2025/12/4

『グレート・ウォリアーズ/欲望の剣』(1985)徹底解説|暴力と信仰が交錯する中世の地獄絵図

『グレート・ウォリアーズ/欲望の剣』(1985年/ポール・バーホーベン)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー

10段階評価
8 GOOD
概要

『グレート・ウォリアーズ/欲望の剣』(原題:Flesh and Blood/1985年)は、暗黒の中世ヨーロッパを舞台に、裏切られた傭兵団が復讐のために城を奪い、王女アグネスを誘拐する物語。権力者の陰謀と欲望に翻弄される男女の運命を描き、戦争と信仰がいかに人間を暴力へ駆り立てるかを浮かび上がらせる。

目次

戦争の祝祭と騎士道の死──ルトガー・ハウアーとの「血の決別」

映画評論家の町山智浩氏が著書『トラウマ映画館』で指摘したように、『グレート・ウォリアーズ/欲望の剣』(1985年)は、我々がファンタジー映画やRPGで刷り込まれてきた中世ヨーロッパのイメージを、錆びた剣でメッタ刺しにするような作品だ。

1501年、イタリア。物語は、領主ホークウッド(ジャック・トンプソン)に雇われた傭兵団が、反乱軍の城を攻め落とすシーンから始まる。だが、そこに正義の騎士など一人もいやしない。

ルトガー・ハウアー演じる傭兵隊長マーティンと、その薄汚い仲間たちは、勝利した瞬間に祝祭を始める。それは、略奪し、犯し、殺し、神像に放尿するという、人間の獣性が極限まで解放される最低カーニバルだ。バーホーベン監督は、戦争を政治の延長として描くのではなく、社会的なタガが外れ、暴力が娯楽へと昇華される純粋な快楽として描く。

巨大な攻城兵器が城壁を砕くシーンの物質感、そして泥と糞尿にまみれた地面。このリアリズムは、当時のハリウッド映画が描いていた「きれいな中世」への強烈なアンチテーゼである。

本作の制作背景には、監督と主演俳優の壮絶な「戦争」があった。『ルトガー・ハウアー/危険な愛』(1973年年)や『女王陛下の戦士』(1977年)で名コンビだったバーホーベンとハウアーだが、本作の撮影中、二人の関係は修復不可能なほど決裂してしまう。

ハウアーは、自身の演じるマーティンをもっと英雄的に、あるいは人間味のあるキャラクターとして描くことを望んだ。しかし、バーホーベンは彼を、状況に流される悪党として描きたかった。

この対立が、画面に漂う殺伐とした緊張感を生む。マーティンは決してカッコいいヒーローではない。彼は裏切られれば復讐し、女を欲すれば奪い、疫病に怯える、ただの生存本能の塊だ。だが、その動物的な危うさが、ルトガー・ハウアーという俳優の持つカリスマ性と化学反応を起こし、映画史に残る魅力的なクズを誕生させた。

彼らが城を占拠し、貴族の衣装を奪って着飾るシーンの滑稽さと恐ろしさ。それは、秩序(貴族社会)が暴力によって転覆される瞬間であり、バーホーベンが好む権威のパロディの原点とも言える。

この映画は、彼らの最後のコラボレーションとなったが、その別れにふさわしい、血と精液に塗れた卒業制作となったのだ。

ヒエロニムス・ボスの地獄絵図と、アグネスの性魔術

オランダ出身のポール・バーホーベンは、この映画のビジュアル・コンセプトを、同郷の画家ヒエロニムス・ボスやピーテル・ブリューゲルの絵画から引用している。

画面の至る所に配置された、片足のない乞食、腐敗した死体、奇形の修道士。そして、背景で常に燃え盛る炎。中盤に登場する、ペストに感染した犬の肉を食べるシーンは、脳裏に焼き付いて離れない。

医師と枢機卿が対立する描写も秀逸だ。マーティンたちは、偶然見つけた聖マルティヌスの像を神の啓示と信じ込み、略奪を正当化する。バーホーベンにとって信仰なんてものは、人間を救済するものではなく、己の欲望を肯定するための便利なツールに過ぎない。枢機卿が殺戮の現場で神の祝福を与えるシーンの、なんとグロテスクで、なんと現代的なことか。

そして、この地獄絵図の中で最も異彩を放つのが、ジェニファー・ジェイソン・リー演じる王女アグネスである。彼女は、傭兵たちに誘拐され、集団レイプされそうになる。通常なら、ここで悲劇のヒロインとして描かれるか、自害を選ぶのが騎士道物語だ。

だが、アグネスは違う。彼女はマーティンに処女を奪われる瞬間、彼を見つめ返し、あろうことか彼を誘惑し始める。これはストックホルム症候群の極致として解釈されることが多いが、バーホーベンの意図はもっと過激だ。彼女は、自身の性を唯一の武器として、この男社会を生き抜こうとする。

木の下でのラブシーン。レイプから始まり、次第にアグネスが主導権を握っていくあの戦慄の演出。彼女は被害者であることを辞め、支配者であるマーティンを、逆に支配し返そうとする。

ジェニファー・ジェイソン・リーの、あの猫のような、無垢でありながら邪悪な瞳!かつて『初体験/リッジモント・ハイ』(1982年)で見せたティーンの可愛らしさは消え失せ、ここでは生存のために倫理を捨てた女の業が剥き出しになっている。

彼女こそが、この映画の真のモンスターであり、後の『氷の微笑』のキャサリン・トラメル(シャロン・ストーン)へと繋がる、バーホーベン的ヒロインの原型なのである。

バーホーベンの人間主義──神なき世界のサバイバル

映画の後半、城内にペストが蔓延し、傭兵団の結束は音を立てて崩れ去る。当初は家族のようだった仲間たちが、感染者を井戸に突き落とし、裏切り合う。バーホーベンは、この崩壊を悲劇としてではなく、ドライな必然として描く。金と欲望で繋がった絆は、死の恐怖の前では紙切れよりも薄いのだ。

婚約者スティーヴン(トム・バーリンソン)が科学を駆使して城を奪還しに来る展開は、中世(迷信と暴力)が近代(理性と技術)に敗北する歴史の転換点を示唆している。

そしてアグネスは最終的にスティーヴンの元へ戻るが、彼女は去り際にマーティンを見つめ、不敵に微笑む。彼女は助けられたのではなく、両方の男を天秤にかけ、より生存確率の高い方を選んだに過ぎない。

一方、悪逆の限りを尽くしたマーティンは、死ぬこともなく、燃え落ちる城を背に一人で歩き去っていく。「生き残った者が勝ち」。これがバーホーベンの倫理であり、彼のヒューマニズムだ。裏切り、嘘をつき、暴力を振るうのが人間だ。だが、その汚らしさを含めて、人間という種のバイタリティを肯定する。

本作で描かれた暴力とメディア(宗教)、身体の損壊、女性の強さといったテーマは、後の『ロボコップ』(1987年)、『トータル・リコール』(1990年)、『スターシップ・トゥルーパーズ』(1997年)で、SFというオブラートに包まれて繰り返し変奏されることになる。

『グレート・ウォリアーズ/欲望の剣』は、オランダ時代の作家性と、ハリウッドのエンターテインメント性が奇跡的に融合した、バーホーベンのキャリアにおけるミッシング・リンクであり、最高に野蛮で知的な寓話だ。

日本でVHSが発売された際、『炎のグレートコマンド/地獄城の大冒険』というふざけたタイトルが付けられたことも、今となってはこの映画の「カルト性」を高める伝説の一部となっている。

ポール・バーホーベン 監督作品レビュー