A級の戦略プランが張り巡らされた、ジェームズ・キャメロンの抜群の嗅覚
ガソリン・スタンドのメキシコ人少年に「嵐が来る」と注意されると、「分かっているわ」と覚悟を決めた表情でサラが答え、嵐渦巻く方向に向けて車を走らせる…。
『ターミネーター』(1984年)で最も印象的な場面は、個人的にはこのエンディング・シーンである。しがないウェイトレスだった彼女が逞しい母親となり、人類の救世主となる“希望の灯り”をその子宮に宿して、暗い未来=ディストピアと対峙するという締めくくり方に、当時まだ小学生だった僕は強烈な印象を覚えたものだ。
そしてあの、「ダダンダンダダン、ドンドン」という、金属質なパーカッションが印象的なスコア!もともとはホール&オーツのキーボーディストだったというブラッド・フィーデルによるメタリックなサウンドは、実はフライパンをハンマーで叩いた音をサンプリングしたもの。
タネ明かしをしてしまうとちょっと拍子抜けしてしまうが、あの重々しいスコアは『ターミネーター』という陰鬱な近未来のイメージに、見事なまでにマッチしている。
処女作『殺人魚フライング・キラー』(1981年)における作品的・興行的な失敗(それでも一部にカルト的なファンを抱える作品ではあるのだが)を経て製作された『ターミネーター』には、後のジェームズ・キャメロン作品に共通するファクターがすでに備わっている。
「女性が人類の未来を担う」というコア・プロットはそのまま『エイリアン2』(1986年)に引き継がれるし、「テクノロジーを妄信した進歩主義に対する警鐘」というイメージもまた、『タイタニック』(1997年)で巨大客船が沈没するシーンに重ねることができるだろう。
いま『ターミネーター』を観返してみると、その低予算なB級映画ぶりが逆に微笑ましくもあるが、稚拙で洗練されていないぶんだけ、「女性が人類の未来を担う」、「テクノロジーを妄信した進歩主義に対する警鐘」という重苦しいテーマがあけすけなまでに刻印されている。
だからこそ、サラが未来に向かって車を走らせるエンディング・シーンが、彼のフィルモグラフィーの中で最もエモーショナルな感動を喚起させるんである。
『ターミネーター』について語るからには、今はカリフォルニア知事として頑張っているアーノルド・シュワルツェネッガーにも触れない訳にはいかないだろう。もっとも、彼が優れた演技者ではないという事実に対しては今さら説明するまでもない。
オーストリアからやって来たこの元ボディビルダーは、セリフは棒読みだし、能面のような表情からは何の感情表現も感じられない。
鍛え上げられたヨロイのような筋肉のみが己の存在証明とばかりに、大胸筋を脈動させるしか能がなかったシュワちゃんは、はっきり言って’84年当時はイロモノ役者だったんである。
しかしジェームズ・キャメロン監督は、もともと正義の使者カイル役を熱望していたシュワルツェネッガーに対し、タイトル・ロールである恐怖の殺人機械“ターミネーター”役を逆オファーしてしまう。
ロボットだからこそ棒読みのセリフも逆にリアルな訳だし、ロボットだからこそ能面のような表情でも納得。役者としてのマイナス要素は全て「ロボットだから」という理由だけでオールオッケーになってしまうんである。
低予算映画の帝王ロジャー・コーマンの元で、映画製作のノウハウを学んだ、ジェームズ・キャメロンの抜群の嗅覚。このB級作品には、A級の戦略プランが張り巡らされている。
- 原題/The Terminator
- 製作年/1984年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/108分
- 監督/ジェームズ・キャメロン
- 製作/ゲイル・アン・ハード
- 製作総指揮/ジョン・デイリー、デレク・ギブソン
- 脚本/ジェームズ・キャメロン、ゲイル・アン・ハード
- 撮影/アダム・グリーンバーグ
- 特撮/スタン・ウィンストン
- 編集/マーク・ゴールドブラット
- 音楽/ブラッド・フィーデル
- アーノルド・シュワルツェネッガー
- マイケル・ビーン
- リンダ・ハミルトン
- ポール・ウィンフィールド
- ランス・ヘンリクセン
- リック・ロッソヴィッチ
- ディック・ミラー
- アール・ボーエン
- ビル・パクストン
- ベス・モッタ
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