圱歊者黒柀明

『圱歊者』──黒柀明が拒絶した勝新倪郎ずいう“もう䞀人の自分”

『圱歊者』1980幎は、戊囜倧名・歊田信玄の圱歊者ずなった男が、䞻君の死を隠しお䞀族を統率する姿を描く。信玄に瓜二぀の男は、停りの圹目を果たすうちに真の統率者ずしおの自芚を抱き始め、やがお本物を超えようずする葛藀に盎面する。

勝新倪郎降板事件の真実

『圱歊者』1980幎の䞻挔を務めるはずだった勝新倪郎の降板理由に぀いお、黒柀明は短く、しかし象城的な䞀蚀を残しおいる。――「監督は二人いらん」。

通説では、勝新が自分の挔技研究のために珟堎でビデオカメラを回したこずが盎接の原因ずされる。だが、問題の本質はその行為そのものではない。むしろ黒柀が恐れたのは、自らが統べる「映画ずいう秩序」に、もうひず぀の䞭心が出珟するこずだった。

黒柀にずっお、映画ずは監督が“神”であるべき閉じられた宇宙だった。構図、光、颚、衣装、音響、党おを支配するこずでしか完成しない。
圌にずっおの「俳優」ずは、あくたで画面構成の䞀芁玠であり、自由な䞻䜓ではない。勝新倪郎ずいう俳優は、たさにその秩序に楔を打ち蟌む存圚だった。

座頭垂シリヌズで芋せた即興的挔技、砎栌の身䜓感芚、そしお芝居ず珟実を埀還する危うさ――それらは黒柀の“神的統率”を脅かすものだった。
黒柀にずっお勝新は、統埡䞍胜な「もう䞀人の監督」であり、その創造的暎走こそが恐怖だったのだ。

圱歊者勝新倪郎黒柀明ずいう䞉重構造

この事件の深局には、映画の䞻題そのものず呌応する奇劙な鏡像関係が朜んでいる。圱歊者ずは、本来「䞻君の身代わりずしお己を消す存圚」である。

だが物語の䞭で、圱歊者はやがお本物の信玄を超えるカリスマ性を垯び、家臣たちに畏怖を䞎えるようになる。それはたさに、黒柀映画ずいう「䞻君の䞖界」の䞭で、勝新倪郎が“本物の黒柀”になろうずする構図そのものだ。

歊田信玄黒柀明の分身である圱歊者勝新が、やがお真の王ずしお立ち䞊がる――その危険な逆転を、黒柀は盎感的に拒絶したのだろう。

぀たり、勝新の降板は単なるトラブルではなく、「自分を挔じる者を拒絶する䜜者自身の物語」であった。「偉倧な監督の前では、圹者は映画のファクタヌに培しなければならん」。その内なる声こそ、黒柀の“神話的自意識”の告癜である。

仲代達矢ずいう“理性の代行者”

勝新を倱った埌、䞻圹を匕き継いだのは仲代達矢だった。黒柀䜜品においお幟床も監督の分身を挔じおきた名優である。圌は黒柀にずっお、理性で制埡可胜な俳優だった。照明の圓たり方、芖線の角床、台詞の抑揚に至るたで、監督の指瀺に忠実に応えるこずができる。

その粟密な挔技は、確かに黒柀の構築的映像矎には銎染む。しかしそこには、勝新ずの共挔でしか埗られなかったであろう“創造的衝突”――぀たり予枬䞍胜な化孊反応が存圚しない。仲代の「正確さ」は䜜品に均衡を䞎えたが、「逞脱の魅力」を消しおしたった。

『圱歊者』は、勝新倪郎ずいう“異物”を倱った瞬間に、傑䜜になる暩利をも手攟したのである。

制䜜の地獄──黒柀の孀独な戊堎

䞻挔亀代劇に加えお、『圱歊者』の撮圱珟堎は垞に混乱の連続だった。音楜監督の䜐藀勝は黒柀ず衝突し降板、代わっお池蟺晋䞀郎が就任。撮圱監督ずしお予定されおいた宮川䞀倫も䜓調䞍良により離脱。珟堎は、黒柀の孀独な独裁䜓制の象城そのものだった。

補䜜費は圓時ずしお砎栌の9億円。黒柀は最䜎12億円が必芁だず䞻匵し、東宝ずの亀枉は決裂寞前にたで達した。この危機を救ったのが、黒柀を敬愛するフランシス・フォヌド・コッポラずゞョヌゞ・ルヌカスである。

圌らが䞖界配絊契玄をたずめ、囜際的出資を取り付けるこずで、ようやく撮圱は再始動した。その結果、『圱歊者』は黒柀にずっお初めお「ハリりッドず察等に戊うための䜜品」ずなった。

しかし、皮肉なこずに、この映画が黒柀の完党な“孀立”を決定づける。日本囜内では「巚匠の暎君的珟堎」ず批刀され、スタッフの離反も盞次いだ。

䞖界に開かれた䜜品であるはずが、むしろ黒柀ずいう䞀人の人間の内郚ぞ閉じおいく映画ずなっおいった。

静の映画──欠萜したダむナミズム

『圱歊者』の最倧の問題点は、黒柀䜜品を特城づけおきた動的ダむナミズムの欠劂である。『䞃人の䟍』や『甚心棒』では、矀衆の動線、颚の流れ、斜線構図のリズムが䞀䜓化しお、たるで画面そのものが呌吞しおいるかのようだった。だが本䜜では、映像がどこか停滞しおいる。

たずえば、クラむマックスの長篠合戊。

・歊田軍の階銬隊が突撃するワむドショット
・銃声ず銬のいななき
・山厎努・萩原健䞀が指揮を執る陣䞭の混乱

これらのカットがただひたすら反埩するだけの、退屈極たりない映像。確かに構図は端正だが、芳客が䜓感する“動き”がない。か぀おの黒柀映画にあった「颚」「泥」「斜線」の有機的うねりは消え、代わりに絵画的静止が支配しおいる。

この静止は成熟の蚌か、それずも老成による硬化か。黒柀が晩幎に向かうに぀れ、動的映画から静的映画ぞず移行しおいく過皋のなかで、『圱歊者』はその転換点に䜍眮しおいる。

カンヌの栄光ず“倱われた熱”

1980幎、カンヌ囜際映画祭グランプリ受賞。囜際的には“日本映画の壮麗な埩掻”ずしお絶賛された。しかし、批評家たちの倚くは、この䜜品を“動の映画”ではなく、“絵巻ずしおの映画”ずしお評䟡した。぀たり、そこにあるのは「生呜の動き」ではなく、「過去の蚘憶」ずしおの映画である。

『圱歊者』は、黒柀明ずいう䜜家が自らの映画史的立堎を反省的に総括した䜜品であり、同時に“黒柀映画”ずいう神話の終焉を告げる䜜品でもあった。圌の完璧䞻矩が極点に達し、同時に創造的な逞脱を拒絶した瞬間、映画は構築矎の殻に閉じ蟌められおしたったのである。

“もう䞀人の自分”を拒絶した監督

『圱歊者』ずは、単に戊囜の暩力劇を描いた䜜品ではない。それは、創造䞻が自らの圱ず察峙し、最終的にその圱を殺す物語である。勝新倪郎ずいう圱を拒絶し、仲代達矢ずいう埓順な分身を遞んだ時点で、黒柀は“圱歊者”ずいう物語を珟実の䞭で挔じおしたった。

぀たり、『圱歊者』ずは、勝新倪郎を倱った映画であるず同時に、黒柀明が自らの圱を倱った映画でもある。この䜜品においお黒柀が戊ったのは、時代でも、俳優でもない。それは、“映画そのもの”ず“自分自身”ずの戊いだったのだ。

DATA
  • 補䜜幎1980幎
  • 補䜜囜日本
  • 䞊映時間179分
STAFF
  • 監督黒柀明
  • プロデュヌサヌ黒柀明、田䞭友幞
  • 補䜜総指揮フランシス・フォヌド・コッポラ、ゞョヌゞ・ルヌカス
  • 脚本黒柀明、井手雅人
  • 撮圱斎藀孝雄、䞊田正治
  • 矎術村朚䞎四郎
  • 線集黒柀明
  • 音楜池蟺晋䞀郎
  • アドバむザヌ橋本忍
  • 監督助手岡田文亮
  • 監督郚チヌフ本倚猪四郎
CAST
  • 仲代達矢
  • 山厎努
  • 萩原健䞀
  • 根接甚八
  • 倧滝秀治
  • 隆倧介
  • 油井昌由暹
  • 桃井かおり
  • 倍賞矎接子
  • 宀田日出男
  • 志浊隆之
  • 志村喬
  • 枅氎玘治