての段取りはまるまる省略。そもそも、雄太と誠がどういう関係性なのか、なぜ大分に行く必要があるのかすら、最初は何も説明してくれない。観客は彼らの少しぎこちない距離感や、言葉の少ないやり取りを観察しながら、事後的に状況を察していく。この、徹底して説明を拒否するストイックな演出を見せられた時点で、我々はこの『メモリィズ』(26)という、あまりにも奇妙で、たまらなく愛おしい映画の術中にすっぽりとはまっている。
ぜひご一読ください!
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坂西未郁 監督作品レビュー
- メモリィズ(2026年/日本)
