勝新太郎という希代の怪優を手放した瞬間、傑作になる権利も手放してしまった戦国絵巻
『影武者』(1980年)の主演を務めるはずだった勝新太郎の降板理由を、黒澤明は「監督は二人いらーん!」という短いコメントで残している。伝え聞くことによれば、勝新が自分の役作りの参考にと、現場で勝手にビデオカメラを廻したことが原因らしいが、本当にそうだろうか。
天皇と称揚され、映画を形成するあらゆる構成分子を統率しなければ気が済まない黒澤にとって、武田信玄=勝新太郎は自分自身を引き写した存在のはずだった。
しかし強烈すぎる個性でクロサワ映画という範疇からもはみ出てしまう勝新の演技に、黒澤は密かなる恐怖を覚えたんではないか。世界のクロサワ映画が、勝新映画として塗り替えられてしまう恐怖に。
それは、武田信玄の分身となって己自身を抹消しなければならない、ノー・アイデンティティーな存在であるはずの影武者が、やがて本当に偉大なカリスマ性を帯びて武田勝頼に恐怖を覚えさせるという、この物語の主題とびっくりするぐらいリンクしている。
「偉大な監督の前では、役者は映画を構成するひとつのファクターに徹しなければならん!!」。黒澤は内心そうつぶやいていたに違いない。
結局主役を務めることになったのは、黒澤が思い描くキャンパスに思い通りの色彩を与えることができる、名優・仲代達矢だった。しかし、そこには異なる才能がぶつかることによって生まれる、予測不能なケミストリーは発生しない。
『影武者』は、勝新太郎という希代の怪優を手放した瞬間、傑作になる権利も手放してしまったのではないだろうか。
音楽監督の佐藤勝が黒澤と対立して降板(代役を務めたのは池辺晋一郎)、撮影監督を務めるはずだった宮川一夫も体調不良で降板と、『影武者』の撮影は主役の降板劇だけにとどまらず、苦難の連続だった。
そもそも、製作費が当時としては破格の9億円が計上されていたが、黒澤が最低でも12億円は必要だと主張し、一時は企画そのものが流れかけたぐらいである。
黒澤をリスペクトする、フランシス・フォード・コッポラ&ジョージ・ルーカスが、世界配給契約を取り付けて何とか製作費を調達。艱難辛苦を乗り越えて撮り上げたこの作品にかける彼の情熱は、並々ならぬものがあった。
その情熱とは裏腹に、最大の見せ場であるはずのアクション・シーンが、どーにもこーにも締まらない。確かにクライマックスにおける、武田騎馬隊が織田鉄砲隊に突っ込んでいく様子をワイドで捉えたシーンは、躍動感には満ちているが、
- 武田軍が勇壮に出陣するショット
- 仲代達矢のバストショットに切り替わり、鉄砲隊の激しい銃弾音と、馬がいななく声がかぶさるショット
- 山崎努、萩原健一が陣を構える武田軍が動揺するショット
というワンパターンの組み合わせショットばかりだもんで、全くダイナミズムが感じられない。おまけに、敗残の武田軍の兵が死屍累々と横たわるショットの尺がやけに長く、観客はすっかりダレてしまう。
静的なシーンでは孤高の極みに達したかのような格調高い演出をみせつけるのだが、動的なシーンでは、『七人の侍』や『用心棒』で世界を震撼させたダイナミズムが欠如しているのが、『影武者』の最大の弱点だ(そもそも僕は黒澤明をアクション作家とは思っていないのだが)。
本作はカンヌ国際映画祭グランプリを受賞したが、それは壮麗なる戦国絵巻として評価されたのであって、決して手に汗握る時代活劇として評価されたものではないんである。
- 製作年/1980年
- 製作国/日本
- 上映時間/179分
- 監督/黒澤明
- プロデューサー/黒澤明、田中友幸
- 製作総指揮/フランシス・F・コッポラ、ジョージ・ルーカス
- 脚本/黒澤明、井手雅人
- 撮影/斎藤孝雄、上田正治
- 美術/村木与四郎
- 編集/黒澤明
- 音楽/池辺晋一郎
- アドバイザー/橋本忍
- 監督助手/岡田文亮
- 監督部チーフ/本多猪四郎
- 仲代達矢
- 山崎努
- 萩原健一
- 根津甚八
- 大滝秀治
- 隆大介
- 油井昌由樹
- 桃井かおり
- 倍賞美津子
- 室田日出男
- 志浦隆之
- 志村喬
- 清水紘治
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