バトーの諦観めいた男の美学に泣かされてしまう、文字どおり“イノセント”な映画
『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(1995年)から、9年ぶりの劇場用アニメっつうことで、そーいやあの時分はまだ学生だったよなー、そりゃ俺もトシ食う訳だわ…と過ぎ行く歳月に想いを馳せてみたりする今日この頃である。
巨匠・宮崎駿が国民的規模で支持されているのに対し、押井守作品を支えるのはファナティックなオシイ原理主義者。お世辞にも集客力のあるアニメ作家とは言い難かった。
しかしこの『イノセンス』(2004年)は、プロデューサーにスタジオジブリの鈴木敏夫氏を招聘してバリバリ番宣を流すなど、プロモーションにも力を入れているようである。
そもそも「ロボットが暴走を起こす」というプロットは『機動警察パトレイバー the Movie』(1989年)の転用だし、「時間がループする」のは『うる星やつら2/ビューティフル・ドリーマー』(1984年)。
明らかに過去のフィルモグラフィーをリサイクルしているのは、押井アニメの集大成たらんとする意気込みか。マジョリティーとポピュラリティーには一貫して背を向けてきた、押井守の一大決心であると僕は勝手に解釈しました。
『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』や、『機動警察パトレイバー』シリーズでコンビを組んでいた脚本家・伊藤和典と袂を分かち、本作では押井自らシナリオを担当。
あまつさえ、強烈な個性で原作の滋味を凌駕してしまうオシイ指数がさらに高くなってしまうと、超難解作『天使のたまご』(1985年)のごとく「観客にクエスチョンマークが点滅しまくる映画になるのではないか?」と危惧していたのだが、まさかこんなに文字どおり“イノセントな映画”に仕上がっているとは思わなんだ。つまり、泣けるのである。
登場人物が、やたら孔子だの聖書だのデカルトだのといった哲学的セリフを吐いて、観客をケムに巻くのは毎度の詐術なんだが、バトーはどこまでもストイックだし、素子への想いはひたすらプラトニックだし、その手触りはたとえようもなく切ない。
何せ彼女は前作で人形使いと“融合”を果たし、ネットの海を泳ぐ思念だけの存在になってしまったのだ。肉体が介在しなければプラトニックにならざるを得ないんだろうが、観ているうちに我々もバトーの電脳にシンクロして、彼の諦観めいた男の美学に泣かされてしまうのである。
『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』同様、『イノセンス』でもいのちの定義が提示される。理路整然として即物的な印象をぬぐえなかった前作に対し、今作には人肌程度の温もりが加味されたため、結果として受け手側もゴーストハッキングされたがごとく、心情的なレベルで掴まれてしまう。
実は押井守という作家の本質は、哀感漂う情緒性にあるのかもしれない。今まではサイバーパンクな世界観に隠れて露見されなかったものの、バトーというキャラクターのストイックな眼差しに、秘められた真実を見た思いがする。
それにしても、デジタル技術を駆使して描き出された、チャイニーズ・ゴシックな都市造形には圧倒されまくり。当たり前の話だが、アニメというのは人力によって細密に描きこまれたディティールの積み重ねな訳で、一部のスキもないその「絵」としての圧縮感・濃密度に頭がクラクラしてしまった。
宮崎駿だったらアニメとしてのダイナミズムに、庵野秀明だったら終末論的思想に圧倒される訳だが、押井守はまずそのビジュアルに圧倒される。それは、アニメーションとして絶対的に正しいことだ。
「モノに魂を吹き込む」というテーマを扱った作品を描くには、「モノに魂を吹き込む」ために発明されたアニメほど、うってつけのメディアはない。
- 製作年/2004年
- 製作国/日本
- 上映時間/99分
- 監督/押井守
- 脚本/押井守
- 原作/士郎正宗
- 音楽/川井憲次
- プロデューサー/石川光久、鈴木敏夫
- キャラクターデザイナー/沖浦啓之
- メカニックデザイナー/竹内敦志
- プロダクションデザイナー/種田陽平
- レイアウト設定/渡部 隆、竹内敦志
- 作画監督/黄瀬和哉、西尾鉄也、沖浦啓之
- 美術/平田秀一
- 色彩設定/佐久美子
- 大塚明夫
- 田中敦子
- 山寺宏一
- 大木民夫
- 仲野裕
- 榊原良子
- 武藤寿美
- 竹中直人
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