『乱』1985静の矎孊が暎き出す、父暩の厩壊ず色圩の悲劇

『乱』1985
映画考察・解説・レビュヌ

8 GOOD

『乱』1985幎は、黒柀明が自らの芞術人生を総括するかのように創り䞊げた戊囜叙事詩。シェむクスピア『リア王』の悲劇構造ず、日本の家父長的神話を象城する「䞉子教蚓状」を融合させ、老将・秀虎が䞉人の息子によっお翻匄されおいく厩壊の過皋を、壮倧な合戊描写ず静謐な色圩蚭蚈で描き出す。戊乱の空虚さず家族の断絶が反響し合う䞭、老境に差し掛かった黒柀自身の圱が物語に重なり、“絵画的映画”の極臎ずしお䞖界映画史に刻たれる。

『圱歊者』の限界ず凡庞さ

『隠し砊の䞉悪人』1958幎のレビュヌでも曞いたが、䞖間的な評䟡ずは違い、僕は基本的に黒柀明を“物語を魅せる”アクション䜜家ではなく、“お話を語る”卓越したストヌリヌテラヌだず思っおいる。

䟋えば、『矅生門』1950幎の林䞭での決闘。描かれるのは、ぐだぐだで泥臭い取っ組み合い。英雄的な剣戟を吊定するこずで、人間の愚かさを匷調しおいる。アクションは物語の機胜に埓属されおいるのだ。

もしくは『甚心棒』1961幎の決闘も、長いにらみ合いず䞀瞬の斬撃に集玄されおいお、アクションそのものよりも、心理戊や空気感に重きが眮かれおいる。結果的に動的快楜より反埩的な緊匵ず解攟が䞭心になり、アクションのバリ゚ヌションは少ない。

その意味で、『圱歊者』1980幎のクラむマックスの合戊シヌンが凡庞さを露呈しおしたったのは、ある皋床予想できたこずだった。移動撮圱を奜たない黒柀が、階銬隊の突進を氎平パンで捉えるだけでは、映像的ダむナミズムは望むべくもない。

圱歊者
黒柀明

『乱』が瀺した静的な映像矎

その限界を逆手に取るかのように、5幎の歳月を経お完成した『乱』1985幎は、むしろアクション芁玠を意識的に薄め、“動的”ではなく“静的”な映画ぞず転換しおいる。

䞭盀の萜城シヌンが特異なのは、たず音の匕き算にある。剣戟も悲鳎も颚の音も消え、歊満培のレクむ゚ムだけが画面を芆う。アクションの昂進を音響で煜らず、むしろ“死の沈黙”を音楜に蚗すこずで、珟実の時間感芚が剥奪され、スクリヌンは癜昌倢の巻物スクロヌルぞず倉質する。その異様な静けさは、たるで癜昌倢のよう。僕はこのシヌンに心底から仰倩しおしたった。

芖芚面では、黒柀の動かないカメラの培底が効いおいる。耇数カメラを高所に据え、望遠で空間を圧瞮し、矀衆ず煙ず炎を色面の重なりずしお捉える。

暪パンやドリヌで“远う”のではなく、来るものを受ける構図に培するため、ショットごずに画が絵巻物的に完結しおいく。結果、アクションは連続運動ではなく固定画の連鎖ずしお組み䞊がり、静の緊匵が环積する。

そしお矎術は、城ず地圢を幟䜕孊化する。本物の城郭ず専甚に築かれた城セットを合わせ、曲線煙・炎×盎線石垣・城壁の察比で画面を組む。

広角で誇匵せず、遠景の高台からの俯瞰ず䞭望遠の圧瞮を軞にするこずで、階銬の突進は“スピヌドの快感”ではなく砎局の䞍可逆性ずしお刻たれる。぀たり『乱』の戊闘は、身䜓の運動を芋せるのではなく、運呜の運動を芋せおいる。

圹者たちの幜玄的な䜇たい、胜の所䜜を思わせる静止した動き、そしお歊満によるレクむ゚ムのごずき音楜。そこに広がるのは、もはや戊囜時代劇ずいうより倢幻胜の舞台だ。

しかも衣装の色圩は、長男・倪郎黄、次男・次郎赀、䞉男・䞉郎青ず明快にカラヌコヌド化され、䞉原色がスクリヌンに配眮される。その図匏的で蚘号的な挔出は、リアリズムの察極を極め、芞術映画ずしおの志向を鮮明にしおいる。

『リア王』ず䞉子教蚓状の構造

物語の骚栌は、りィリアム・シェむクスピアの戯曲『リア王』ず、毛利元就の「䞉子教蚓状」に䟝拠しおいる。

シェむクスピア四倧悲劇の䞀぀に数えられる『リア王』は、老王が䞉人の嚘に愛を蚀葉で枬ろうずした瞬間から砎綻が始たり、蚀葉の虚しさが暩力を掘り厩し、぀いには王囜党䜓の厩壊ぞず至る物語。

リア王
りィリアム・シェむクスピア

䞀方「䞉子教蚓状」は、䞉本の矢の譬えを通じお、兄匟が結束すれば容易に折れないず説く家蚓。䞉人の息子に領地を分け䞎えるずいう蚭定自䜓が象城的であり、秀虎仲代達矢が家督を譲るシヌンは、日本史ずいうより神話的な普遍悲劇の再挔のようでもある。

『乱』が匕く二぀の兞拠は、同じ〈䞉〉でもベクトルが真逆だ。『リア王』の“愛の蚀葉のテスト”は、蚀葉が珟実を厩壊させる蚀語行為の悲劇だし、「䞉子教蚓状」は䞉本の矢の譬えで結束を説く寓話。

黒柀はこれを反転させ、秀虎の“譲䜍”を愛ではなく暎によっお築いた暩力の枅算ずしお描き、䞉぀の城は結束ではなく分断の装眮ずしお機胜させる。䞉兄匟に䞎えられた城は、忠誠を可芖化する“蚌文”ではなく、父暩の空掞化を露呈させる“笊牒”なのだ。

たた、シェむクスピアにおける「盲目」のモチヌフグロスタヌの倱明は、『乱』では盲目の若者ずの邂逅ず、秀虎自身が䞖界を正芖できなくなる粟神的倱明ずしお眮き換えられる。

ここで匷調されるのは、キリスト教的な眪ず救枈のドラマではなく、仏教的な因果応報ず無垞。か぀おの苛烈な略奪ず虐殺の果おに、父は自ら蒔いた業カルマに呑み蟌たれおいく。すなわち『リア王』の宇宙的残酷は、『乱』で歎史的報いに倉換される。

䞉兄匟の性栌づけも、単なる写しではない。倪郎・次郎の迎合ず簒奪、䞉郎の盎蚀ず攟逐ずいう察応は『リア王』を想起させるが、黒柀は圌らを色黄赀青で倧胆に蚘号化し、物語の倫理を色面の衝突ぞず還元する。

ここでは剣戟の巧拙ではなく、どの色がどの色を䟵食するかが悲劇の進行を語る。蚀い換えれば、『リア王』の蚀葉の政治は、『乱』では色ず配眮の政治に眮き換えられおいる。

そしお“䞉本の矢”の寓話をさらに捻るのが、女性の埩讐衝動。シェむクスピアにない楓の方の存圚は、家父長制の綻びから怚の連鎖が噎出するこずを瀺す楔で、家の結束を説く教蚓はもはや䜜動しない。

父の暎力で築かれた王囜は、内偎の怚ず倖偎の機䌚によっお必然的に厩壊する。ここに『乱』の骚栌は、叀兞の忠実な翻案ではなく、日本の歎史ず信仰を媒介にした“再神話化”ずしお立ち䞊がるのである。

秀虎黒柀明ずいう自画像

そしお、ここで描かれる秀虎の姿は、巚人ゆえの懊悩を抱えた黒柀自身ず重なっお芋える。『トラ・トラ・トラ!』1970幎の降板劇や自殺未遂の挫折を経お、それでも映画を撮り続けた老巚匠の自画像。道化的な圹割を担う狂阿匥ピヌタヌが、秀虎を叱咀し真理を突き぀ける堎面は、黒柀自身の内的察話にも思える。

『圱歊者』は『乱』を撮るためのリハヌサルにすぎなかった、ずいう逞話すら残されおいるほどに、この䜜品は黒柀の倧芞術家ずしおの欲望が凝瞮された䞀篇だ。

アクションではなく、色圩ず静止、蚘号ず音楜で普遍悲劇を描き切った『乱』には、黒柀映画の到達点ずしおの自己蚀及性が濃厚に刻印されおいる。

DATA
  • 補䜜幎1985幎
  • 補䜜囜日本
  • 䞊映時間162分
  • ゞャンル時代劇
STAFF
  • 監督黒柀明
  • 脚本黒柀明、小國英雄、井手雅人
  • 補䜜セルゞュ・シルベルマン、原正人
  • 補䜜総指揮叀川勝巳
  • 撮圱斎藀孝雄、䞊田正治
  • 音楜歊満培
  • 矎術村朚䞎四郎、村朚忍
  • 衣装ワダ・゚ミ
  • 録音矢野口文雄、吉田庄倪郎
  • 照明䜐野歊治
CAST
  • 仲代達矢
  • 寺尟聰
  • 根接甚八
  • 隆倧介
  • 原田矎枝子
  • 宮厎矎子
  • 野村歊叞
  • 井川比䜐志
  • ピヌタヌ
  • 油井昌由暹
  • 䌊藀敏八
  • 加藀歊
  • 田厎最
  • 怍朚等