国境を越えた、ニッポンのスタンダード・フィルム
黒澤明の映画では、時として強烈な死臭を放つ。
野武士に襲われる『七人の侍』(1954年)の寒村、麻薬中毒患者がたむろする『天国と地獄』(1963年)の麻薬街。しかし黒澤明のフィルモグラフィーの中で(って言っても僕は全部観ている訳じゃありませんが)、最も強烈な、そして乾いた“死”の臭いを嗅ぐわせるのは、この『用心棒』(1961年)なんではないか。
宿場町に着くやいなや、手首を口にくわえた野良犬が駆けてくる。三船敏郎演じる桑畑三十太郎が一太刀ふるえば、ヤクザ者の腕が切り落とされる。吹きすさぶ血しぶき、斬殺音。時代劇で人を斬るときに生々しい音をかぶせたのは、この『用心棒』が最初だ。
山本周五郎らしい人情モノのペーソスが緩和剤になってはいるが、どこかおおらかな雰囲気に包まれていた『椿三十郎』(1962年)とは違い、『用心棒』には“痛快娯楽大作”という口当たりのいい慣用句には収まりきらない、張りつめた殺気がみなぎっている。
そのギラギラした殺気は、ダイナミックでスピード感あふれるチャンバラシーンにも顕著。「役者にカメラを意識させたくない」という理由から、『用心棒』では望遠レンズが多用されていることは有名な話。
焦点距離の長い望遠レンズ(本作では500ミリのレンズが使用されたらしい)で撮影すると、動きのスピードが早まるという効果がある。さらに、異なるアングルから同時にカメラを回すという二重撮影方式を採用したことによって、シネマスコープいっぱいに躍動感あふれるアクションシーンが実現した。
また『用心棒』には、黒澤が敬愛してやまないジョン・フォード映画の記憶…すなわち、西部劇のフォーマットが踏襲されている。
暴力が支配する宿場町に、どこからともなく現れた凄腕の剣士が現れ、町を牛耳る博徒一家の二大勢力を互いに戦わせるように仕向けて、最後は大立ち回りを演じ、また去って行く。
これは侍をガンマンに、宿場町をアメリカ西部のゴーストタウンに置き換えられる設定だ。宿場町には常にすさまじい砂ぼこりが巻き上がっているという仕掛け自体、極めて西部劇的=ジョン・フォード的ではないか。
邦画の既存フォーマットである時代劇と、アメリカ映画の既存フォーマットである西部劇が融合されたことによって生成されるのは、スタイリッシュな無国籍性。何てったって、卯之吉演じる仲代達矢の出で立ちが白い着流しにイギリス製のマフラー、そして片手にはピストルだ!!
あえて時代考証を無視することによって獲得した無国籍性は、それ故に万国共通のアクション映画のフォーマットとして流通され、イタリアのセルジオ・レオーネ監督作品『荒野の用心棒』をはじめとするマカロニ・ウェスタンに換骨奪胎される。
アメリカ映画のエッセンスを注入した『用心棒』は、国境を越えた日本映画のスタンダードとして、認知されることになったのだ。
- 製作年/1961年
- 製作国/日本
- 上映時間/110分
- 監督/黒澤明
- 脚本/黒澤明、菊島隆三
- 製作/田中友幸、菊島隆三
- 撮影/宮川一夫
- 照明/石井長四郎
- 美術/村木与四郎
- 録音/三上長七郎、下永尚
- 記録/野上照代
- 音楽/佐藤勝
- 三船敏郎
- 仲代達矢
- 司葉子
- 山田五十鈴
- 加東大介
- 河津清三郎
- 志村喬
- 東野英治郎
- 夏木陽介
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