真っ赤に焼けた鉄を鍛えに鍛えたかのような、贅肉ひとつないシナリオ
世界に与えた影響という意味では、ひょっとしたら『七人の侍』(1954年)や『用心棒』(1961年)以上かもしれない映画、それが『隠し砦の三悪人』(1958年)である。
何せジョージ・ルーカスは、この作品から『スター・ウォーズ』(1977年)の着想を得て、やがて巨万の富を得ることになるのだ(後年『影武者』の資金を調達したことで、ルーカスは黒澤明にきちんと恩を返すことになる)。
千秋実と藤原釜足演じる百姓コンビが、C-3POとR2-D2の原型であることは、もはや宇宙的常識。二人がお互いを罵り合いながら、乾燥地帯を歩いて行く冒頭のシーンなんぞ、C-3POとR2-D2が惑星タトゥーインの砂漠をトボトボ歩いて行くシーンとクリソツではないか!
理屈抜きのエンターテインメント作品として、30本を数える黒澤のフィルモグラフィーのなかでも、特に人気の高い本作。この映画の何がいいって、黄金200貫と姫を伴って敵中突破するという、とてつもなくシンプルなプロットがいい。
山名家との戦に敗れた秋月家の侍大将・真壁六郎太(三船敏郎)が、雪姫(上原美佐)を連れて同盟国・早川家の領土に逃げ込もうとするのだが、秋月領と早川領の国境は敵が兵を固めており、容易に突破できない。そこであえて敵の目をくらませるために、山名領から早川領へ抜けようと一計を案じるのだ。
何でもこのシナリオは、黒澤明が絶対に突破できないような状況を設定し、それを菊島隆三、小国英雄、橋本忍の3人が知恵を絞って打破するという、知恵比べのような方法論で作り出されたらしい。真っ赤に焼けた鉄を鍛えに鍛えたかのような、贅肉ひとつないシナリオを目指したのだ。
世間的な評価とは違い、僕は基本的に黒澤明を“物語を見せる”アクション作家ではなく、“物語を語る”職人作家だと思っているので、『隠し砦の三悪人』は、まさに水ももらさぬ緊密なシナリオに感歎すべき映画だと思う。
じゃあ肝心のアクションはどうかというと、「三船が流鏑馬のごとく手綱から手を離して刀を振り上げ、敵将の馬を追いかける」という皆がこぞって絶賛するシーンも、個人的には正直あまりノレなかったクチであります。
黒澤はカメラを担いだ移動撮影を嫌う監督なので、被写体を左から右へのパンで捉えるというショットを繰り返しているんだが、躍動感はキープできても、これでは二人の距離の伸縮はうまく伝わってこないじゃんか。
三船敏郎 vs 藤田進による槍同士の殺陣も、リアリズム溢れる殺気だった魅力を放ってはいるが、どうにもケレン味にかけるというか、プリミティヴな高揚感が感じられないというか、これまたどーにもこーにもノリきれず。
おそらく最大の山場であろうこのシーンを中盤に持ってきたが為に、終盤でアクション・シーンが沸点に到達しないという不満もあり。
さて、雪姫を演じる上原美佐の、野生と気品に満ちた存在感にも言及しなければならないだろう。確かに芝居は一本調子だし、セリフを喋らせれば金切り声。どー考えても女優としての資質にはクエスチョンマークが点く(その意味で、彼女を唖という設定にしたのは巧い)。しかし、グラマラスなバディにエキゾチックな顔立ち、ビジュアルとしての訴求力は抜群だ。
例えば山中で横たわる彼女のしなやかな肢体は、黒澤映画にしては異質なほどにエロティシズムをかき立てる。彼女のショートパンツからのぞく太ももにコーフンしない男なんて男じゃない!
この『隠し砦の三悪人』は、黒澤初のシネマスコープ作品となったが、手足のスラリと長い彼女が横たわったフルショットは、既存のスタンダードサイズではおさまりきらなかったろう。
黒澤爺はこのショットを撮りたかったがために、本作をシネマスコープにしたのだと、僕は勝手に忖度するものであります。
- 製作年/1958年
- 製作国/日本
- 上映時間/139分
- 監督/黒澤明
- 製作/藤本真澄、黒澤明
- 脚本/菊島隆三、小国英雄、橋本忍、黒澤明
- 撮影/山崎市雄
- 美術/村木与四郎
- 音楽/佐藤勝
- 監督助手/野長瀬三摩地
- 録音/矢野口文雄
- 照明/猪原一郎
- 三船敏郎
- 千秋実
- 藤原釜足
- 藤田進
- 志村喬
- 上原美佐
- 三好栄子
- 樋口年子
- 藤木悠
- 土屋嘉男
- 高堂国典
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