『フランケンシュタイン』(1931)
映画考察・解説・レビュー
『フランケンシュタイン』(1931年)は、表現主義の影を纏った美学の探求者ジェームズ・ホエール監督が、メアリー・シェリーの禁断の物語を銀幕へと解き放ち、ホラー映画というジャンルを決定的に定義づけた不朽の傑作。ボリス・カーロフが厚いメイクの下で体現した、言葉を超えた知性と哀しみ。彼が湖畔で少女と花を浮かべるシーンの無垢な残虐性は、観る者の心に消えない傷跡を残す。
映画史を変えた狂気のビジュアル革命
映画史において「怪奇映画の原点」と呼ばれる作品は数あれど、『フランケンシュタイン』(1931年)ほど後世のポップカルチャーに決定的な呪い…いや、祝福を与えた作品はない。
原作はもちろん、メアリー・シェリーが1818年に発表した不朽のゴシック小説。しかし、我々が「フランケンシュタインの怪物」と聞いて条件反射的に思い浮かべるあのビジュアル…平らな頭部、首に刺さったボルト、落ち窪んだ眼窩、そして重い足取りは、原作の描写ではない。
これらはすべて、監督ジェームズ・ホエールと、天才特殊メイクアップアーティストのジャック・ピアースがタッグを組んで生み出した、映画オリジナルの奇跡の産物なのだ。
当初は『魔人ドラキュラ』(1931年)で大成功を収めたベラ・ルゴシがキャスティングされ、テスト撮影まで行われていたが、「セリフがなくメイクで顔が隠れるただのデクの坊だ」という理由で、彼が降板したという制作秘話はあまりにも有名。
その結果、当時ハリウッドでくすぶっていた無名俳優のボリス・カーロフが大抜擢されることに。頭を平らにし、まぶたに重いワックスを塗りつけ、モノクロフィルムで死人の肌のように白く映るよう、緑色のグリースを顔中に塗りたくるという、地獄のような作業。毎日4時間以上もかかる過酷な特殊メイクによって、映画史に永遠に刻まれるモンスターが誕生する。
ドイツ表現主義の影響を色濃く受けた、あの鋭角的な影と歪んだ遠近法が支配する不気味なセットデザインも、今なお驚異的なほど新鮮。それは単なる背景美術の枠を超え、作品全体を漆黒のゴシック・ロマンで染め上げる、狂気と美の結晶だ。
約26万ドルから29万ドルという、当時の基準でも決して高額ではない製作費で生み出された『フランケンシュタイン』は、蓋を開けてみれば世界中で推定1200万ドルというメガヒットを記録。
世界恐慌の煽りを受けて倒産寸前だったユニバーサル・ピクチャーズを、この映画は地獄の底から救い出す救世主となった。
創造主の傲慢と被造物の底知れぬ悲哀
『フランケンシュタイン』が名作たる所以は、その残酷で美しいドラマツルギーにある。
若き天才科学者ヘンリーは、死体をつなぎ合わせて生命を創造するという神の領域に足を踏み入れるが、彼が作り出したのは言葉を持たず、ただ純粋な無垢さを抱えた悲しき怪物だった。
彼は、無邪気に花を愛でる心を持ちながらも、その異形ゆえに人間社会から迫害され、松明を持った群衆に恐怖の対象として狩られる側に回ってしまう。
真の怪物は、傲慢な人間社会。この痛烈なメッセージは、大恐慌の嵐が吹き荒れていた1930年代という不穏な時代背景と決して無縁ではない。
職を失い、未来への不安から他者への不寛容を募らせていた当時の大衆にとって、異質な存在を敵と見なして熱狂的に排斥する行為は、あまりにもリアルなカタルシスだったはず。
トッド・ブラウニング監督の『フリークス』(1932年)や、文明社会に連行され見世物にされた『キング・コング』(1933年)を見れば、その潮流は明らかだ。
正常な側こそが最も残酷で、疎外された異形の者たちにこそ魂の純粋さが宿るという、逆転の構造。松明を掲げて怪物を追い詰める暴徒たちの描写には、集団ヒステリーの狂気が滲んでいる。
それはまさに、スケープゴートを求めて彷徨う大衆の暴力性の告発。おそらくそこには、同性愛者だったホエール監督自身が抱えていたマイノリティとしての孤独感や疎外感が、怪物の造形と物語の基底に深く投影されている。
無知は罪か?というアポリア
映画史に残る最大のトラウマシーンとして名高いのが、無邪気な少女マリアと怪物が水辺で花を投げて遊ぶ牧歌的なシークエンスだ。
花が水に浮かぶのを見て、怪物が「この少女も花のように水に浮かぶだろう」という純粋な好奇心から、彼女を湖に投げ込んでしまうこのシーンは、公開当時から激しい非難を浴び、多くの国と地域で検閲によるカットの対象となった。
数十年にわたり欠落していたこの失われたフッテージが再発見され、本来の形で鑑賞できるようになったのは、1980年代に入ってから。本作が放つエネルギーが、いかに当時の社会の道徳観を脅かすほど強烈だったかを物語っている。
しかし、この無慈悲なシーンがあるからこそ、怪物の「善悪の概念を持たない純粋さ」と「圧倒的な物理的暴力」のコントラストが極限まで際立つ。
ここに提示されているのは、「無知は罪か?」という、西洋哲学が数千年にわたり問い続けてきたアポリアそのものだ。
もし知性が善悪を判断する唯一の羅針盤であるならば、それを持たされずに世に放たれた彼を、誰が裁けるというのか? ここにある恐怖の本質は、悪魔的な邪悪さではなく、倫理というオペレーティングシステムをインストールされなかった強力なハードウェアが引き起こす、避けようのないシステムエラーへの絶望なのだ。
『フランケンシュタイン』というフィルムが告発するのは、被造物に力だけを与え、道徳という魂を吹き込むことを放棄した創造主の傲慢なのである。
- 監督/ジェームズ・ホエール
- 脚本/ギャレット・フォート、フランシス・エドワーズ・ファラゴー
- 製作/カール・レムリ・Jr
- 制作会社/ユニバーサル・ピクチャーズ
- 原作/メアリー・シェリー
- 撮影/アーサー・エディソン
- 音楽/ベルナルド・カウンプ
- 編集/クラレンス・コルスター
- 美術/ダニー・ホール
- SFX/ジャック・ピアース
- フランケンシュタイン(1931年/アメリカ)
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