某月某日、@渋谷ユーロスペース。筆者は吉田恵輔監督の『空白』(21)を目撃して脳天を打ち砕かれ、その後春本雄二郎監督の『由宇子の天秤』(21)を目撃して魂を揺さぶられるという、激烈体験を味わった。2021年を代表するであろう邦画作品2本を、同じ日に同じ映画館で立て続けに鑑賞できるというのは、もうそれ自体が映画的事件なり。
しかも両作共に、投げかけてくるテーマは「正しさとは何か」。その問いに対して、『空白』は動的、『由宇子の天秤』は静的な筆致で、我々に思考を促す。正しさと正しくなさ、善意と悪意、加害と被害。全てが混沌の中に放り込まれ、鑑賞者の倫理観を揺さぶってくる。もう、心身ともに疲労困憊です。
すでにCINEMOREでは、「『空白』不寛容の“先”に、手を伸ばす。映画史の足跡を継いだ一作」という力の入った考察があるため、今回は『由宇子の天秤』についての考察を試みていきたい。なお本作に関しては、「『由宇子の天秤』春本雄二郎監督 シリアスな社会性と娯楽性を高度に一致させた今年度最重要作は、いかにして生み出されたのか」という監督インタビュー記事も掲載されているので、そちらも併せてお読みください。
ぜひご一読ください!
最近のコメント