世界のクロサワの記念すべき処女作であるにも関わらず、この作品は現在オリジナルの原型を留めていない。
もともとは上映時間97分の劇場用映画として製作されたのだが、太平洋戦争の真っ只中ということもあり電力節約のため大幅にハサミが入れられ、79分の作品に短縮された挙げ句、そのカットされたフィルムが行方不明になってしまい、今では不完全な形でしか現存していないんである。映画史的にも、これは極めて不幸な事件だ。
しかし考えてみれば、黒澤と並ぶ巨匠・小津安二郎の全54作品のうち、初期の18本が丸ごとフィルムとして現存していないことを考えれば、黒澤の全30作品全てが、完全ではないにせよ今でも鑑賞できるというのは、不幸中の幸いと言うべきか。
「姿三四郎」には、32歳にして念願の初監督デビューを果たした黒澤明の、練りに練られた映画的技巧が幾つも散りばめられている。個人的に印象に残ったシーンを以下に列挙してみよう。
- 矢野正五郎に弟子入りを志願した三四郎が人力車を引くシーン。三四郎は直前に下駄を放り捨てるが、その下駄が雑踏にまぎれ、風雨にさらされ、やがて川に投げ捨てられるまでを描くことによって、観客に時間の経過を把握させるのみならず、川に流れて行く下駄をカメラが追って行くと、三四郎が街で小競り合いをしているシーンに接続するという、スムーズな画面遷移の役割も果たしている。
- 街で大立ち回りを演じた三四郎が、正五郎に謝罪しようと部屋を訪れるシーン。襖を開けたとき三四郎は右半身しか見えないのだが、着物の右袖が破れているので、この時点で激しい格闘があったことが観客に示される。
- 神明活殺流の門馬三郎と他流試合を行うシーン。三四郎の必殺技「山嵐」が決まった瞬間、カメラは驚愕する道場の人々を捉えながら横パンして滑って行き、すでに息絶えている門馬三郎の上にスローモーションで障子がかぶさる。ダイナミックな運動が緩急のついたアクション・シーンによって表現されている。
- 警視庁武術大会で村井半助と試合を行うシーン。両者がお互いの襟をとってスキを伺うカットが、少しずつアングルを変えながらディゾルヴで画面転換していく。単なるカット割りではなくディゾルヴを採用することで、時間の経過が観客に示される。
- 檜垣源之助との最後の決闘シーン。物凄い速さで流れて行く雲、吹きすさぶ風と、黒澤明が終始一貫してこだわってきた「強風」「豪雨」のモチーフが、すでにこの処女作でも表れている。日本人として初めてハリウッドで撮影助手を務めた、”ハリー三村”こと三村明による陰影の深いキャメラが印象的。
新人離れしたパワフルかつ繊細な演出力を見せつけている「姿三四郎」は、一級の完成度を誇る映画だ。だが敢えて難を言えば、主演の藤田進がちょっと弱い。
三四郎の生真面目さ、朴訥さを上手く体現しているといえば聞こえがいいが、どうにも演技力のぎごちなさがそのまま役にシンクロしているだけのような気がして、吸引力に欠ける。
ラストの「僕、すぐ帰ってきます」という轟夕起子への愛の告白に近いセリフが、あまりに単調な言い方なもんだから、どーにもこーにも気分が盛り上がらない。
やっぱりこのヒト、自衛隊幹部とか地球防衛軍長官といった役で活きる人なんだろうな。
- 製作年/1943年
- 製作国/日本
- 上映時間/79分
- 監督/黒澤明
- 脚本/黒澤明
- 原作/富田常雄
- 企画/松崎啓次
- 撮影/三村明
- 美術/戸塚正夫
- 照明/大沼正喜
- 編集/後藤敏男、黒澤明
- 音楽/鈴木静一
- 藤田進
- 大河内傳次郎
- 月形龍之介
- 志村喬
- 轟夕起子
- 花井蘭子
- 河野秋武
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