全編“怒り”に満ち満ちた、黒澤明流「古典的復讐劇」
黒澤明は生来の完璧主義がたたって、たびたび撮影予定期間をオーバーしては、予算超過を招いていた。この事態を重くみた東宝が、黒澤に独立プロダクションを設立することを提案。狙いは、収益を分配させてリスクヘッジすることだった。
かくして誕生した「黒澤プロ」の記念すべき第一回作品が、『悪い奴ほどよく眠る』(1960年)。トーゼン“集客が見込めるお得意の時代劇”かと思いきや、いきなり松本清張風の社会派サスペンスを作ってしまうあたり、決して商業主義に傾倒しない巨匠の心意気を感じる。
ちなみに公団による組織ぐるみの汚職を描くというアイデアは、映画プロデューサーの井上芳男によるもの。彼は黒澤の甥にあたり、後年『夢』(1990年)や『八月の狂詩曲』(1991年)のプロデューサーも務めている人物。よく黒澤に自分の書いたシナリオを見せていたが、それが汚職を題材にしていたものが多かったことから、今回の企画が生まれたという。
とにかくこの映画、全編“怒り”に満ち満ちている。なるほど、社会問題を意識付けるのに最も有効なアプローチは、観る者に義憤を付与することだろう。
『悪い奴ほどよく眠る』という、直球ど真ん中なタイトルからしてその意図は明白だが、黒澤明はシェイクスピアの『ハムレット』を下敷きにした古典的復讐劇と、当時社会問題となっていた汚職問題という現代的なテーマをミックスすることによって、官と財の癒着を浮き彫りにし、観る者の怒りを呼び起こす。
三船敏郎演じる西(オールバック+メガネという出で立ちがなかなか良ろし!)の計略によって、腐敗しきった日本未利用土地開発公団の幹部を窮地に陥れていく展開から一転、その正義の鉄槌が最後の最後で砕けちり、水泡に帰してしまう悲劇的結末。
西とその妻・佳子の無惨な別離。「悪い奴」の親玉である副総裁・岩淵が、「個人では悪でなくとも、集団になると悪に染まってしまう」という図式を地でいくような、家庭ではマイホームパパであるという衝撃的事実。その全てが、ラストで慟哭する板倉(加藤武)の内面に観客を同一化せんがための、周到な装置なのだ。
個人的に興味を覚えたのが、岩渕の娘・佳子(香川京子)の足が悪いというキャラ設定であり、その原因が、兄の辰雄(三橋達也)が彼女を自転車に乗せていた時に起きた事故であるという設定であり、披露宴で辰雄が西に対して述べる「彼女を可愛がってくれ(抱いてやってくれ)」というセリフである。
しかし復讐を果たすために佳子と結婚した西は、罪悪感にさいなまれて彼女を抱くことが出来ない。悪を正さんと謀略を張り巡らす行動家の西が、ことセックスになると及び腰になってしまう、そのギャップが、悲劇的な結末をさらに強固なものにしている。
黒澤作品にあって、セックスの不在が物語の核になっているというのは面白い。ただ、後に『ゴッドファーザー』(1972年)も参照したという冒頭の結婚披露宴のシーンは、皆が絶賛するほど僕は好きくないです。
もちろん、複雑に入り乱れる登場人物の相関図を分かりやすく紹介する手法としては、バツグンに巧いと思うのだけれど、十数人にも及ぶ記者たちに個性を付与するのではなく、ジッパヒトカラゲにマスコミという総体として描いてしまう感性が、どうにも苦手。まあこれは『椿三十郎』(1962年)をはじめ、天皇とも称された彼のフィルムモグラフィー全てに通じることですが。
ちなみに本作で副総裁の岩渕を演じた森雅之は、撮影当時まだ49歳だったとか。っていうか、僕は最後まで彼が森雅之であることに気がつかず!さすが老け役には定評のある名優なり。
- 製作年/1960年
- 製作国/日本
- 上映時間/150分
- 監督/黒澤明
- 製作/黒澤明、田中友幸
- 脚本/小国英雄、久板栄二郎、黒澤明、菊島隆三、橋本忍
- 撮影/逢沢譲
- 美術/村木与四郎
- 録音/矢野口文雄、下永尚
- 照明/猪原一郎
- 音楽/佐藤勝
- 監督助手/森谷司郎、坂野義光、西村潔、川喜多和子
- 三船敏郎
- 加藤武
- 森雅之
- 三橋達也
- 香川京子
- 三津田健
- 一の宮あつ子
- 志村喬
- 田代信子
- 西村晃
- 藤原釜足
- 菅井きん
- 樋口年子
- 笠智衆
- 宮口精二
- 南原宏治
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