『ダークマン』(1990年/サム・ライミ)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
ダークマン(原題:Darkman/1990年)は、サム・ライミ監督が『死霊のはらわた』の成功を経て放った、オリジナル・ダークヒーロー映画の傑作。爆発事故で顔を失い、痛覚を断絶された科学者ペイトン・ウェストレイク(リーアム・ニーソン)が、自ら開発した人工皮膚で様々な人物に変装し、自分を陥れたギャングへの復讐を果たす姿を描く。後の『スパイダーマン』シリーズに通じる独創的なカメラワーク、ダニー・エルフマンによる壮大な音楽、そして名女優フランシス・マクドーマンドをヒロインに迎えた重厚な人間ドラマが融合した、90年代を代表するカルト作。
B級の皮を被った「オリジン」の真実
1990年、夏。前年にティム・バートンの『バットマン』(1989年)が公開され、アメコミ映画がゴシック・アートへと昇華された時代。だが、その裏で密かに牙を研いでいた人物こそ、『死霊のはらわた』で世界を震撼させた悪童、サム・ライミである。
彼が放った『ダークマン』(1990年)はヒーロー映画というよりも、ホラー、アクション、メロドラマ、そしてノワールを巨大なミキサーに放り込み、ドロドロになるまで攪拌した劇薬だ。
ここには、現代のMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)がきれいに漂白してしまった、映画本来の不純物がぎっしりと詰まっている。
サム・ライミは当初、既存の人気コミック『シャドー』や『バットマン』の映画化を熱望していた。彼にとって、闇に生きるヒーローこそが自らの作家性を託すべき器だったからだ。
しかし、当時のハリウッド・スタジオの反応は冷ややか。たかがスプラッター映画の監督に、虎の子のIPを渡せるかという無言の圧力が、若きライミの前に立ちはだかる。
そこで彼は、既存のコミックに頼ることをやめ、自らの脳内にある“究極のヒーロー”をゼロから捏造することを選んだ。かくして生まれたのが、『ダークマン』である。
原作なし、歴史なし。あるのはライミの頭の中に渦巻く、1930年代ユニバーサル・ホラー映画…『オペラ座の怪人』や『フランケンシュタイン』への憧憬と、パルプ雑誌的な荒唐無稽なアイデアのみ。
主人公ペイトン・ウェストレイク博士は、ギャングの襲撃によって全身に火傷を負い、神経を切断処置されたことで痛覚を失う。そして、感情が高ぶるとアドレナリンが過剰分泌され、超人的な怪力を発揮するモンスターへと変貌する。
特筆すべきは、彼が開発した人工皮膚の99分というタイムリミット。光を浴びればさらに時間は短縮され、時間が来れば皮膚はドロドロに溶解してしまう。
バットマンはマスクを脱げば大富豪ブルース・ウェインに戻れるし、スーパーマンは眼鏡をかければクラーク・ケントになれる。しかし、ダークマンには帰るべき素顔がないのだ。
彼の素顔は、見るもおぞましい焼けただれた肉塊であり、人工皮膚で作ったハンサムな顔こそが仮面。仮面を被っている間だけ人間として扱われ、時間が来れば怪物として拒絶される。
これは、古典的な悲劇の構造であると同時に、映画監督や俳優という職業そのもののメタファーではないか!
虚構(フィルム)が回っている間だけ輝き、エンドロールが終わればただの孤独な個人に戻る。ライミは、自分自身を投影するかのように、この哀しき怪人を作り上げたのだ。
さらに本作は、悪役の造形においても秀逸。ラリー・ドレイク演じるギャングのボス、デュラント。葉巻カッターで裏切り者の指を切り落とすことを趣味とし、常に冷静沈着でありながら、内面には爬虫類のような冷酷さを秘めている。
アメコミ的な派手なヴィランではなく、ノワール映画から抜け出してきたような彼の実在感が、ペイトンの「非現実的な存在感」を逆説的に際立たせている。この絶妙なバランス感覚こそ、ライミがただのオタク監督ではない証明なのだ。
名優たちが繰り広げる異種格闘技戦
主人公ペイトンを演じるのは、リーアム・ニーソン。今でこそ『96時間』シリーズで最強の親父として君臨しているが、当時はまだ『シンドラーのリスト』でオスカー候補になる前の、実直な演技派俳優と見なされていた。
そんな彼が、顔面を包帯でグルグル巻きにし、マンホールから顔を出して絶叫するのだから、これはもう映画史的な事故と言ってもいい。
しかし、この配役こそが奇跡を生んだ。もし、最初からアクションスターが演じていたら、この映画は単なる筋肉自慢の復讐劇に終わっていただろう。
ヒロインのジュリー役にはフランシス・マクドーマンド。後に『ファーゴ』(1996年)や『スリー・ビルボード』(2017年)、『ノマドランド』(2020年)でアカデミー主演女優賞を3度も受賞することになる、名女優である。
本来、この手のジャンル映画のヒロインには、わかりやすい絶世の美女や、守られるべきお姫様が配置されるのが常だ(実際、ジュリア・ロバーツも候補に挙がっていたという)。だが、ライミはあえてマクドーマンドを選んだ。
彼女の存在は、この荒唐無稽な映画に強烈な重りとして機能している。ニーソンがオペラ的な過剰さで空を飛び、悪党たちが漫画的な死に方をする中で、マクドーマンドだけがドキュメンタリーのようなリアリズムでそこに立っているのだ。
この演技のトーンの不一致こそが、『ダークマン』の最大の魅力である。まるで、別々の映画から迷い込んだ二人が、無理やり一つの画面に押し込められたかのような違和感。しかし、その歪みこそが、「顔を失った男」と「彼を愛そうとする女」の、決して噛み合わない悲恋を痛烈に表現しているかのようだ。
ラストシーン、彼女はペイトンの素顔を見ても、愛を告げようとする。しかしペイトンは、彼女の手を振り払い、群衆の中へと消えていく。
この瞬間のマクドーマンドの表情──安堵と絶望がない交ぜになったような、言葉にならない顔。まるでカサヴェテスやアルトマンの映画のような、生々しい人間ドラマの幕切れではないか。
映画の魂を取り戻した、編集室の戦い
サム・ライミという男の真骨頂は、映像演出と、そして何よりも映画への執念にある。 本作の最大の見せ場と言えば、伝説の「遊園地のシーン」だろう。
ペイトンがジュリーとのデートで射的ゲームに興じる場面。店員が難癖をつけて景品のピンクの象を渡そうとしない時、ペイトンの怒りが臨界点を突破する。
比喩ではなく、文字通りメラメラとペイトンの瞳の中で怒りの炎が燃え盛り、理性を失って相手の拳を握りつぶす。激痛に店員が悲鳴を上げ、ペイトンも狂乱の雄叫びを上げ、それを目撃したジュリーも恐怖で叫ぶ。全員が叫び続ける阿鼻叫喚の絶叫シンフォニー!
ここでの演出は、もはやドラッグ体験に近い。カメラは斜めに傾き、極端なズームインとズームアウトを繰り返し、背景は極彩色に明滅する。店員の顔は悪魔のように歪み、鳴り響くダニー・エルフマンのスコアはサーカス音楽のように狂乱の度合いを増していく。
ライミはここで、怒りという感情を説明するのではなく、視覚的な暴力として観客の網膜に直接叩きつけたのだ。この独特のカメラワークと編集のリズムこそ、後の『スパイダーマン』で見せるウェブ・スイングの疾走感の原型だ。
実は、この傑作が世に出るまでには、血の滲むような戦いがあった。映画完成直前、ユニバーサル・ピクチャーズが行った試写会での評判は最悪。
スタジオの幹部たちは「わけがわからない」「最低の映画だ」と酷評し、より短く、わかりやすいバージョンでの公開を決定する。編集権を奪われたライミにとって、それは作品への死刑宣告に等しかった。
しかし、ここで終わらないのがサム・ライミだ。彼は編集者のボブ・ムラウスキーと共に、信じられない行動に出る。なんと、スタジオに無断で編集室に忍び込み、マスター・ネガがロックされる直前の48時間を不眠不休で作業し続けたのだ。
彼らはスタジオが「過激すぎる」「意味不明だ」として削除した9分間のシーン──あの遊園地の狂気や、ペイトンの悪夢のモンタージュ──を勝手に復活させ、音声を調整し、それを完成版としてすり替えてしまったのだ。
スタジオの幹部たちが気づいた時には、もう手遅れ。プリントは工場に送られ、全米中の劇場へ発送されていた。これは、巨大なシステムに対する、作家による「ゲリラ戦」である。
もしこのクーデターが失敗していれば、ライミのキャリアは終わっていたかもしれない。だが結果として、映画は興行収入4800万ドルを超えるヒットを記録し、批評家たちもそのオリジナリティを称賛した。観客は、スタジオが整えた「安全な映画」ではなく、ライミが魂を削って作り上げた「危険な映画」を求めていたのだ。
ラストシーン、群衆の中に紛れ込んだペイトンは、様々な顔に変装しながら雑踏へと消えていく。その中には、ライミの盟友ブルース・キャンベルの顔も一瞬だけ混じっている。
私は誰でもあり、誰でもない。どこにでもいて、どこにもいない。私はダークマンだ
この独白は、スタジオ・システムの中で顔を変えながらも、作家としての魂を守り抜いたサム・ライミ自身の勝利宣言にも聞こえる。
『ダークマン』は、CG全盛の現代から見れば、特撮は荒く、合成はチープに見えるかもしれない。だが、そこには最新のVFXが決して再現できない「熱」がある。 フィルムの一コマ一コマに、作り手の汗と、執念と、映画への狂おしいほどの愛が焼き付いている。
ちなみに僕がこの映画を最初に観たは、遥か昔の「日曜洋画劇場」。あまりに切なく、あまりに暴力的な怪人の姿に、僕は完全に心を鷲掴みにされたものだ。そして何より、無類に面白かった。
僕にとってのサム・ライミ最高傑作は、『死霊のはらわた』でも『スパイダーマン』でもなく、間違いなくこの『ダークマン』である。
- 監督/サム・ライミ
- 脚本/サム・ライミ、チャック・ファーラー、アイヴァン・ライミ、ダニエル・ゴールディン、ジョシュア・ゴールディン
- 製作/ロバート・タパート
- 製作総指揮/ダリル・カス
- 撮影/ビル・ポープ
- 音楽/ダニー・エルフマン
- 編集/バド・スミス、デヴィッド・ストライヴ
- 美術/ランディ・セル
- 衣装/グラニア・プレストン
- 録音/トニー・ガードナー、ラリー・ハムリン
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