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2017/9/30

ねじ式/つげ義春

シュールの深層へ。夢・象徴・心理構造の可視化

つげ義春はたぶん、純文学的でもなんでもなくて、徹底的にビンボーなだけだと思う。たとえば『無能の人』(1968年)において描かれるのは、金も仕事もなく、ただ悠久の時に身を委ねる男のだらしない日常だ。

つげ義春コレクション 近所の景色/無能の人 (ちくま文庫)

仙人的精神性などというカッコいいものではない。それは、生活困窮という条件に対する感覚的・生理的受容であり、苦境そのものの質感を淡々と見つめる視線だ。

一方『ねじ式』は日常の延長ではなく、無意識の奔流が可視化されている。作者自身が「締め切りに追われ、描く材料がなく、ヤケクソで描いた」と述べるように、シュールレアリスムにおける手法オートマティカル・エクリチュールと通底するような、無意識の言語とイメージの連鎖が画面を支配している。

冒頭、海辺で主人公がメクラゲに噛まれて左腕を押さえるコマには、身体的損傷と心理的脆弱性が表象されている。それは、主人公が意識と無意識の境界に佇んでいると言い換えてもいい。

崩れた女性像や天狗の面は、潜在的欲望を民俗的・昭和的装飾で包み込んだ性的メタファーだ。政治家風中年男性と男根を暗示する天狗の鼻が同じコマに収まることで、社会的秩序と本能的衝動の交錯が可視化される。

またこの漫画は、サルバドール・ダリ的なイメージ=「ねじれた時計」の系譜を引く視覚的歪曲に彩られている。眼医者の看板や物体のねじれは、時間と空間の非線形性を視覚化し、夢的空間の構造を読者に体感させる。

もっと知りたいサルバドール・ダリ 生涯と作品
『もっと知りたいサルバドール・ダリ 生涯と作品』

機関車、ボート、自動車といった交通手段は、内的世界と外界、現実と幻想を媒介する象徴だ。空間構造と心理的構造の連動。画面の余白、物体の不自然な傾き、遠近感の歪みは、読者の視線を揺らし、物語の非現実性を増幅させる。

全編を通して夜の描写はなく、すべて日中の光の下で展開するのも特徴的。漁村の過疎的・静寂な環境は、死や停滞の象徴として機能し、白日夢のような浮遊感を読者に与える。

『ねじ式』は、日常的リアリズムの延長ではなく、無意識、夢、死、性が交錯するシュールで実験的な物語だ。この作品を読むたび、僕は立ちのぼる陽炎にも似た感覚を感じてしまう。その残像はゆらゆらと、脳内をいつまでも反芻する。

DATA
  • 著者/つげ義春
  • 発売年/1968年
  • 出版社/秋田書店