破格のスケールで描く、時代劇の最高峰
黒澤明は『七人の侍』を製作するにあたって、
「お茶漬けのようなこじんまりとした日本映画ではなく、御馳走がたくさん入った作品を作ろうと思った」
と発言している。
1910年生まれにして180センチの巨躯、この世代の日本人には珍しく、こってりとした肉料理を好んだという彼は、その感性も日本人離れしていた。
クライマックスの豪雨の中の決戦シーンも、アメリカの西部劇では絶対作れないシチュエーションという発想から採用されたらしい(アメリカ西部は乾燥地帯で、雨がほとんど降らないのだ)。“世界のクロサワ”の視線の先には、すでにハリウッドがあったのだ。
撮影日数は、通常の映画の4倍に匹敵する148日。予算は5倍の2億円。複数のカメラを同時にまわすマルチカム方式、望遠レンズを駆使した臨場感あふれる画面設計。全てが破格のスケール!
スティーヴン・スピルバーグが新作を撮る前には決まって『七人の侍』を鑑賞し、映画作りの参考にするというのは有名な話だが、今やこの映画は『SEVEN SAMURAI』としてワールドワイドに認知され、今や歴史的古典として揺るぎない地位を誇っている(全然関係ないけど、SAMURAIって単複同形な単語なのか?)。
演出はパワフルだが、脚本は細やかなのが黒澤映画の醍醐味。序盤、農村が野武士に毎年襲われ、窮地を救ってくれる侍を農民たちが探しに行き、一人、二人、三人と腕利きの侍たちが集結していく描写は実にテンポよく小気味いい。
よく黒澤作品ではストーリーにおける必要な情報を、序盤の会話シーンで説明してしまうという悪いクセがあるが(『悪い奴ほどよく眠る』とか『椿三十郎』(1962年)とか)、『七人の侍』のイントロダクションは完璧。程よくユーモアも交えたと~っても気持ちのいい導入である。
面白いのは、一般にはアクション作家として認知されている黒澤という作家は、いわゆる映像派の監督ではないということである。細かいカットでテンポをつくるというよりは、長廻しでじっくりと役者の演技を引き出すタイプ。
そこには、黒澤明の徹底したリアリズムがあり、凄まじいダイナミズムがある。実は彼の真骨頂は、板付きの演出にあるのではないだろうか。
劇作家の井上ひさしは、『七人の侍』を評して、
30回は観たが、あと20回は観て死にたい
と語ったそうな。
正直、周囲の一般的な評価ほど僕はこの映画のファンではないし、黒澤映画の熱心なファンでもない。
『用心棒』(1961年)にしろ『赤ひげ』にしろ『野良犬』にしろ、あまりにも男性的で粗野なタッチが生理的に受け付けられす、どこか軍隊統制的な手触りも好みではない。 だが、この尋常ではない熱量にはただただ圧倒される。
貧困に耐え、ヒエやアワを食べて明日を生き抜こうとする、農民たちの生活ぶりを観させられては、単なる痛快無比な娯楽作品とは断言できないだろう。
後年の黒澤明の作品『赤ひげ』でも感じたことだが、黒澤は貧困に耐えても生きようとする人間のの強さ、生命への賛歌を骨太なタッチで描き出す。黒澤明の映画には途方ないほどの生命のエネルギーがほとばしっているのだ。
- 製作年/1954年
- 製作国/日本
- 上映時間/207分
- 監督/黒澤明
- 製作/本木莊二郎
- 脚本/黒澤明、橋本忍、小国英雄
- 撮影/中井朝一
- 音楽/早坂文雄
- 美術/松山崇
- 録音/矢野口文雄
- 照明/森茂
- 編集/岩下広一
- 衣装/山口美江子
- 録音/矢野口文雄
- 志村喬
- 三船敏郎
- 稲葉義男
- 宮口精二
- 千秋実
- 加東大介
- 木村功
- 左卜全
- 小杉義男
- 藤原釜足
- 土屋嘉男
- 津島恵子
- 三好栄子
- 多々良純
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